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第1話
離れ小島として存在する地に、神域と呼ばれる山がある。又の名を鬼山(きざん)とも呼ばれ其処は古くから鬼が住むと恐れられてきた。
村人は皆その山には近づかない。しかし一年に一度、雨期の折に山の頂上にある神社に生贄と供物を運ぶ。それは、遥か昔からの慣わしで。
丁度暦では明日より雨期に入る。その所偽では無いが、村人は数日前よりそわそわしていた。今年の生贄を決めなければいけない。しかも、条件が揃う女子だけにその資格があった。
誰がいつ決めたのか、「夫を持つ若い娘だけ」という条件である。その条件に沿う娘が今年は一人しか居なかった。村長の一人娘だ。
まだ十五と幼いが、夫を持つ娘。村長にしてみれば身を引き裂かれるほどの辛さなのだろうが、古くからの慣わしに例外などあるはずもなく、娘は人身御供として差し出されることとなった。
「これでは余りにも酷すぎます!」
「分かってくれ、私だって辛いのだ」
妻が差し出されると知った夫は、村長に詰め寄りながら声を荒げた。こんな事、あってはならないと。
しかし、予定では明日、娘は山頂にいかねばならない。
「長!」
「お前は、村が滅んでもいいと言うのか!こうするしかないのだ!山に住む鬼の機嫌を損ねるわけにはいかない!」
数多ある命をたった一人と引き換えにすると言うのかと問われ、男は口を噤んだ。
最初から、決まっていたことだ。覆すことなど、誰にも出来はしない。男は悔しそうに唇を噛み締め、今宵限りとなる妻の元へと帰って行った。
村長の娘は若く美しい。この離れ小島にあってなお、都から使者がその姿を見に来るほどだ。夫である男はそれが誇りだった。皆が欲しがる娘を手に入れたのだと。
しかし、明日になればそれもなくなる。この村で妻がいなくては威厳を保てないなど恥にも等しいことだった。
「べに……」
母屋に行けば、妻がせっせと機を織っていた。その白樺のように白く細い手。思わず守りたくなるように華奢な体躯。皆が振り返り目を奪われる艶やかな黒髪。
「旦那さま。お帰りなさいませ」
男にとって、妻は誇りであると同時に、確かに愛おしい存在でもあった。なくしたくない、何者にも代えられない存在。
「紅」
「旦那さま……?」
紅、そう呼ばれた少女は髪をいつも以上に優しくなでてくる男に、にっこりと笑いかけた。
天女と異名を持つ娘。この娘が明日、いなくなってしまうのか。そう思う悲しみと同時に、この村に対する憎しみや怒りがふつふつと湧いてくる。男はまだ幼い妻を抱きしめながら唇を噛み締めた。
「旦那さま………どうかされたのですか?」
「紅、愛している。私と共に逃げよう。こんな村にいては…っお前の命は……っ」
「―――旦那さま。わたくしはそれが勤めであるならば受け入れます。村長の娘として、しいては皆のため。わたくしに悔いはありません」
紅は小さく息を吐きながら抱きしめてくる男の背に腕を回した。
「だからどうか、恨まないでください。わたくしの意志です。旦那様。今まで、わたくしは幸せでした」
――――――そして、夜が明ける。
***
丑の刻から降り出した雨は、未だにやまずに。紅は一人空を見上げた。
紅は白留袖に腕を通し、一息をつく。結婚式の時にきた着物と同じものだ。思い出深い一品ではあるが、これも習わしなのだから仕方がない。五つ紋の正礼装で、裾には金であしらった絵羽模様が浮かんでいる。
「旦那さま」
そばで見つめてくる男に、紅は苦笑した。じっと見つめてくるものだから妙に緊張してしまうのか、紅は少しばかり頬を赤く染めて顔をそらした。
「旦那さま………清昭様。この半年の間、紅はとても幸せでございました」
紅が支度を終え、外へ出ると先ほどまで降っていた雨がやみ空には青が広がっていた。
――――振り返らずに、行かなければ。
紅はすべてに別れを告げ、山の頂上を目指した―――――。
牡丹の色、花霞
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