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マシュマロココアと憂鬱美容師 02
珍しく、憂鬱が続いているようだったのに。
「……どしたの。急に元気じゃん」
今朝まではまるでゾンビのようだった同居人は、俺が一日の仕事を終えてくたくたになり帰宅する頃には何故か急にテンションを取り戻していた。クリスマスも間近な寒い夜だというのに、真夏の向日葵のようだ。
オーレリー・コラールは絵本作家で、そして本人曰くあまり売れていない。きちんと本屋に並んでいるのだから、自称と言う程ではないにしろ、確かに彼が裕福かと言えばそんなことはないから、まあ本当に売れてないんだろうなと思っていた。
別にオーレリーの絵本が売れていても売れていなくても、俺の生活はあまり変わらない。オーレリーはいい奴だし、彼の描く絵も話も、俺は好きだった。金が無さ過ぎて同居を解消して田舎に帰る、などと言われたら流石に動揺するだろうな、と思うくらいには俺達のルームシェアは好調だ。
ただ、作家業の彼は時折酷く凪いだ気分になる時があるらしい。
ナーバスになると、オーレリーはベランダで星を見ながらココアにマシュマロを溶かす。そしてゆっくりとどうでもいい事に意味を見つけるような言葉を零す。その作業に半ば強制的に同行させられるのは俺か、それとも屋根裏のシュクレさんなんだけど、オーレリーの言葉は不思議なポジディブ感に満ちていたから決して憂鬱な時間じゃなかった。
本人はナーバスになっても、彼は世界を恨んだりしない。まあ、そういうこともあるじゃないか、だから愛おしい人生じゃないか。そんな風にココアをかき混ぜる事が出来るから、柔らかい話が描けるんだろうなと思う。
いつもは二日くらいで復活し、さあ新しい世界を作るぞと陽気に筆を持つオーレリーだったが、今回のナーバスは結構長かった。
なんで、とかそういう理由はあんまりないらしい。ほんの少しの心ない通行人の言葉だとか。夜の肌寒さだとか。雨の音だとか。そういう憂鬱なものが溜まり込んだのさ、と苦笑いを零していたけれど、流石に俺もシュクレさんも心配していたところだった。
それが、今は全くどういうことだ、と言うくらいに元気にパソコンに向かっている。その横には辞書を片手にベッドの上にさんかく座りをするシュクレさんがいた。
うわぁシュクレさんかわいい。俺、シュクレさんがこう、きゅっと縮まってるの好きなんだよなぁなんて勝手にほわほわしていたら、元気すぎるオーレリーがヘイアンリと俺を呼ぶ。
「いいところに帰って来たぜ救世主! 今日ほどアンリの帰りを待っていた事は無いかもしれないってくらいに、首を長くしていたんだ。さあこっちに来いよそんなところに突っ立っていたら寒い! ムッシュ、ちょっとそっちに寄ってアンリを君の隣にちょこんと座らせてやってくれ!」
「……おかえりアンリ」
辞書を抱えたまま、きゅっ、きゅっと横に動く最高に可愛らしいシュクレさんにきゅんとしたけれど、なんだかオーレリーが俺に用事があるらしい。ただいま、とほほ笑んでからシュクレさんの横にすとんと腰を下ろす。
「で、何だよ。何でそんな急に元気なんだよ、ついにドーピングでもしたの?」
「薬に頼るなんざつまらない人間のつまらない手段さ。世界はこんなにも歓喜と憂鬱に満ちているっていうのに、わざわざハイとロウと演出しなくたって人生ジェットコースターだ!」
「…………日本の読者からね、感想が来たんだって。Guimauves et mélancolieの」
「へー。あれ、日本で出版されてたの?」
「まさか! 俺の本がサムライの国で翻訳出版されているなんて俺だって知らないことだ。そんな事が起こっていたなら例え作者に無断だろうが正直嬉しいね! 一人でも多くの人間に俺のマシュマロが届くのは何よりも嬉しいことだ。しかし、残念というか更に嬉しい事にというか、このジャパンの友はフランス語の本を読んだらしい。全く、なんて嬉しいことだ!」
「あー。それで、オーレリーのテンションはマックスなのか」
「マックス? 馬鹿を言え限界なんかもう超えている! こんなに嬉しい事があるか? しかもこのムッシュ・コワフーはフランス語に明るくもないらしい。友人から貰った本に感動して、どうにかこの気持ちを伝えたい……というところまでは解読したんだ。全く誰だ、何語でも構わないなんていうふざけたあとがきを付け加えたのは。あんな一文があったおかげでこんなにも辞書をめくるのが楽しい」
コワフーとは美容師のことだろう。フランス語のオーレリーの絵本を手に入れたのは、日本の美容師の青年らしかった。確かにオーレリーの絵本はちょっと大人向けだ。しんみりと悲しくて、ふわりと暖かい。子供よりも大人に好まれる気がする。
とぼけた顔のマシュマロがココアに浮いて、いろんな人の憂鬱を食べてしまうあの絵本も、俺は好きだけど子供にうけるのかはわからない。
おじいさんが死んだのよ、という大きすぎるおばあさんの憂鬱を食べきれなくて、一緒に泣いて自分の涙で溶けてしまうマシュマロの最後は、切なくてすこし優しい。
オーレリーのPCに並んでいたのはまずは英語で、その下に懐かしい日本語が羅列してあった。
フランス語はわからないが、英語はどうにかなんとなくそれとなく作ってみたけれどあってるかわからない、一応日英文で書く旨が丁寧に書いてある。美容師さんって、確かに日本じゃ接客のエキスパートみたいな感じだ。人を不快にしない単語を選ぶのがうまいみたいなイメージがあって、だからなんか、文面からもやわらかい日本語が伝わって来た。
「ジャパンの文字は面白いな。マッチで描いたようなものと、よれよれの糸みたいなものと、そして中国語が混ざっている。これは一体なんて意味なんだ?」
「それはアンタの名前だよ、『オーレリー』。この人すごく丁寧だね。こういう文章を書くのは初めてだけれど、とても感動したからあとがきを信じて言葉を送るって事が書いてある、かな。ちょっと待って、俺翻訳とかしたことないから、時間かかる……」
自分の考えたことを言葉にするのと、今ある文章を正確に変換するのとは随分と違う。
ニュアンスみたいなものもあるし、そもそも俺はちゃんとフランス語をしっかり勉強したことはない。
現地で覚えたスラングとか、雰囲気で理解してる言葉がわりとある。最近ようやくちゃんと覚えないとやばいなーと思って、クレマンさんの本とか借りてシュクレさんの部屋で勉強してたりするくらいだ。
「あー。これ、ちゃんと訳したいから、ちょっとプリントアウトしてよ。明日休みだから、オーレリーが起きるまでにはどうにかしておくよ」
「本当か! なんて同居人思いの料理人なんだ、アンリ! 今そこにムッシュがいなければ俺はお前をだき抱えてくるくると部屋の中をダンスしてそしてキスを一発お見舞いしていたところだ!」
「シュクレさんが居なくても勘弁して。嬉しいのはわかるよ。……俺も嬉しい。あのマシュマロの話はさ、もっとみんなに読んでほしいから」
ざっと目を通した感想文は、固くて丁寧すぎてなんだかかわいい。この人、ほんと緊張してんだなぁでも、言いたかったんだなぁって微笑ましくなる。
細かくここが、そこがと書いてあるところはとりあえず宿題にすることにして、最後の結びだけをなんとなく、俺流に翻訳した。
「あなたのマシュマロに、僕も憂鬱を食べられた。今夜はあなたのお陰で眠れる。だってさ」
「――俺こそ今夜は眠れると感謝をしたいところだ。忘れていたな、誰かに読まれる為に何かを描いているということを。思い出したぞ、そうだ、ただ描きたいだなんてそんなのは理想さ。読まれたい。そして心に残りたい。そういうものが俺は描きたい」
歌いだしてしまいそうなオーレリーの言葉は力強く、そしてやっぱり少し優しいから不思議だ。
いい奴なんだよなぁと思う。いい奴だし、いい話を描く。俺も彼の絵本が日本の誰かの心に残ったことが嬉しく、くるくると踊りだしそうなオーレリーを苦笑いで見つめてシュクレさんと笑った。
「メールアドレスに返信するならそこの翻訳まで付き合うよ。オーレリー、英語も怪しいだろ」
「全くもってこのシェフは恋人に甘いだけじゃない。キスの代わりにアンリのココアにマシュマロをとかそう。今日のこの幸福な気分を表現する飲みモノは、マシュマロココアしかない、なあそうだろう?」
こっちの返事も聞かずに、オーレリーはココアを淹れだす。
甘い香りが満ちて、空気がふんわりと冬の気配を持った。夏はスカッシュを飲んでいる男だから、この香りが満ちるとああ冬だと思う。俺もすっかり、この部屋の生活に慣れてしまった。
柔らかいマシュマロをとぷんと浮かべる。
疲れも憂鬱も食べてしまうオーレリーのマシュマロだ。
「――日本のムッシュ・コワフーが、明日もよく眠れるように祈って」
乾杯の言葉までくさくてかっこいい。全くその通りだったから、俺も祈ってと付け加えて甘いココアに口をつけた。
口うるさいオーレリーのマシュマロココアが、遠くの彼の憂鬱を食べた話。
end
オーレリー・コラールは『屋根裏のシュクレさん』の登場人物です。
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