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あまいひとかわいいひと(有賀+壱)

「なんだか廊下が騒がしいですねー」 就業時間直後、今日も終わる見込みがない書類とデータの束をせめて優先順位づけてどれを明日に残すか考えようとしていた壱に、声をかけたのは三富だった。 相変わらず作業スピードは遅いが、効率と手際がいい三富だったが、流石にここ最近は残業に追われている。壱も同じく、二時間は拘束される毎日で、遅番の唯川と同じくらいの時間に退社することもあった。 今日も三富は残業申請を出していたので、おそらく一回休憩をはさむつもりなのだろう。壱もそのつもりで、大人しく三富の入れてくれた珈琲を受け取った。 言われて気がついたが、確かに部屋の外がざわざわとしているというか、やたらと女性の声が聞こえる。 それなりに女性社員も多い会社だが、この時間はみな帰り支度に夢中の筈だ。 熱い珈琲を舐めるように少しずつ口に含みつつ、煩いのは好きではないし、別部署の女性陣は早く帰ってくれたらいいのにと思ってしまう。 別段人間に興味がなかったというよりは、興味を持つ段階になかった壱だが、唯川と付き合うようになってから少しだけ、自分の性格が悪くなったような気がしていた。 女性に囲まれて困った様に笑顔を張りつかせている唯川を見る機会が多い。唯川は仕事柄、客である女性達を無碍にはできないことを知っているので、壱のもやもやした気持ちは比較的女性達の方に向いた。 ああ、また嫌な事を考えている。 そう思う度に少しだけ反省し、ため息をつく。 恋人が居る生活はとても楽しい。充実している。やっと、人間らしい生き方に近づいている実感もある。それと同時に、嫉妬心や他人を値踏みするような気持ちが芽生えてしまい、壱は戸惑っていた。 壱さんは真面目で優しいねと笑う唯川に、申し訳ない気分になる。 汚いとまでは言わないが、自分はあまり褒められた性格ではないのではないか。そう、思ってしまう時もある。勿論そんな些細なことで唯川と別れようなどとは一切思ってはいないが。 恋をするとみんなこんな風になってしまうのだろうか。それとも壱だけだろうか。 居酒屋であの日、唯川の醜聞を垂れ流していたミズキの気持ちも、今なら想像できそうで怖い。 ぼんやりそんなことを考えながら珈琲を傾け、空腹を覚えた。 そういえば昼も適当にパンで済ませてしまった。今日はこの後唯川と会う予定もないし、少しだけ何か食べた方がいいかもしれない。おいしいものとは言わないが、糖分は取りたい。 「ちょっと、コンビニ行ってきます。三富さん何か要ります?」 腰を上げた壱に、三富はそれじゃあとサンドイッチのお使いを頼んでくれた。こういう時に遠慮せずに言ってくれるから、壱も三富に話しかけやすい。 サンドイッチと野菜ジュースと何か甘いもの。それを念頭に財布と携帯だけ持って席を立った。 外はもう初夏で、長袖のシャツを捲り上げないともう暑くてたまらない。 向かいのコンビニくらいならば社員証もそのままに皆外出していた。 廊下に出ると、嫌に女の子が集まっていた。それも、一点に集中しているのではなく、皆それぞれに固まり、きゃあきゃあと声を上げている。 この騒ぎ方に見覚えがある。唯川と外で待ち合わせをすると、大概道行く女性は各々勝手なはしゃぎ方をしながら遠巻きに見ている。まさか唯川が会社の中まで入ってくることはないにしても、うちの会社にそんなアイドルじみた人間はいただろうか。唯川以上の色男が居た記憶がない、というのは壱の盲目的恋心の戯言だとしても、何にしても関係ないことだ。 そう思い、さっさと用事を済ませよう、と歩きだしたところで。 「あ。……壱くん、壱、ええと、名字……安藤さん!」 急に、後ろから声を掛けられた。 知らない声だと思う。低めの、気持ち良い男の声だった。 思わずびくりと身体を揺らし、反射で振りかえった先には、金髪の長身の男が居た。 黒の細身のシャツに、すっきりとしたベージュのチノパンがやたらと似合っていて、思わず見惚れる程だったが、壱にはそれが誰か心当たりがない。 壱の交友関係は狭い。 冗談ではなく本当に友達は居ないし、ほとんどは会社と精神科と唯川で構築されている。こんなに目立つ美青年は絶対に知り合いに居ない、と確信を持ったがどうにも、見たことがあるような気もする。 首を傾げつつ、女子社員たちの視線を感じつつ、こちらに向かって速足で歩いてくる男が目の前に来た時にやっと思い出した。 「あ。……ルーシェの、広告の、方……?」 「その認識あまり嬉しくないけど正解です。どうもはじめまして有賀と申します。唯川くんにはいつもお世話になってます。……今日たまたまね、この会社に打ち合わせに来ることになったっていう話、たまたま唯くんにする機会があったんだけど、そしたらうちの子の会社ですから始まって早大な惚気を聞かされました。あー…会えてよかった。実はすごく困っててね」 思ったよりも喋る男は、無表情に近いささやかな笑顔を傾けて、まだ状況がよく掴めていない壱を置いてけぼりにどんどん話を進め、そして情けない声でひそやかにささやいた。 「……会議室ってどこかわかる?」 まさかの迷子発言に、壱の緊張は一気にほぐれてしまったというのは、有賀には内緒にしておいた方が良いのかもしれなかった。 * * * 「いやーもうね、会社って迷路だよ。迷路。迷宮。壱くんが居なかったら僕はきっとあの巨大なジャングルで餓死しているか飢えた女性陣の獲物にされていたよね。持つべきものは知り合いだと思う。大変お世話になりました」 深夜までやっている喫茶店の向かいの席で、有賀は珈琲に口を付ける前に頭を下げ、自己紹介をすませた。 迷子になってしまった有賀を会議室まで案内し、コンビニで食料を調達し、三富含め何人かの同僚と残業をこなし、二十時を回った頃に会議が終わったらしい有賀がひょっこりと壱の部署に顔を出した。 もう切り上げようと思っていた壱は、良かったらちょっとお茶でもと言う有賀の誘いを受けることにして、不思議な気分で連れだって会社を出た。誰かと一緒に、会社のエントランスから出るのは初めてだ。 三富には『お知り合い?』と声を掛けられ、少しだけ言い淀んでしまった。 無難に友人の友人です、と伝えたが、まあ、概ねきっと間違っていない。どんな交友関係があるんだと、思われていそうで少し怖いが。そのくらい、有賀はインパクトがある人物だった。 まず良く見なくとも美男子なのに、良く見れば更に奇麗な顔をしている。唯川はきっちりとしたメリハリのある顔だが、有賀はすっと整った甘い顔だった。まつ毛が長く、肌も白い。もう少し身長が無ければ美少年と言えるかもしれないと思っていたのに、二十八歳だと言われジンジャーエールを吐きそうになった。 「……見えません。唯川さんと同い年くらいかと思いました」 「あー、うん、まあ、たまに言われるけどねぇ。でも唯くんも充分やんちゃな見た目だよね。喋ってみるとすごくしっかり社会人って感じで、線引きがうまい人だけどね。あと彼、インドアなのに妙に体育会系精神っていうか。歳上には敬語! って感じ、崩さないよね。別に僕は、もうちょっと砕けて喋ってもらってもいいんだけどさ」 初対面だというのに随分と砕けた喋り方をする有賀だが、不思議と嫌味に聞こえない。 基本は丁寧だし、礼儀がしっかりしているからかもしれない。 大人気なんだよこの広告、と、唯川が見せてくれたルーシェのポスターの有賀は、もう少し人を寄せ付けない雰囲気の男だった。そんな素直な感想を告げると、甘い顔がふわりと苦笑いに変わる。 妙に魅力的な人だ。その気もないのに、どきどきしそうになる。 「あれね、頼まれて、代役だったんだけど、随分評判いいからって、どんどん広告に使われちゃって、いやまあ、一度引き受けた身だし良いんだけどねー……思いっきりアイシャドウひかれるし、挙句口紅まで施されそうになって久しぶりに本気で逃げたよ。唯くんって、ビジュアル系すきなの?」 「え、そんなこと無いと思……あ、でも、どうだろう。たまにそれっぽいの聴いてるような気がしないでも、ないです」 「その割に本人カラフルモード系だし、壱くんはロキノン男子系だよねぇ。なんで僕ビジュアル系にされたんだろう」 それは多分似合うからだとは思ったが、遠い目をする有賀がなんとなく可愛いような気がして黙っていた。 それに、有賀の言葉の端がひっかかった。そういえば、壱の惚気を聞いた、というような事を言っていたような気がする。唯川とは知り合いを通して友人のようになったと言う話だったが、どこまで自分の話は伝わっているのか。 不安に思ったのが顔に出たのか、察しの良い有賀は頬杖をついたまま静かに笑った。 「……ああ、ごめんね、ええと。そんなに警戒しなくてもいいよ。僕は唯くんとはとても仲良しと胸を張って言える程長い付き合いでもないけれど、まあ、似たような趣向? に走っちゃって落ちついちゃった仲間として、たまにだらだらおしゃべりしたりしている仲です」 「似たような趣向……」 「うん、そう。恋人の性別的な意味でね?」 「あー。……はい、なんとなく、納得しました」 「え。僕そんなにゲイっぽい?」 驚いたように目を見張る有賀に対し、壱はまったりと首を傾げる。 「というか、女の人が苦手っぽい、というか、あ、すいません」 「いやいや、別に良いけど、そっかー。まあ、苦手かなーどうだろう。前はそうでも無かったけど、今はほら、恋人とその他人間みたいな気分になっちゃうんだよね。まあ僕が女子にちやほや囲まれようが何しようが、結構大人に流してくれちゃうのがたまにこう、もっと嫉妬してもいいのよって思わなくもないけどねー」 「……嫉妬って、嬉しいですか?」 そっと表情を伺い訊くと、有賀は珈琲を一口含み、そうだねと笑った。珈琲カップが嫌に似合う人で、つい見とれてしまう。 壱は最近嫉妬ばかりで、もうすこし寛容でありたいと思っていた。 けれど有賀は寛容な恋人に、もっと嫉妬してほしいと言う。 「女の子にきゃあきゃあ言われる有賀さんカッコイイし好きだよって、言ってもらえるのって、ものすごくすごいというか、愛されてるなって思うけど、そうだね、たまには『でれでれしやがってばかしね』とか『あんたはおれのものなんだから』とかそういうの、言われてみたいよねぇ。だって想像してごらんよ。例えばね? 今日壱くんと仕事してた……ああそう、三富さん? 彼女と一緒にたまたまランチをしていたとします。その時に唯くんがキミ達を見かけて、二人きりになった時に『壱さんのばか浮気者』って拗ねたら、面倒だけどすごくかわいいでしょ?」 「…………やめてください、顔が、にやける……」 素直に想像してのぼせ上って顔から火が吹くかと思った。 そんな壱の反応を相変わらず柔らかい表情で見守っていた有賀は、しみじみと頬杖をついたまま凝視してきた。まっすぐと人を見る人で、やはりイメージと違う。 「壱くんかわいいねぇ。ちょっと、唯くんがハマるのわかったかもしれない」 そしてそんな不穏な事を言う。 え、と思ってまた変な熱が上がったが、この人が怖いとか気持ち悪いとかは思わない。先程の惚気のような恋人へのささやかな不満はとても可愛らしく、壱と二人きりの時の唯川の様な甘さと柔らかさで満ちていた。 この人の恋人は、きっととても素敵な人なんだろうと思えたし、だから身の危険などは一切感じない。ただ、かわいいと言われたことに対して非常に照れてしまっただけだ。 昔は何か褒められても、そんなことはないと頑なに思っていた。 けれど最近は人の言葉を素直に受け取る努力ができるようになってきた。褒められた時は、嬉しいと思う。かわいいという表現は男に対してどうなのだろうとは思うが、唯川が飽きることなくかわいいかわいいと連呼するし、また自分も唯川の事をかわいいと思うので、なんとなくわからなくもない。 六つも上の美男子にかわいいと言われてしまうと、流石にそわそわする。 真っ赤になる壱の様子を微笑ましく眺め、有賀は優しいトーンでまったりと喋る。 「……壱くんがかわいい反応しちゃうから、なんだかちょっと、僕が口説いてるみたいな構図になってきちゃったねぇ。お互い怒られないうちに、帰ろうか。って思わなくもないんだけど、こんな機会めったにないだろうから、もうちょっと僕はきみと喋ってみたいなぁ。ほら、壱くんも唯くんの話とか、あんまりできないでしょ? たまには恋人の惚気を思う存分吐きだすのも、気持ち良いんじゃないかなって思うんだけど」 ね? と首を傾げる有賀は、多分タラシだと思ったし、きっとこの人の恋人は、なんだかんだ言ってとても嫉妬しているんじゃないかなと思った。 だってこんな風に微笑まれたら、嫌でもふわりと熱が上がる。あまり派手な笑顔ではないが、静かで柔らかい表情は色っぽくて良くない。 「……有賀さん、タラシって言われませんか?」 「え。やだ、何急に。ちょう言われますけど。……僕そんなにタラシっぽい?」 「とても。でも俺、ええと……有賀さん、好きです」 「…………壱くんも充分タラシだよ、もう。かわいいなー」 弟に欲しい、とまで言われてしまい、壱は素直に嬉しくて笑った。 どうにも不思議な人だし、不思議な出会い方をしてしまったけれど。 ぜひともこの人との縁は大切にしたいと思ったし、有賀の恋人である男性にも会ってみたいと思った。唯川に頼めば、機会を設けてくれるだろうか。そしてその時に、少しだけ嫉妬もしてくれるだろうかと考えて、また熱が上がる。 嫉妬も、そんなに悪い感情ではない。確かに、良いものではないけれど、思い悩むくらいなら、ちょっとだけちらつかせて、甘える道具にしてしまえ。 そう助言する有賀の言葉に従い、次に唯川に会う時には、少しだけ、膨れてみるのも面白いかなと思いながら壱は氷の溶けたジンジャーエールを飲み込んだ。 End

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