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海と雑談(有賀桜+唯壱)
海に来るのは子供以来の事だった。
「……すごい。広い」
そんな当たり前な事を呆然と呟く壱に、隣に立った唯川は声を出して笑った。
今日は薄手のオレンジ色のティーシャツに、不思議な柄の白っぽい上着を羽織っていた。本当に何枚洋服を持っているのか、と、不思議になる。
「壱さんの発言ってさー、真面目で真っ当だからかんわいいよねー。海、感動した?」
「しました。前いつ見たのかなんて覚えてないくらい昔……多分、電車移動が出来たころの話だし。家族で来たような、そうでないような……。友達と来るのは、多分初めてです」
「恋人と来るのもはじめてだよね?」
にやにやしながら訊いてくる唯川は機嫌が良い。
今日は苦手な運転を任されることもなく、ひたすら後部座席で車酔い予備軍と化していた壱の枕となっていた。それだけでも嬉しいらしく、本当にかわいい人だな、と壱はひっそりと感動する。
完全に酔う前に何度か休憩を入れてもらい、外の空気を入れて貰った。
その上運転がうまかった為、どうにか酔い止めだけで体調を食いとめられた。ここまで運転して来てくれたサクラと、比較的大きな車をレンタルしてくれた有賀に感謝しなければいけない。
唐突に海に行こう、と言いだしたのは有賀らしい。
なんでも夏中仕事まみれで、相当フラストレーションがたまっていたらしい。温泉に入り浸る旅も考えたが、どうせならもっと若々しいことがしい。そんな壱にはまだ少しわからない理由で、有賀は唯川と壱を海辺のロッジキャンプに誘った。
九月も終わる微妙な時期だ。
もう少し早ければ夏の海水浴客で溢れていただろうし、キャンプ時期は十月の半ばからだろう。ちょうど過ごしにくい気温の季節は、観光客はあまり居ない。
ゲイのカップルが二組、集うには丁度いい閑散っぷりかもしれない。
言い出しっぺの有賀は、特に海には興味も無いらしく、一休みしているサクラの隣で甲斐甲斐しく世話を焼いていた。
もうすっかり友人と言って良い関係にはなったが、それでも、あの二人を見ていると羨ましいような胸が詰まるような気分になる。どちらもとても優しく、素敵な大人で、壱は少し緊張してしまう。
壱の視線に気が付き、腰を上げた有賀が『具合は平気?』と声をかけてくれた。
「はい、大丈夫です。すいません、御心配をおかけしてしまって……でも、サクラさんの運転がすごくなんていうか、優しくて。吐かないで、済みました。今日は誘っていただいてありがとうございます」
「いーえ。だってね、僕とサクラちゃんだけでキャンプとか、もうそれ、僕がひたすら料理して飲んで、サクラちゃんが準備して後片付けして、もうそれで終わっちゃうなぁと思ってさ。こういうのはほら、歳の近い友人と楽しむものかなって思ったもので。こちらこそ、誘いに乗ってくれてありがとう。まあ、メインはこれからなんだけどね」
いつも通りふんわり笑う有賀は今日も格好良い。
夏の初めに会ってから、壱はすっかり有賀の事が好きで、時々唯川に焼きもちを焼かれてしまう程だ。勿論後に紹介されたサクラも好きだ。二人揃ってる時はまた一段と楽しい。
「唯くんも、貴重な日曜休みを裂いてくれて、どうも。まあ、食事の支度はこっちでサクラちゃんとやっちゃうから、とりあえずぼんやり海を眺めて語らうもよし。若いテンションではしゃぐもよし」
「え、有賀さん海いかねーの?」
後ろからひょっこりと顔をだしたサクラはスポーツドリンクを飲みながら、有賀に疑問の声をかけた。
「……え。サクラちゃん泳ぐ気?」
「いやまさか九月の海なんてクラゲの宝庫じゃん。やだよ。いかないよ。でもほら、折角の海じゃん? 暑いじゃん? じゃあほら、きゃっきゃしたいじゃん?」
「最年長者のお言葉とは思えないね……疲れてるんじゃないかなって思ったんだけど、平気なの?」
「平気平気。マニュアルのワゴンに比べたら、オートマの普通車とか天国ですよ。錆臭くもないし。煙草臭くもないし。昨日よく寝たし。あとさー実は俺海で遊ぶの初めてなんだよねー」
「え。うそ。初耳。なにそれもっと早く言ってよ」
「いや遠出する時って山の方が多いし、バイクだと通り過ぎることはあっても、流石に浜に降りてあははうふふするってわけにもいかないし、大概一人旅行だったし。だからなんかこう、皆で海! とか、ちょうテンション上がんの」
えへへと笑ったサクラは、『有賀さんも隣に居るし』と付け加える事を忘れない。
一瞬でふわりと赤くなった有賀が撃沈している間に、サクラは壱の手を引いてさっさと海に向かった。
今も他人に触るのは怖い。知らない人に触る勇気は無い。
それでもどうにかサクラと有賀とは握手くらいはできるようになった。有賀は壱を気遣いゆっくりと確認するように手を握る。サクラは逆に気にしないと言った風に、無造作に手を握る。どちらの優しさも好きだった。
***
「いちさーん、お洋服汚さないようにねぇ~」
さて残された唯川は、赤い顔をパタパタと手で煽いでいる有賀に、大丈夫っすかと声を掛ける。
「いやー、相変わらずサクラさんのころがし方うまいですねぇーなにあれこわい。おれあんなの壱さんに言われたら死んじゃう」
「ほんとだよ、もう、なにあれ、もー……何度言われても慣れない、のは、僕の所為じゃないと思うんだよねぇ。いい加減有賀さん俺に好かれてるっていう自覚持ってよって、言われるんだけどさ」
「自覚云々の話じゃないですよーねー。あんなの反則」
「同意。……ところで唯くんは一緒にはしゃぎにいかなくていいの?」
波打ち際で大人気なく水に入り、冷たいやら何やら騒いでいる少女の様な二人を眺めつつ、唯川は『あー』と声を出す。
「いやおれねー今結構ガチで舞いあがってるんであんな、ちょうテンション高いかわいさマックスの壱さんの隣に行ったら海を背にプロポーズかましちゃいそうで自重中……」
「……キミ、相変わらずあれだね、ちょっと駄目だね?」
「うーわぁ有賀さんに言われたくないでーすよーぅ。だって海ですよ? もうすぐ夕暮れですよ? みてくださいよあの二人。多分アホみたいにはしゃいで後々ちょっと疲れちゃって三角座りで凭れてきちゃったりして海奇麗だねとかそういう流れになったらもうだめ結婚すしよって言うしかない……」
「うん、うん? うーん、まあ、そうかな。そうかな? 僕は花でも見ながらお酒飲みつつずっと一緒に居ようかって言いたいタイプかなぁ」
「……ちょっとリアルなのが嫌ですねーそれ。言いそう。サクラさん言われそう。そんで笑っていいよって言われちゃうんだくそ。バカップル先輩羨ましいです」
「え。キミ達だって充分なバカップルだよ。とにかく膝枕係お疲れ様。この後バーベキューの準備っていう大仕事もあるから、まあ、ゆっくり壱くんでも見ながら妄想でもして休んでください」
そう言い、有賀は飲み物を渡してくれる。
相変わらず、用意がいいし、気が効く男でずるいと唯川は思った。
「有賀さんってモテそうなのに、なんでサクラさんなんですかねー?」
「さあね。同じ台詞キミに返してあげるよ」
そう言われてしまうと、唯川は黙るしかない。
今まで自分が女子にモテてきた自覚はあるが、確かに、その中で選んだは地味な男子と評されてしまう壱だ。唯川にとって壱は非常にかわいく魅力的な人間だが、他人はきっと首をひねるだろう。有賀にとってのサクラも、きっとそういうものなのだ。
人生何が起こるかわからないよね、と、有賀は笑う。
まったくその通りだと思うから、少しだけ不安になる。唯川はこの先も、壱と一緒に居たい。流石に本気で結婚などは考えてはいないが、出来るだけ、長い時間を共にしたいと思っている。
子供が出来る訳でもないけれど。姓を同じにできるわけでもないけれど。いつか本当にペアリングくらいは買える勇気が欲しいと思っているし、それをひっそりと有賀に打ち明けると、わからないでもないと同意された。
「でもまずキミ達はもうちょっと触れあうことからじゃないの?」
そんな、少しデバガメな助言を頂いてしまったけれど。
「……だって怖いんですもーん。ちゅーは平気みたいで、ガツガツねだってくるんですけど。ちょっと触るとびくっとしちゃって、なんかこう、駄目? 良いの? どっち? みたいになっちゃってー……勇気。勇気ください有賀さん」
「なんなら僕たち夜ちょっと席外す?」
「いやそれは流石に恥ずかしいし壱さんがせっかく楽しみにしてるキャンプなんで結構です。……有賀さんなんでそんなナチュラルにホモになったんですか」
「うん? うーん。なんでだろうね。まあ元々僕たちの場合はサクラちゃんがゲイだしね。でもまあ、相性じゃない?」
「参考にならないー」
「大丈夫だよ。壱くんが一番優しい顔するの、キミの前でだけだよ」
がんばれと背を叩かれて。しかもそんな事を言われてしまうと、またどうしようもなくなる。
今度は唯川が顔を仰ぐ羽目になって、本当に人の事を笑えないと思った。
「さて。僕はじゃあ、あの中に入って一緒に少年になってくるよ」
そんな恐ろしい宣言をして、有賀はサンダルを脱ぎだす。
きっちりと着こんだスラックスをたくし上げ、本当に海の方に行くつもりらしい。
「え、まじっすか。勇者」
「だってなんだかあのままだと僕たちのこと忘れられそうでねぇ……ちょっと、邪魔してこようかと」
「うわあ。心せまい」
「何とでもいいなさい。僕はね、サクラちゃんの事に関しては子供なんですよ」
そんな風ににやり、笑う顔が色っぽく、あーこういうところにサクラは惚れてしまったのだろうと唯川は思った。
「有賀さんダウンしたら誰も飯作れないんで、程ほどに遊びましょうね?」
「あれ、唯くんも結局行くの?」
「うん。おれも便乗して邪魔してやろうと思って」
「結局心狭いじゃない」
「恋なんてそんなもんですよー」
確かに、と、笑って。
駄目な大人二人はまだ少し熱い砂を踏んだ。
夏の終わりの、海の出来事。
End
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