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いいわけばかり(海燕×千春)
だって、本を開くと文字に集中しちゃうんです。
「……あの、春さん」
「んー」
「あの、あのですね。あのー……非常に、とても、かわいらしいんですが、そのー……ボクの貴重な部屋着が伸びてしまうのでやめていただいてよろしいでしょうかその引っ張るの」
「んー。んー……どうしよっかな……」
なんて、春さんは聞いているのか聞いていないのか理解しているのかいないのか全くもってわからないのほほんぼんやりとした声であいも変わらずボクのちょっとだけよれた量販店で適当に買ってきたロングティーシャツの袖をくいくいひっぱりながら笑った。
ああもうかわいらしい。
かわいらしいけれども、本当にシャツが伸びてしまう。
ボクという人間は本当に仕事着以外はろくな服を持って居なくて、休日に外に出る時も面倒だからスーツを着てしまう程だ。それは部屋着だって例外ではない。仕事帰りはそのまま面倒でシャツのままの事が多いし、風呂上りに服を探すのが面倒で同じシャツを羽織る事さえあった。
今はそんな事しないけど。海燕くさい、なんて言われたらボクのわりと弱いハートが砕けてしまうもの、なんて笑ってみるけれど実際は春さんがボクのシャツ類や洗濯をいつも奇麗に整理してくれているからだ。
できるお嫁さんをもらった気分。いやまだ同居もしてませんが。それは一生懸命口説き中ですが。
同居の件は置いといて、可愛い上にできるお嫁さん的イケメンなボクの恋人春さんは、ソファーの上で単行本を開くボクの袖を、さっきからぐーいぐーいと引っ張ってくる。
春さんはソファー下の床に直に座っていたから、ボクの組んだ足の横に頭がある。
なんでも珍しく見たい映画が地上波で放送するとかで。ぼかぁ基本的に夜九時あたりに放送するタイプの映画に興味ないもので、へーそうなんですかぁと言いながら邪魔しないように読書に徹するつもりだった。
積んでる本は山ほどある。
お気に入りの作家の新刊はその日にうきうきと読み切ってしまうのに、ちょっと気になるなぁと思って買った本はどうも、開くまでに時間がかかる。
開いてしまってもモノガタリが身体にしみこむまでの時間も長い。面白いな、と思ってからは早いのだけれど。最近は特に、今まで読書に充てていた時間を春さんを口説く事に使っているものだから、ベッド横に積んでいる本はどんどん高くなる一方だった。
今日こそは、と、手に取ったのは初期の作品は全部読んでいる作家の新刊だ。
時系列を混ぜるのがうまくて、登場人物の描写がとても面白い。
一ページ目をめくるまでに時間がかかるだけで、読み始めるとボクは早い。どんどん、文字が頭の中に溶けていく。集中すると、周りが見えなくなると、よく社長にも言われる。事務作業に没頭すると、確かに日が暮れていることも多々ある。
ハッと気がついたのは、本を持つボクの指先をカリカリと爪の先で引っ掻くむず痒い感覚だ。
勿論、この部屋にはボクと春さんしか居ないわけだから春さんだ。
でも、普段春さんはそういうなんかこう、なんていうのかなぁ、可愛らしいというか可愛らしすぎることはしないというか、いや春さんはとても毎日スペシャルに可愛らしいんだけど仕草的にはごく普通の男性だから極端にかわいこぶったりする人じゃない。
春さんの視線はテレビに向かっている。頭もこっちを向いていない。
でも、爪はボクの手をカリカリしてるし体重はなんかこう、ボクの足にぐったりよりかかってるし、そのうちズボンとかシャツとかをくいくい引っ張り出してもうなんなのなんなのって、ついに耐えきれなくなって本にしおりを挟んだ。
「もおおお……映画観てるんじゃないんですか春さんどうしちゃったの……!」
「え。観てる観てる。観てるけど、なんか思ったより面白くないというか思ってたのと違うというか、別に今観なくても良かったかな、というか……ええと、うーん。なんだろ、海燕が思ってたより読書に集中してて、なんか寂しかった……のかな?」
「どうして疑問形なんですか可愛いですね全くもうっていうかなんですかそのトンデモ可愛らしい理由! 全く春さんらしくないですが個人的にはそんな春さんも有です!」
本を横に放り投げて、ソファーの上から春さんに覆いかぶさってぎゅっとする。
苦しそうな春さんは本当にもう映画に興味はないらしく、抱きしめるならそっち行くからと笑ってテレビを消した。
隣に座りなおした春さんの身体は少し冷たい。
もう夏も終わるなぁ秋だなぁなんて、こんな些細なことで季節に思いを馳せるのもあまりなかった経験だ。いつもボクは驚くほど一人だった。
「あー……アレだなぁ、なんかこう、海燕っていつもずっと喋ってるっていうか、ほら今のこの感じ。うん。だから。なんか、静かに本に集中してるの不思議だったし構ってほしかった……のかも?」
「だからなんで疑問形なんです」
「いや、おれあんまり他人と一緒に居ないから、隣に誰かいるのが当たり前っていうのがしみじみ不思議だし、一人でぼんやりするの嫌いじゃない筈だから寂しいなーなんて感じるの、結構稀だし。本に嫉妬とか、少女漫画かよってあはは、あーこれリリカさんに笑われるやつだから絶対言わない」
「言いませんよボクだってこんな可愛い春さんはボクだけのものですよ。少女漫画だってこてこての恋愛映画だってハーレクインだってかまいませんどれだけ使い古された展開でも言葉でも構いません好きなら全部おーけーです可愛いですすこぶるかわいいです。でもすごくいいところだったんです小説が。ていうかほんと、あの、春さんすこぶるかわいいのですけれどせめてこの一章が終わるまでもうちょっとだけ待っていただくということは――」
「……おれより本?」
「春さんがいい」
「ふはは。冗談だよ、読んでて良いよ。おれは勝手に海燕で遊んでるから。なんかね、ちょっかいかけても反応が鈍いっていうのも面白いかも。海燕、いつも全力でアクション帰ってくるから。真剣に集中してて、生返事なの、おもしろいなーって。あと、真面目な顔かっこいいから好きだな」
いきなりそんな褒められると、自分に自信がなさすぎるボクは本当にどうしていいかわらなくなってあーとかうーとかいう言葉さえ呑み込んで無言で沈んでしまう。
ああもうなんて可愛らしくないボク。もっと格好良く、さらっとそうでしょうそうでしょうと胸を張れたらいいのに、全くもって自信がない。
恥ずかしい。嬉しい。そんな風に、喋らない笑顔でもないボクを、魅力的だと表現してくれるのが恥ずかしくて嬉しい。
「……春さんはほんとにいつもいつでもかわいいのにかっこいい方ですよねぇ……ボクの恋人なんてもったいないけど死ぬまで離しませんって再度誓った」
「おれだってそうだよ。海燕はかわいくてかっこよくて結構ダメで好き。でもおれは、死んでも離さないかもなぁ……海燕の隣、心地良いから」
ごろん、と、ボクの膝の上に春さんの頭が乗る。
うううううかわいいかわいいしんでしまうしんでしまう。
あーあーしながら腕と手で熱い顔を隠していると、膝の上からうははと軽い声が響いた。春さんの笑い声は、いつも軽くて柔らかい。本当に春のような人だ。
「海燕ほんっとおれの愛になれないね。……あ、本読んでていいよ。おれはちょっと恋人かわいーなぁって気分が高まってきたから勝手にちょっかいだしてるけど」
「そんなかわいいちょっかい出されたらもう集中していられませんばかばか好きです今日も好きです明日も好きです春さんかわいい大好きです」
「知ってた。……読書邪魔しちゃったなー。ごめんね」
でも、はいえんがかわいいからしかたない、なんて笑うから。
ボクはもう、残りの血液が全部顔に集中してしまったんじゃないかと思ってもう一回天井を見てから仕返しのように抱きしめてキスをした。
だって、貴方がかわいいと恋で世界が埋まるんです。
end
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