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マシュマロココアと憂鬱美容師(唯川とオーレリー)01

師走というのは本当にアホみたいに忙しいもので、その忙しさだけならばまだしも、何に焦っているのか世界人類の余裕が比較的品薄になるらしい。 というのは、毎年毎年実感するしだからといって対処法がないことだった。 「……どうしたの唯くん。珍しく見るからにだめそうじゃない」 お仕事の依頼の用事で、有賀デザイン事務所の扉を叩いたんだけども。 奥のデスクからでてきた有賀さんは目を見開いてきょとんとした表情をつくった。 あんまり見ない顔だ。この人はいつもまったりぼんやりしているっぽい外見だから、わぁ有賀さんもびっくりしたときは口開くんだぁうははなんて思ってしまう。うん、知ってるおれはとても疲れている。自覚はある。 比較的自覚のあるげっそり感があったおれは、苦笑いも面倒でマフラーで口元を隠す。 書類の入った封筒を受け取りながら、ソファーを勧められたけどすぐ帰るからと断った。 「どうってこともないんですけどぉ……まあ、年末って人間ぴりぴりしてますよね? みたいな案件が積み重なっていい加減人生しんどいみたいな思考に火がつきそうでー……あ、ゆきちゃんおれすぐ帰るからお茶とか気にしないでー」 「まあ、きみは、平気な顔してても結構どんどんため込んじゃうタイプだろうけど。にこにこ笑っているのが義務みたいなところあるのに。……ちゃんと寝てる?」 「うはは、それ有賀サーンに言われたらおしまい感ある~けどぶっちゃけ寝れなかったっすねぇ昨日ちょっと日々のばたばたプラスお客様にわりと本気で詰られる理不尽事案発生でーなーんかもうぐるぐるしちゃって。いや、おれが何かしたってわけでもないんでへこんだところでどうしようもないんですけどー」 本当に、普段だったらまあこんなこともあるわなぁ人間十人十色ーとか言い聞かせてどうにか忘れることができそうなことばかりだった。 バイトの子のミスでお客様の予約が被ってしまった。確実にこちらが悪い。確認しなかったおれたちも悪い。それは怒られて当然だ。謝るしかない。 お客様のお洋服にカラー剤が飛んでしまってシミが消えなくなった。カラーをしていたのはおれじゃないけど、後々それに気がついたお客様が乗り込んできて、それに対応したのはおれだった。これもどう考えてもこっちがわるい。謝るしかない。 謝るのは当たり前だけど、余裕とか思いやりとかが師走で一気に持って行かれたようなお客様方はわりと本気でおれを詰ってくださる。 怒るのはわかる。謝らなきゃいけないのはわかる。 でも正直なところ、誠心誠意頭を下げても、「生意気ね」なんて言われたらもう泣きそうになっちゃうでしょって思う。そのうえミスした子やらが『たかだあれだけのことでそんなに怒らなくてもいいじゃないですか』とか零すからより一層もやもやが溜まる。 いやいやお気に入りのお洋服を汚されたり、予約した筈なのに無駄になったりとかしたら、そりゃ怒るよそういうもんだよ。言い方きつい人が多かったけど、実際にミスした本人がそれ言っちゃいけない。おれとかチーフがフォローで言うならまだしも。 キミは黙って反省しなさいという言葉を飲みこんだのはチーフにはばれていて、ゆげちゃん今日はもう上がっていいよごめんねとフォローされてしまった。全くもって面目ない。 「ご飯は食べた?」 近所のおばちゃんみたいな心配のされ方して、普段だったら笑えるのになんか心配してもらって申し訳なくて涙ぐみそうになったからおれほんと今日だめだ。 「食ったら吐くと思って」 「……軽くて甘いものでもつっこんどいた方がいいよ。食べない寝ないってのはよくないから。壱くんは?」 「この週末は実家に帰省中。妹ちゃんがご懐妊らしくてー。おれも誘われたんだけど、残念予約がいっぱいでとてもお休みとれる状態じゃなったんでーすというわけで壱さん我慢二日めでーす」 「あー……それも、原因かな。唯くんはほんと、言わないと溜めこんじゃうし、言う人が限られてるだろうからね……」 御名答すぎてぐうの音もでない。まったくもってその通りだ。 なんかほんと人生の転機レベルの何かがあれば電話なりなんなりするんだけど、憂鬱は些細なことばかりで、わざわざ壱さんに連絡をとるほどでもないのは本当だ。何おれへこんでんの? っていう接客やってたらよくあるしかも自分悪くない案件ばかりが襲ってくる。 ちりも積もれば山となるというのを実感する。こんなことで実感したくない。できればおれの人生は平坦であってほしい。山なんざ要らない。そうはいかないことは知ってるけれど。 「うちくる? お酒くらいなら付き合うけど」 「あー。行きたい、って言いたいとこですけど明日おれ早いんですよーう。今有賀さんちで飲んだくれたら絶対明日二日酔いだもん……また今度誘ってください忘年会しましょー忘れようこの世界のしらがみ」 「ほんとダメっぽいね。あの、無理そうだったら電話でもして。シナくんも、明後日くらいからは暇だって言ってたし。忘年会はしましょう。……あ、あとちょっと待って。渡したいものがある」 思い立ったように自分のデスクまで戻り、なんだかがさごそした有賀さんは、一冊のでかい本を持って帰って来た。 写真集? 画集? と思ったけどやけに薄い。あ。これ絵本だ。そう思ったのは表紙のちょっと独特な色鉛筆絵を見た時だった。 「あげる。唯くんたしか、はるくさ先生の絵本好きでしょう? じゃあ、これも好きかなって思って、この前資料と一緒に買っちゃったんだ」 はるくさ、という名前の絵本作家の本を見たのは木ノ瀬先生の病院の待合室で、独特な色遣いの絵が結構好きで、中身もなんていうかじんわり切ないっていうか言葉のチョイスが不思議でヒトメボレしてしまった。という話を確かになんかどっかでしたかもしれなかった。 有賀さんが渡してくれた絵本は横に長い。 ふんわりした絵柄は不思議でおもしろい。多分マグカップに浮かんでいるのはマシュマロだ。そいつにはぼんやりと間抜けな目と口がついている。 表紙にはアルファベットが並ぶ。おれは英語あんま得意じゃないけどそんなおれでもわかる。これ英語じゃない。ちがう。絶対違う。laとかついてる。絶対英語じゃない。 「……おふらんす語……?」 「うん。フランスのね、オーレリー・コラールっていう作家さん。日本じゃ翻訳されてないから、中身もフランス語なんだけど翻訳のメモつけといたから読めると思うよ。タイトルは『マシュマロと憂鬱』」 「え。いいんですかもらっちゃって。なんかおれ好きそうだけど。ほんといいの?」 「かなり遅いけど、誕生日プレゼントだと思ってくれたらいいかなって。包装もしてなくて申し訳ないけど」 「おれ、有賀さんに何もあげてないのに……」 「僕の誕生日、みんなで買いもの行って選んでくれたんでしょ?」 嬉しかったから、と笑う金髪王子社長の腕には、サクラさんが二時間悩んで買った腕時計が巻かれていた。 確かにわりと大変だった。デザインが良いやつはめっちゃくちゃ高くて、おれとシナシナはお値段的な意味でかなり悩んでいたんだけど、サクラさんは値段なんか気にすんな百万とかじゃなきゃ出せるとか言っててほんといろんな意味で怖かった。怖すぎてめっちゃ高いけどめっちゃかっこいい、みたいな時計を視界からカットするのが大変だった。 でも、楽しかったなーと思いだす。おれは本当に友人ってやつがほとんどいないから、誰かの誕生日プレゼントを誰かと一緒に選ぶ、なんて生まれて初めてだったかもしれない。 楽しかったのにお礼を言われて、その上プレゼントまでいただいてしまった。 嬉しいのに鬱が加速してもう申し訳なさがやばい。 「忘年会の時におれ有賀さんになんか買ってきますー……えー、嬉しい……申し訳ない……」 「あんまり気にしないでいいよ。それ、僕が好きだったから好きの押しつけみたいなものだからね。中身もいいけど、後がきがとてもいい」 「あとがき?」 「うん。一番最後にね、『感想は何語だってかまわない。頑張って読むからどんどん欲しい。我慢も配慮も全くもって不要なものだ。ただし返事はフランス語になる!』って書いてある。僕ね、あーこの人好きだなって思ったんだよね」 かわいいでしょ? と小首を傾げるイケメンに、ちょっとというかかなり気を使われているのが分かって、泣きそうだったけどじわじわと嬉しくて、一刻も早く家に帰ってこの薄い絵本を開こうと思った。 ふらふら人生に疲れてぼんやり泣きそうな顔晒していたら、マシュマロに顔が付いている絵本を貰った。 これが、オーレリー・コラールの絵本との出会いだった。

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