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花と揚豆酒を飲む(桜介+カヤ)

「桜介くん、モテるでしょ」 細長いかっこいいグラスをこれまたかっこよく掲げたかっこいい女は、色気がにじみ出そうな流し目で俺を眺めて若干笑う。 カラン、と氷が鳴るのがまたかっこいい。絵になる人っていうのは、何してても格好ついていいよなぁなんて、わりとどうでもいいことを考えながらまーまーそれなりに、なんて俺もちょっと自意識過剰っぽい返事をしてしまった。 「わかるわかる。きもちいーもんね、こう、ちょうどいいし格好いい」 「いやーかっこいいかはどうか知らんけど……背低いし。大概もうちょっと背があればイケメンだったかもしれないのにって言われるし」 「どうかな。シナくらい背があったら、ちょっと怖くて逆にモテないかもしれないよ。桜介くん筋肉ちゃんとついてるしさ、もうちょいマッスルになったらそれこそゲイにはモテそうだけど、女の子にはなー……」 「いやいや。いやいやゲイにモテていいんですよ俺ゲイだから」 「あ。そうだったね」 忘れてたうっかり、と笑う彼女も世間一般の言葉でカテゴライズするならレズビアンだ。まるでカップルのように仲良くバーのカウンターに並んでいるものの、勿論同性愛者の俺たちが恋人の筈がない。 最早すっかり常連になってしまった鳥翅に呼び出されたのは三十分前の事で、店についた時にはすでに萱嶋さんはグラスを空けていた。それでもお互いの酒癖の悪さだけは承知しているもので、セーブして飲んでる事が伺えて、なんだなんだ真面目な相談事かと一瞬身構えたものだけれど。 なんてことはない。ただ世間話の相手が欲しかったんだ、とそれなりの美人は無表情の仮面を若干崩した。 「俺は別にゲイにはモテないっすけど、萱嶋さんは女の子にもってもてでしょ。そのー、あー……ちょっと表情崩すの、ずるくない?」 二人で飲むのはまだ二度目で、若干距離感がつかめない。 頼みの綱のアゲハくんは、カウンターの俺たちを放っておいて奥のテーブルにつきっきりだった。サクラさんとカヤさんなら、私が居なくてもいいでしょう、なんて言われちゃえば悪い気はしない。気心知れた仲だから放っておいてもいいだろうという言葉は、正直なかなか嬉しいものがある。寂しいけれど嬉しいから、アゲハくんもやっぱりタラシだよなぁと思う。 萱嶋さんもたぶんタラシだ。それも、有賀さんと同じ匂いがする。 有賀さんは最近こそ無自覚天然ぶっているけれど、会った時はあれは確実に自分の魅力を理解している小ズルい男だった。 ふと表情を緩める。目の端をすうっと細める。そしてゆっくりと視線を流す様に見覚えがありすぎて、あーあータラシはこれだからと手元のビールをごくりと喉に流し込んだ。 「ずるいかな。どうかな。ナンパするには丁度いいけど、わたしの魅力ってやつはちょっと硬派じゃないから、信用に足りないっていつも疑われてばっかりだったなぁ。その点桜介くんは絶対浮気なんかしませんって感じがしててずるいと思うよ」 「まあ、しないけどさ。しないけどね。これ、ほんとただのふわっとした飲み会?」 「有賀さんとこ今日飲み会でしょ? シナが張り切って行ったの知ってるんだよじゃあ桜介くんヒマかなーって。わたしも暇だし、寂しいからお酒飲んでくれるかなーって」 「まさにその通り暇でしたけど……桜介くんて呼ばれるの新鮮すぎて痒くてすごいっすね」 「タメゴでいいよ大して年も違わないし。キミも君江ちゃんって呼んでくれてもかまわない」 「いや結構っすなにそれ面白いな。萱嶋さんもう酔ってんの?」 「うーん。ていうか、ちょっと疲れてる」 嫌な事ばかりの一週間だった、と彼女は半開きの唇を器用に動かして静かに言葉を吐きだした。 冷たいカウンターテーブルに、ぽとりと落とすように話す人だ。これがもうちょい酒が入ると急に笑い出して急に泣き出すのだから、この人はかっこいいのか残念なのかわからないし、やっぱそういうところもずるい要素なんだろうなぁと感心する。 完璧すぎる人は怖いから、やっぱ、ちょっとダメな方が愛おしいんだろう。思わず見た目は完璧なのによく睡眠不足で靴下をちぐはぐに履く残念王子な恋人を思い出し、やっぱ今日有賀さんとこの飲み会に行かなくて良かったなーこんなんじゃ酔っぱらってみんなの前で調子のってちゅーくらいしそうだったしなーと表情を引き締めた。 にやにやしながら他人の愚痴を聞くのは、やっぱりよろしくないだろう。 「あ。でも、うだうだ文句言うほどの事はないんだよ。なんとなく地味にHP削られる事ばっかりで、直接自分が喧嘩に巻き込まれたわけでもないし。なんていうのかなぁ……ちくちく、嫌なニュースを何個か眺めてちょっと解せないとか、もやっとするとか。そういう感じ。だから誰か、さっぱりした人に付きあってもらってさ、おいしいお酒を飲んでどうでもいいことに脳みそ使って馬鹿だったなって、思いたかったんだよねぇ」 「それ、亮悟とかの方が適任じゃないっすか?」 「うーん……シナなー。あいつわたしのこと好きすぎてナチュラルに気を使ってくるしナチュラルに神様扱いしてくるからなー。そこがかわいいんだけど。でもなんか、今日はね、いい男にさっぱり笑い飛ばされたい感じだった」 「女じゃなくて?」 「女じゃだめ。わたし酔ってると口説いちゃう」 「口説いたら駄目ってことは萱嶋さんは今恋人いるってことか」 「ひみつ。って言いたいけど、あー恋人かなぁ。どうだろう。一生懸命口説いてる、ところかな。隣に居てほしいから」 うふふと笑うと少女のようで、この人に口説かれる女ってどんな猛者なんだよってちょっとビビった。 「やっぱいいねー桜介くん」 ビビってる俺を後目に、萱嶋さんは頬杖をつく。 「わたしが有賀さんよりも早く、キミに会ってたら、結婚迫ってたかもしれないなぁ。勿論、恋人にはなれないんだけどさ」 「……それ、あー……偽造結婚的な事?」 「うん。まあ、それに近い。でも、キミとならありだなって思う。一緒に生きるパートナーとして、すごく正解なんだろうなって思うし、恋愛しなくたって家族にはなれるわけだから。三十過ぎるとね、結婚しないのかってとにかくすごく言われるし、その度にああめんどうくさい、って思うのも面倒くさくて嫌だし」 「まーねー。言われるね。わからんでもない。俺も嫁さんはまだかって、じいさんばあさんお得意さんに一々言われるとそら面倒だなって思うし、うちの子お買い得だよなんて言われちゃうとどうやって断ったら角が立たないのかなーとか、思うっちゃ思うなぁー」 「ね。誰が悪いって言ったらそりゃわたしたちなんだけどね。自分の好きなように生きてるから、世間とずれてるだけだし。それはもう、仕方ないよね。でもなんか、今週は特に悪意ある人間が近くに居て、すごく精神削られて、あーあーって何度か笑いそうになったから、わたしは弱いなーなんて当たり前の事でへこんだりね」 「……弱いっすかね、萱嶋さん」 「弱いよ。嫌な事から全部逃げてるから。対人でもね。わたしはわたしが一番大事で、嫌な思いをしたくないから、嫌だなって思った人はそっと距離を置いちゃう。喧嘩するわけじゃないけどさ、それってつまり排除だよね。って、前そういえば誰かに言われたなぁ誰だったかな。偉い人だったか、友達だったか、先輩だったか、センセイだったか、忘れちゃったけど。『自分に優しくない人間を切り捨ててばかりじゃ、世界は広がらないし成長もしないよ』って」 だらだらと抑揚なく連なる萱嶋さんの言葉を聞いた俺の感想は、まあ正論だよな、という面白くもなんともないものだ。 正論だ。わからんでもない。でもそれは、その人の正論であって、正解じゃないでしょうという旨の言葉を返すと、萱嶋さんは多少下品に口を開いて笑った。下品に笑っても絵になるから、やっぱりズルい人だった。 「そうそれ。それなんだよね。うん。なんていうか……人生なんて、同じようになるわけじゃないし、何が正解とかないと思ってて、ええと……なんていうのかな。すごいズルい近道をしても幸せになれたり、すごく苦労して頑張っても結局不幸なままだったり、そんなのは結局運なんだよね。だから、がんばって他人と対話して自分の人徳とか性能を上げて成長しなくてもいいかなってわたしは思ってる。わたしの世界は、その方法で広げなくてもいいかなぁ、って」 二人のグラスが空いたタイミングで、アゲハくんがカウンターの中に戻ってきて、勝手に酒を注いでくる。もう少し時間がかかりそうだからと、最終的にウォッカのボトルとジンジャーエールをテーブルの上に出していった。 「だからわたしはぬるく生きてるなぁ。不正解かもしれないけど、不幸だわって泣くよりずっといい。でもこれってさ、わたしに結婚とか子供産んで育てるみたいな計画性がないからできることなんろうね。間違えた人生選択したら、その時にやり直せばいいじゃない、なんて思えるのは、人生死ぬまでまるまる全部、自分だけのものだって思ってるからだね。子供のための人生が控えていれば、やり直してる時間なんて無いはずだし」 「あー……それ、俺もそうかも。家庭持とうって思わないから、なんつーか変な余裕みたいなのはある。世間に対して申し訳ないとかは思うけど、自分の人生の時間に関しては、焦ってないかな」 「ね。……うーんやっぱり桜介くんはきもちよくてよくないな。早く出会わなくてよかったね。有賀さんから、奪っちゃうとこだった」 「恋をしないパートナーなら、結婚した後で俺が有賀さんに出会っても、旦那の恋を応援してくれんじゃないの?」 「……あ、そうか。そうだね。じゃあ今から結婚しても問題ないのかな」 「いや俺そのうちたぶん嫁にもらわれるんで」 「…………いーな。結婚するのか。あー……それはいいな。ずるい。すごい祝福しちゃおう。式はしないんだろうなと思うけど身内のパーティとかするなら、呼んでよ。二人でおめかししていくから」 うふふと笑う。その言葉尻を捕まえて、俺はグラスを持つ手を止めた。 「ふたりで?」 「うん。そうしたらそこで、あれやろう、あれ。『娘さんをわたしにください』ってやつ。娘さんじゃないけど」 「待て。まてまて、えーと。……萱嶋さんが口説いてる子って、有賀さんが知ってる子? そんで、俺も知ってる子?」 「おっちょこちょいでかわいい子。この前は乾燥機に珈琲ぶっかけちゃって動かなくなって半泣きだった」 「……その乾燥機修理したわ。うっわー雪見ちゃんか……あーそれは、あー……あー……がんば、れ?」 「ありがとうがんばる」 有賀さんにはまだひみつだよ、と笑うその人は、やっぱり格好良くてずっとずるかった。 だらだら、ずるい女と酒を飲んだ日の話。 End

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