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第20話
◇
いつだったか、翁が赤子を腕に抱えてきたことがあった。その翁は嬉しそうに子をあやしながら、可愛いだろう、愛いだろうと。
けれど、その翁はすぐに人の手によって殺されかけ、その瀕死の状態で勝呂に会いに来たのだ。
自分が死んだら、その骨で刀を作ってほしいと。子供たちを守るための、刀を。
その刀が今、音無の腰に帯刀されている。勝呂は動かない音無に悟られないように息を吐き、牡丹を手招くとその耳元に口を寄せた。
「……ここから温羅を連れて走れ。私はあとからついて行く」
「―――は?」
「ここで問答をしている時間が惜しい。おそらく、温羅が動けばあの子が動く。私が時間を稼ぐから、その間に逃げろ」
いつもよりも低い声音で、有無を言わさないその勝呂の雰囲気に、牡丹は小さく頷くと流れるように温羅を肩に担いだ。
「っなに!」
温羅を担いだ牡丹の右足が砂利を跳ねた、瞬間
――――ざわり、と空気が揺れた。
脚がはねた砂利が、地面に落ちるより早く、音無の抜刀した刃先が飛んでくる。
けれど、温羅に届く前に勝呂の指先がその刃先をとん、とおさえた。
「行きなさい。人の子。後で追いつく」
低く、凪いだ声があたりに響き、牡丹は駆けだした。
◇
「……………じゃま、を、しないで、ください」
少しばかり高く、かすれた声が勝呂の鼓膜を揺らした。ピンと張りつめた空気が揺らぎ、音無が刀を鞘に仕舞う。
「………音無」
勝呂が名を呼ぶと、音無が小さく息を吐いた。
「…………………………柘榴は、死んだんですか」
「死んだよ。お前を心配していた」
「おれは、貴方が嫌いです。おれの大切なものを全部奪っていく」
ため息なのか、呼吸なのか、音無は言葉を紡ぎ、隠されたままの瞳を勝呂に向けた。言うべき言葉はもう言った。やるべき事は残っているけれど、と、ふと刀の鍔に親指を添える。きちり、と音が鳴り、勝呂が笑った。
「……意味のないことはやめた方がいい」
にこりと笑う勝呂に、舌打ちをしながら鍔から手を離した音無は踵を返し、木に結ばれた赤い紐を手に取った。
「―――――――――おれは、青天目を裏切ることはしません。でも、生きていても仕方がない」
「残念だけど、柘榴と翁の言葉を無碍にはできないかな。お前は生きて、幸せになる道を探してからしっかりと老いて死になさい」
勝呂の言葉に、音無は手にしていた紐をぎゅっと握りしめると、渇いたように笑い息を吐き出した。
「おれは、……貴方のように生きたくない。でもどうせ、全て忘れてしまいますから関係ありませんね」
「私を恨むのは構わないよ。お前に殺されるようなヘマはしないし、なにより、私はまだ死ねないからね」
「………もし、次に会うことがあっても、おれは貴方の名前すら知らないと思いますが、まぁ、そうですね。貴方の顔は、忘れないようにします」
声なく笑い、音無が紐を手放すと、ぱきり、枝が音をたて落ちた。それが引き金になったのか、ぱきりぱきりと次第に大きく鳴り出し枝葉が花ごと朽ちていく。
「―――――――勝呂」
音無が小さく名を呼んだ。それが少しだけ震えていたことに気づかないふりをして、勝呂は何かなと応えた。
「刀を、青天目に渡して下さい」
「………自分でわたさないのかい?」
「意地悪な鬼ですね。渡せないとわかっているでしょう」
歩み寄り、かちゃりと音無が差し出した刀を受け取り、勝呂は困ったように笑った。
「私があの人の子を殺めたらどうする?」
「……ありえません。貴方は青天目を殺すことはない」
「―――――――――他に、何か言いたいことがあるだろう?」
僅かな距離で、音無は勝呂を見上げると、けれどすぐに顔を逸らした。
「………兄に、伝えて下さい。……柘榴が亡くなったと」
それと、と消え入りそうな言葉を続け、音無は刀を持つ勝呂の手を握った。
「……父に、…墓参りには行けない、とも」
「翁の墓前に行く時に伝えよう」
「―――――おれは、貴方が嫌いです。…だけど、ありがとう、ございました。この紙は、貴方に返します。いつか会うことがあれば返してください」
赤い紙を勝呂に渡すと、音無はふっと安心したように息を吐き、今度こそ振り返ることなく平家の昏い昏い影の中へと消えていった。
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