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鷹と蝶(鷹栖+アゲハ)

「あれまー、懐かしい顔じゃぁねえの!」 カウンターに座る見慣れない派手な髪色の男を訝しく眺めたの二秒程で、三秒後にはそれが若干関わった事があるひょろ長いおにーちゃんだと言う事を思い出していた。 相当気さくに声を上げた筈なのに、振り返った青年はわかりやすく半歩身体を引かせて緊張を一身に滲みださせる。 まぁね、俺もね、気さくにハイタッチとか返されちゃぁ困るけどね、もうちょっと仲良く楽しく挨拶をしてくれてもいいじゃぁないの、と内心よぼよぼしながら彼の横の席によいこらしょと腰かけた。 相変わらずちょこっと変な雰囲気の店だ。 中国風だかアジア風だかどこ風だかよくわからないし、まあ別に知らなくても良いと思うし、そこに愛おしい蝶が居れば俺は正直どうでもいい。 その蝶は今日も麗しいアオザイ風の洋服を纏い、俺を見るときりりとした細い眉をこれでもかと寄せた。 笑顔で迎えられた方が気持ち悪い。蝶の渋面は親しい証拠だと思う事にしている。 「……お疲れ様です鷹栖さん。今日はまた、お早い時間ですね」 「遅い時間だと容赦なくお店締めるでしょ。今日はのびのびゆっくりと酒と美人を堪能したい気分だったのよ。つうか、あー、そっかそっか、俺が紹介したんだっけかぁ、忘すってたわ。どうよ亮悟ちゃん、その後彼氏は元気? 鬱ってない? あのクソホストからなんもない?」 全身からまったく力を抜かない青年は、幾つだっけか、確か二十そこそこだった。 若ぇ割に割合度胸がある。だが、怖いもんをきちんと怖いと言える、妙な素直さもあって、個人的には本気で気に入っていた。この再会がそこらへんの路地だったなら、俺は確実に亮悟ちゃんの腰を抱いて組に誘っていた。応、と言われる事は95パーセント無いと知っていても、ビビりながら俺に逆らう亮悟ちゃんが見れるのは美味しい。 流石に鳥翅の中でそれをやる度胸はないが。 何と言っても、カウンター向こうには蝶が居る。 アゲハ、と周りには呼ばせている。俺が付けた名前でも、本人が付けた名前でもない。それでも他に名前もないもんだから、アゲハはいつまでたってもアゲハのままだった。 俺の注文も聞かずに、アゲハは勝手にウイスキーのボトルを開ける。 亮悟ちゃんの手元にはビールの瓶とグラスがある。 「ギネスか~悪かねえけど俺はピルスナー・ウルケルの方が好きだねぇ」 「…………鷹栖、さん。あの、先日、って程最近でもないっすけど……あー……その節は、どうも」 「うはは、いいねぇ若人! 最近はそんな風に緊張してくれるのも新鮮よ。カヤちゃんとお蝶ちゃんの頼みじゃぁ、断れねえからさ~恩売っといて損はねえもん」 「いくら押し売りされようとお酒が無料になるだけですけれどね」 「またまた~つれないんだからアゲハちゃん。お疲れのオッサンを癒してちょうだいよー」 「嫌ですよ。行きつけのクラブにでも行ったらよろしい」 スパッ、と、叩きつけるように固く切られた言葉がキモチイイ。他の人間じゃぁこうはいかない。もっと媚びるか。もっと硬いか。もっと、怯えるか。 そのどれでもない蝶の言葉は気持ちが良い。 慣れた味の酒を飲みながら、お蝶ちゃんは今日も美人だねぇといつも通りの管を巻くと、隣の亮悟ちゃんが若干尻を浮かせてアゲハを指さした。 「『お蝶ちゃん』!? 鷹栖さんの言ってたお蝶ちゃんって、アゲハさんの事っすか!?」 「……この人だけのあだ名ですよ。愛人みたいに呼ぶのはよしてくださいって言っているのにやめやしない。今まで気が付いてなかったんですか倉科さん」 「いやだって、まさか、そことそこ繋がってるとは……あー、じゃあ、アゲハさんってカヤさんとも知り合い……」 「まあ、世界は狭いものですからねぇ。同好が集まる場は大概狭いものです。そこまで親しくもないですがね。彼女は街の方で飲む事が多いでしょう。私は基本的に、この店から動きませんから」 「世界せめえ…………」 「いやーほんと、案外世界ってせめえもんよ、亮悟ちゃん。人間と慣れ合う仕事してっとさぁ、それほんと実感するわ。世界は狭い。人生は短い。楽しまなきゃ損なんて馬鹿みてえな格言あるけどありゃほんとだぞ。命短し恋せよ乙女だ」 「ここには一人も乙女はいやしませんよ。いい歳の男と若い男がいるだけです」 「……それ、アゲハさんはどっちに分類されるんすか」 「秘密」 ふふふと笑う顔は相変わらず妖艶で、それなのに潔癖な令嬢の様で目を奪われる。 最初に見た日から、蝶はその魅力を湛えたままだ。 俺は死ぬまでこの蝶から目を離せないんだろうなァ、と思う。 思うから、どうにか手に入れようと一時期はもがいたもんだが、どうしようもない程頑固な決意がそこにあることに気が付いてからは、納得はしてねえが、とりあえず諦めた振りをする事にした。 納得はしていない。 諦めてもいない。 俺の未練なんぞさっさとバレている筈で、それでも生ぬるく笑って見なかった振りをする蝶は俺なんかより相当ずるい生き物だ。意地が悪い。けれど、それも仕方が無い。そういう風にしか生きられない。誰が悪いだなんて探り合っても、今更答えなんぞ出ない。 だったら今そこで笑う蝶を眺めて奇麗だなんて笑うことしか俺にはできないもんだから、仕方なく、酒を飲みながら口先だけの口説き文句を連ねることしかできない。 そして俺は、それもこれもあれも、そんな事情全部を、他の誰かに愚痴るつもりは一切ない。 だもんで亮悟ちゃんの尻を摩ろうとしてお蝶ちゃんに怒られて、げらげら笑って酔っぱらった駄目なオッサンになるしかないわけで、まあでもたまには若ぇ奴と触れ合うのも悪くはないなんてオッサンらしいことを考えた。 「倉科さん、この人と一緒に居ると本当にうっかりで食われますよ。鷹は本当になんでも食べる」 「……鷹って猛禽類? とかいう奴でしたっけ? 雑食じゃなくて、肉食でしたっけね」 「わっかんねーけどさぁ、まぁ、うまそうなもんはとりあえず手をつけてみるのもおもしろいじゃないの。人生短けえもんだよ若人。命短し恋せよ男子!」 「倉科さんはきちんと恋をこなしてらっしゃいますよ。貴方こそ、真っ当に恋でもしたらいかがです」 「俺なー……俺ぁ駄目だね。つまみ食いが似合ってるよ」 視界の端にいつも蝶がちらつく、と、言ったところでどうにもならない沈黙がかえってくるだけだと知っていた。 命短し恋せよ蝶よ、と。 昔は必死に口説いたなぁ、と眺めども。 結局諦める気がない執念深い己の精神に辟易し、蝶の心変わりの瞬間を待つ、いつもの日々に戻るしかなく剥きだした爪をどうにか懐に仕舞いこむ。 蝶を殺さず、鷹は恋を守るか。 昔言われた事の答えは、いまだ出ずにただただ俺は酒を舐めた。 end

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