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第2話
梁が軋む。天井から聞こえるキシキシと言う音に少年は一度眼をあけ。しかしすぐに閉じた。床には天井から漏れた水滴が広がっている。このままでは腐ってしまうのでないだろうか。
「………」
格子状の扉から見える空は少しばかり灰色が混ざっており暫くすれば雨が降ってくるだろう。
雪が続き山も雪化粧のおかげで真白に染まる。その景色を眺めながら少年は息を吐いた。足には重石。両手は縛りあげられ、左右の柱に括り付けられている。自由のない世界。
伸びきった髪は少年の表情を隠してしまっていた。
黒髪が、冷たい風に凪ぐ。口には喋れない様にと札が貼られ、手足をふさいでいる重石に鎖、格子戸の内側にも札が貼られている。上半身はなにも纏わず、下半身にはお情け程度の布切れが。
それでも、少年は確かにそこにいた。
◆◇◇◆
この離れ小島には逸話がある。「鬼の伝説」が。その昔、生贄として娘が鬼に捧げられていたと。それはもう百年も昔の話になるという。
季節は春。桜の咲き誇るこの季節になると、都の城下のほうでは祭りが多くなる。そうなると自然と賑わいが増してくる。それに乗じて、盗賊や野党も増えてくるわけだが、旅芸人や旅人はその危険を避ける為に用心棒を雇う。
その界隈でいま最も有名なのは女物の着物を緩く身に纏い、その柄は牡丹柄。刀は持たず、その身に持つのは木の棒だけだ。名前は誰も知らず、素性すら、謎の男。
だがしかしその容姿は老若男女区別無く綺麗だと言わしめるという。
「あぁ、人間の噂話は楽しいね」
笑う声が社にこだまする。クルクルと指先で煙管をまわしながら笑うのは、鮮やかな赤い髪を持ち、角を生やした一人の鬼だ。前髪は長く、額から生えている二本の角は黒色だ。白い肌に、金の瞳が光る。
「おはよう」
封じられた格子戸の向こうからの声に、繋がれ口を塞がれた少年に答える術は無い。
――――梁が揺れる。軋み、音を立てて。雪が積もっているのだろう。少年は瞼を閉じ、そして耳を済ませる。
軋む音、水滴の音、鳥の囀り。
「おや、雪が降ってきたね。―――また来るよ」
少年は目を開き、格子戸をみる。其処に居た鬼は確かに消えて居た。お陰で空がよく見える。少年は、空の白さに目を細め、床を見つめる。天井から滴る雫が水たまりを作っていく。
時折吹く風が髪を揺らし、少年の整った鼻梁を水たまりに移す。しかし、少年は汚れ切った自分の顔から目を逸らした。
鬼にとって、人の一生など儚いものだ。まるで一瞬の様に過ぎてしまう。どれだけ愛しても先に逝くが運命の命なのだ。鬼にとっての人は、そうやって取るに足らぬ只の道具に成り下がって行った。
そして、人にとって鬼は長い間歳を取らず美しいままの時間が長い。そして強い生き物だ。憧れがいつからか、妬み恐れに変わって行った。
この祭りの時期、都の城下町では見たことのない芸者や、役人、村人が増える。その中には鬼が化けた人間も居るのだと昔から言い伝えがあった。
その話を茶屋で団子をくわえながら聞いて居た一人の男が居た。
その美しい容姿から男の周りには女が沢山、まるで山の様に居座っている。
蝦夷の国からきたと名乗ったこの男は、鬼に興味があるのだと娘たちに笑った。
「ダメですよ、この辺りじゃこの時期になると獣傷を負った屍体がでてくるんですから!」
「そうですよ!鬼だってどこで聞いてるかわかったもんじゃありませんよ!?」
「先日だって、肋骨をむしり取られた屍体が見つかったばかりなんです!」
まるで掴みかかる勢いで離し始める町娘たちに、男はにこりと微笑んで見せた。周りから「ほぅ」と感嘆の声が漏れ、娘たちはその微笑みに言葉を失くした。
桜がザワザワと揺れだし、花弁が空を舞う。淡い桃色の光を放ちながら彼方へと消えて行くのを男はただ見つめて居た。
――――会いたい。
生を受け、物心つく頃から男には鬼に対する興味があった。恐怖や憧れなどでは無く、本当に只の興味本位なのだろう。
最後の一本を平らげ、男は立ち上がる。
「美味しかったよ、また来るからそれまで元気で。」
耳に心地よい低さの声は、男の意思には関係なく色気を孕んだもので、女たちは見えなくなるまで男を見送った。
「空気が変わった…かな」
男は呟く。そして、先ほど彼方へと消え去った花弁をなぞる様に歩き出した。
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