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番外編 彼の嫉心*性描写

2021年1月発行の紙書籍に収録したクバル視点の番外編です。    クバルがヘリオススの外れへ行くと、鈍い金属音が聞こえてきた。  内側へ村を守るように形成された、連なるふたつの赤い三日月。ちょうどその南端の、外周の影。最近はこの場所で剣の訓練をしていると知っている。  太陽が真上に昇るより少し前、熱射に拍車がかかり、からりと乾いた空気は十分に熱され、土埃を纏った熱風は少し湿ったクバルの額を撫でていった。容赦のない日射はひび割れた大地を焼き、陽炎を立ち上らせる。クバルが視線を伸ばした先、ぐらぐらと歪む大地の上で、彼が剣を振るっていた。  生まれてからずっと熱射の下で暮らしてきたダイハン族にとって、この気候は苦痛ではない。アトレイアからダイハンへ移り住んですでに長い彼にとっても、慣れた暑さだろう。倒れるのではないかと心配することはなかった。  ブラッドが左手に握るファルカタが、相手のファルカタとぶつかり合って甲高い音を立てる。近づけば、元アトレイア騎士のグラントリーの監督のもと、ブラッドと手合わせをしているのはヘリオススの戦士だとわかって、クバルは無意識のうちに眉間に力を込めた。  憮然としながらクバルは手合わせの様子を眺めていた。その戦士は、身のこなしが軽い――女だ。ヘリオススから遠く離れた村から移住した者のひとりだった。  大柄なグランほどではないが上背があり、広い肩は頑強だ。腕と脚の筋肉は並の女よりも発達し、ファルカタを難なく振り回している。後頭部に結わえた黒髪が、彼女の軽やかに躍動する身体に合わせて舞った。  ダイハンの戦士はみな男だ。逆に、一部例外を除いて男はみな戦士だった。過去、女の戦士は存在しない。だが、ブラッドと剣を打ち合わせる彼女は、女でありながら戦士だった。  勇敢な戦士といえども、女であるからやはり華奢な印象は拭えない。剣を交えているブラッドと比較すると、男女の体格差というものは顕著だ。  巨岩の落とす影に入りながら、クバルは途中からブラッドの動きを目で追っていた。  彼が左腕を打ち下ろすと、衝突したファルカタ同士が豪快な音を立てる。  様になってきたな、と思う。  ブラッドが本格的に左手の訓練を始めてから二十日ほど経った。利き手を失い、左手で剣を扱う特訓をするブラッドは最初、練習相手であったグランの攻撃に弾かれる度に得物を取り落としていた。右手に剣を握っていた感覚がどうしても拭えないのか、防御や回避時の身体の操り方に慣れず、それこそグランがファルカタの稽古をつけている子どもたちにやっと及ぶかというほどだった。  けれど元来の勘のよさ、身体能力の高さ、何よりもブラッド自身のたゆまぬ努力は、短期間で確実に彼に力をつけさせている。  太陽の下に晒した上半身が剣を振るう度に躍動する。振り下ろすと背中の筋肉がしなり、肩が隆起する。盛り上がった上腕や胸の筋肉は厚く、戦士たちと比較しても遜色ない。細かく編んだ紐に白い石の結ばれた首飾りが、太い鎖骨の上で跳ねた。右手の先は薄い布に巻かれていて、最初の頃はあるべきものがない彼の手を見て感傷に襲われることもあったが、何より彼自身がまったく頓着する風もなく悲観もしないため、クバルは過ぎた喪失を思うことをやめた。  家畜の乳と同じ色をしていた肌は、今では日に焼けてしまっていた。南の地では滅多に見ない彼の肌の色を、もったいないと思う気持ちは皆無ではなかったが、肌の色は些細な問題でしかなく、黒だろうが白だろうがクバルにとって魅力的なことに変わりはなかった。  彼を初めて見た時は、自分たちダイハン族と色の違う、アトレイアから嫁いできた異国の男のことが信用できなかった。純粋に気に食わないとも思った。当然だ。それまで命を奪い合っていたのに、肩身が狭そうにするどころか彼の深い翡翠色の瞳には、鋭く重い威圧的な色が宿っていた。組み敷いて押さえつけても、反抗的な光が消えることはなかった。クバルは彼の自由を制限して、お前は俺の支配下にあるのだと理解させるためだけに、一度も辱しめを受けたことがないだろう屈強な男の彼を犯した。自尊心ばかりが高い傲慢な男というのが、彼の印象だった。  その印象は、彼が自身の危険を顧みずヤミールとカミールを救った頃から変わり始めた。  いかなる困難を前にしても崩れぬ泰然とした態度。己の懐へ入った者へ対する慈愛。物怖じせぬ潔い性情。接するうちクバルはすべて、好ましく思い始めた。そして、愛しいと感じるようになった。――同時に、彼に惹かれるのは自分だけであって欲しいとも、願うようになった。  そのように願う感情は苛立ちや焦燥にも似ていて、あまり好きではない。まさに今も、眉間を寄せる程度には胸中を騒がせていた。  ただ眺めていることもできなくなってクバルが歩み寄ると、ふたりは激しく打ち合わせていた剣を止めた。  ブラッドはファルカタを下ろしてグランに預けると、皮の厚くなった左の掌で濡れた顔を撫でてクバルに近づいた。息は切れていたが、鍛練の疲労を感じさせない軽い足取りだった。 「クバル。どうかしたのか」  女戦士はブラッドから少し離れた背後でグランとともに軽く目礼した。クバルはそれを一瞥しただけで、再び目の前の男に視線を移した。鼻下が濡れている。汗で睫毛が束になった目もとに手が伸びそうになるのをこらえ、口を開いた。  現在のヘリオサの腹心であるクバルが彼を訪れたのには理由があった。 「ヘリオサが、話があると呼んでいる。ツチ族の件だ」 「わかった。すぐに行くと伝えてくれ」  ブラッドの声は淡白だった。振り返り、手合わせは終わりだと告げている。  クバルは彼に用件だけ伝えて去るつもりでいたが、唐突に離れがたく感じた。離れたくないと思うことなんて、ヘリオススの中で暮らしていて滅多になかった。  ブラッドはクバルにとって至極特別な存在で、またブラッドにとってもクバルがそうだったが、別に日がな一日中一緒に過ごしている訳ではない。互いに同じダイハンの戦士だが、日中は各々果たすべき務めがある。  腹の傷が完全に塞がり体力も回復したクバルは、先代のヘリオサとして、またヘリオサの腹心として、若いヤミールに教えを施したり、彼のすべき選択に助言を与えたり、剣を扱うことに不馴れな彼に稽古をつけてやる。ブラッドも、ヤミールの補佐を行うことはあるが、今は何より右手を失った身体に慣れることが最優先事項で、緊急性の高い問題がない限りはグランに左手の稽古をつけてもらったり、戦士たちと馬を駆ったりしている。  互いを信頼しているからこそ離れている時間があっても不安を感じて胃がむかつくことはないし、日が落ちて帰る場所が同じならばクバルは満足だった。日中、彼の姿が視界にないことは慣れた日常だったが、この時ばかりは視界に置いておきたいと、強く思ったのだ。 「……どうした?」  場を動かずに自身をじっと見据えるクバルに、ブラッドの力強い眉にはわずかに力がこもる。 「一緒に来い」  足裏に大地の熱を感じる。クバルの硬い声を聞いた女戦士が、腰にファルカタを差しながらぴくりと身体を揺らす。 「ヘリオサは俺とお前に話があると言っていた」 「そうか。なら一緒にヤミールに会いに行こう」  ブラッドはグランから受け取った布で汗を拭いて、褪せた色の上着を羽織った。前を開け放った上着の裾が、砂埃を孕んだ風にそよぐ。女戦士は片言の共通語で、ブラッドに礼を言っている。 「また頼む」 「もちろんです、ブラッドフォード」  凛とした顔立ちの彼女の目に、鍛練で高ぶった熱の名残が燻っているのをクバルは見た。  ヘリオススで唯一の女戦士は、どうやら同性で剣の扱いにも長けたグラントリーとは懇意にしているようだった。  ブラッドの稽古の相手が自分ばかりでは、とグランが思案して用意した相手があの女戦士であることはクバルも知っている。左手の扱いが完全ではないブラッドの相手は、加減をすることを知らないヘリオススの勇猛(悪く言えば獰猛)な戦士たちでは務まらない。グランが選んだのだからその点では彼女は問題ないのだろう。  単純に、彼女は腕も立った。女だからといって見くびってはいけない。いい練習相手になっているようだった。 「左の調子はどうだ」  ヘリオススの王の住まいである洞窟まで向かう道すがら、クバルの問いにブラッドは自身の左の掌に視線を落とす。皮が厚くなり、マメが潰れた痕が見える。過ぎた努力の証だった。 「だいぶ慣れてきた。だが、前とまったく同じって訳にはいかない。避ける時に身体の反応が遅れちまう」 「急ぐ必要はない。ゆっくりやればいい。今すぐに敵と戦う訳じゃない」 「そうは言っても奴らの動きは油断できない。いざって時のために、それなりに動けるようになっておかねえと」  ヘリオサの腹心のひとりが剣を取り落とすような戦士じゃあ駄目だろう、と彼は言う。 「ラウラは手数が多いから、俺の練習相手にちょうどいい」 「ラウラ」  クバルはあの女戦士の名前を初めて知る。他のダイハンの女と違って高く結い上げた黒髪を振り乱し、やや筋ばった手に剣を握り、剣舞の流麗さとも、他の戦士の豪快さとも異なった荒々しい剣捌き。  ブラッドの口にした彼女の名は、もう幾度も呼んだような、親しみのある響きをしていた。 「攻撃を見切るのが結構難しいんだ」  向こうもブラッドの名を呼んでいたな、と思い返す。他の大勢の者と同様に。慕うような響きを孕んだ、まだ不馴れな共通語を話す彼女の声が甦り、クバルは自然と零していた。 「……俺が相手じゃ駄目か」 「お前が?」  ブラッドがダイハンでは見かけない色の緑を瞬かせ、唇の端からふっと息を漏らして笑った。 「手加減したお前とは戦いたくねえ。手加減しないなら、いいが」  湿った項を掻いた手で、ブラッドはクバルを指差した。それは難しい条件だと、クバルは閉口する。  右手を失う前のブラッドであれば、きっとクバルは彼は望む通りにしただろう。けれど今は無理だ。クバルが全力で剣を振るったら、彼は負傷してしまう。それがブラッドの希望するところであっても、クバルの望むところではないのだ。風に漂う汗の匂いを鼻腔に感じながら、少しの孤独を持て余す。 「彼女はいいのに、俺は駄目なのか」  少し先を行ったブラッドの耳に、熱い風に流されたクバルの囁きは聞こえなかったらしい。  二日後、ヘリオサ・ヤミールは短距離の偵察隊を四方に派遣した。四名一組で馬を駆り、赤い大地を放浪するツチ族の現在地、及び進行方向を把握するのが目的だった。  決して国境を侵さず、永久に相互不干渉を保つ。もしもダイハン族や、その他の南の異民族が国境を越えた際はただちにこの盟約は破棄され、アトレイアはダイハン族を再度敵と見なし、ダイハン族はアトレイア軍の侵攻を拒むことはできない。  降伏が認められた際に、アトレイアと結んだ盟約だ。ブラッドが身体の一部を犠牲にして、アトレイア国王シュオン・ロス・サーバルドと誓約したものだ。  この盟約を守るためにダイハンが真っ先に行うべきことは、乾いた赤い大地の統率だった。  ダイハン族に限って言えば、アトレイアとの熾烈な戦いを経て彼の国に対する戦意は失われた。敗北したことへの悔いや大勢の仲間の命を奪われたことへ対する遺恨を燻らせる者は確かに一部存在していたが、ヘリオサを始めとしてダイハン族の総意は、アトレイアに対する復讐の意思はなかった。  しかし、アトレイアがダイハンへ花嫁を送って和平を結ぶ以前、アトレイア南部の境を騒がせていた異民族は、もちろんダイハン族だけではない。ダイハンがアトレイアとの盟約を果たすためには、自らを制するだけでは不十分だった。  先の戦において助力に応じてくれたガラガ族やフ族など友好関係にある部族――に限らず、ツチ族を筆頭とする敵対勢力を、ひとつの意思のもとに統率するということ。  前者はともかく、後者は厄介だった。反目し、殺し合ってきた仲だ。同盟を求めるために使いをやれば、帰ってくるのは言葉による返答ではなく、使いの分断された頭と胴であることは間違いない。  ツチ族を攻略するには少々時間が必要になる。手始めにヘリオサは、ツチ族の動向を探るために短距離の偵察隊を派遣することにしたのだ。  自分も偵察隊に組めと主張するブラッドにクバルは反対したが、今回は敵と接触することはないため、ヘリオサからの許可は下りた。というより、本人が説き伏せたのだった。クバルも、ヘリオサであるヤミールが認めた手前、自分と一緒ならと渋々承諾することになった。  その日、夜が明けてすぐクバルはブラッドと、他二名の戦士とともに南へ直進し馬を走らせた。時折馬に休憩を与えながら、果ての見えない茫漠とした赤い大地を駆ける。崩れた巨岩の名残や、ひび割れが大きく溝となったもの以外何もない。目を細めたくなるほどの土埃を孕んだ熱風が吹き上がり、乾いた砂を拐っていくだけの荒野だった。  帰還は明日の日没前まで。ツチ族の影があろうがなかろうが、明日の太陽が沈む前までにはヘリオススへ戻ることになっている。  一日目の夜を迎えるまでに、クバルたちがツチ族の姿を見ることはなかった。ツチ族は、村を形成して定住するダイハン族とは異なり、乾いた赤い大地中を移動しながら生活している。彼らがこの荒廃した大地で生きる術は「強奪」の一択のみだった。彼らは赤い大地に生きる他部族を襲撃し、殺し、犯し、奪う。そのためだけに広漠な大地を馬で縦横無尽に駆け、剣を振るう。  二百人ほどの単位でキャンプを形成し、それぞれの長が隊を導いている。クバルたちの進行した南方に彼らの気配は今のところ感じられなかった。  荒野で一夜を明かすことになった。幌のテントを張り、外に火を起こしてヘリオススから携帯した獣の肉を焼いた。完全に帷が下りて、太陽の代わりに銀光を垂らす月と星の粒が輝くようになる。夜明けまで交代で見張りをすることになった。  クバルは割れた岩の比較的平坦な場所に腰かけて、ブラッドとともに見張り兼火の番をしていた。 「お前はヘリオサに戻りたいとは思わないのか?」  塵のように細かい星たちが漆黒の夜空に輝いている。それぞれ輝きの強さの違う星たちを見上げながら、ブラッドがクバルへ問いかけた。唐突な質問だった。 「戻る?」  どういう意図を持ってブラッドが尋ねたのかわからなかった。訝ると、彼は遠い暗夜から視線を落として、足先の炎の周囲を飛ぶ羽虫を追っていた。精悍な横顔が、橙色のほの暗い光にゆらゆらと揺れていた。その美しさに触れたいと思う欲求を押し込め、クバルは問いを返した。 「お前は、俺にヘリオサに戻って欲しいのか?」  率直に尋ねると、ブラッドは眉根を寄せて曖昧に口角を吊り上げ、苦しそうな笑みを作った。勘弁しろ、と吐息交じりに声を落とす。 「決闘の度に俺の心臓がもたねえよ」 「じゃあ……ヤミールではヘリオサに相応しくない?」 「それはありえない。……俺が本人に薦めたんだぞ。あいつはいい王になる。これまでとは正反対のヘリオサだろうがな」  新たな王、ヘリオサ・ヤミールについてはクバルも同意見だった。  彼は決闘という場で力を誇示せずして王となった。戦士たちのような膂力を持たず、焼き尽くすような戦意を持たず、傲れるような心も持たない。クバルが傍で支え見守っているヤミールは、王がすべき決断に迷うことも多いが、必ずダイハンの民の平穏を第一に考え選択している。争わずに乾いた赤い大地の部族の意思をひとつにするためには、彼こそが王でなくてはならない。そう信じて、彼の力になりたくて、クバルもブラッドも偵察隊に加わった。  パチ、と炎が爆ぜた。ではどういう意味で訊いたのかと目線で尋ねると、橙色が揺れる翡翠の瞳がクバルを向いた。 「お前は大勢の戦士に、民に慕われている。ユリアーンとの決闘に敗れて、死にかけて、ヘリオサじゃなくなった今も。……純粋に、まだヘリオサとしてダイハンを導いて行きたいんじゃないのか、心残りがあるんじゃないのかって、疑問に思った」  ヘリオサに戻りたくないのか、という問いは額面通りの意味だった。そんなこと、考えてもみなかった。  だって、クバルがヘリオサに戻る権利はないのだ。ユリアーンに敗れた自分は一度、死んだのだから。 「決闘で負けた男がヘリオサに戻った例はない」  ブラッドは薄い唇からふっと息を漏らした。 「そりゃそうだろうな。全員殺されて死んでるんだから。でもお前は生きてる」  生かされた例はクバルが初めてだった。クバルの命があるのはブラッドがユリアーンにそう選択させたからだ。あの豪雨の決闘を思い返せば、憎しみと、無力感と、己への苛立ちと、彼への切ないほどの愛しさがクバルに覆い被さる。  生きている。けれど、再びヘリオサに、という欲求はクバルには欠片もなかった。 「俺はヘリオサになった時、ダイハンとダイハンの民を守るとヘリオススで誓った。守るために、前のヘリオサを殺してヘリオサになった」  そしてクバルはクバルなりにダイハンを守った。横暴な女王と王から、敵の刃から、北の謀略から。守ろうとした。けれど、最後までそうすることは叶わなかった。  代わりにブラッドが果たしてくれた。己を顧みず、深手を負いながら燃える戦場を駆け、己の身体を犠牲にしてダイハンを勝ち取った。勝利ではない。敗北だ。けれどクバルには、彼が得たものは細く儚くたなびく、一筋の尊い希望のように思えた。  とても嬉しくて、胸が熱くなった。彼がダイハンを守ってくれたこと。彼が帰ってきてくれたこと。それだけでクバルの空虚は満たされた。他には何も、ヘリオサの地位も望まない。アトレイアに敗北したことなど、問題ではなかった。 「ユリアーンのようにヘリオサの座に執着していた訳じゃない。ダイハンを守るのに王も戦士も関係ない。俺はお前とともにダイハンを守っていく」  今は、ヤミールがヘリオサとしてダイハンを守ると誓った。彼の並々ならぬ覚悟を、クバルもブラッドも知っている。彼を助けながら、この先もブラッドと一緒に故郷を守ることが、クバルのすべきことだった。  固い意思を感じ取ったブラッドは、炎の揺れる翡翠を柔らかく緩めた。 「……なら、安心だ。決闘だけは二度と受けて欲しくねえからな」 「もし決闘になっても、二度目の敗北はない」 「ヘリオサに、決闘を禁止するよう進言するか」  存外真剣な声音でブラッドは言った。  再び爆ぜる炎に視線をやったブラッドは、開いた膝に腕を突き、顎を左手に載せて広い背中を丸めた。彼の静かな横顔は、橙色に染まっている。 「俺も早く、お前に並べるようにならねえと」  独り言のようにぽつりと呟いた声は、闇夜の静寂に染み入るように凪いでいた。 「稽古の回数、増やすか」  その短い言葉を、クバルは聞き流すことができなかった。 「あのラウラという女の戦士とか」 「ああ」  あっさりとした肯定に、クバルは温かだった胸の内がすうっと冷えていくのを感じた。穏やかだった胸中に、小さな波が立ち、無視できない靄がじわりと侵蝕していく。 「彼女じゃないと駄目なのか」  予想もしなかった問いだったのか、ブラッドは目を瞬かせる。  クバルは無意識の内に握り締めた己の膝を、親指の先で衣服の上から肌を強く擦っていた。  かつてクバルはヘリオサで、ブラッドはアステレルラだった。アステレルラは女王で、王の妻だ。和平のための婚姻とはいえ伴侶となったふたりが身体を重ねていたことを、戦士たちはみな知っている。公然の事実で、王と女王が契ることは当然の行為だった。男と女ではないが、妻であったブラッドがクバルに抱かれていたことを知らぬ者はない。  今のブラッドは、彼自身戦士として、他のヘリオススの戦士と接する機会も増えた。最近は彼らと同様にその肌理細かな肌を惜しみもなく晒す。戦士たちが彼を深い意味を持った視線で見ないか、不安がないと言えば嘘になる。  そもそも彼は魅力的な男なのだ。北の人間の美醜については詳しくはないが、ブラッドが優れた容姿をしていることは確かだ。眉間に皺を寄せていることが多く他人を寄せつけない威圧的な雰囲気はあるが、男らしく精悍な顔つきと、戦士に劣らぬ逞しい身体、恵まれた上背、腹に響くような、深みのある低い声。女が放っておかないだろう男前なのだ。  今は少し日に焼けたが、それでもダイハン族と並べば白い肌。太陽の光を浴びて煌めく金の髪。ダイハンにはない、深い緑の瞳。南の人間とは違う美しい色に、興味を持つ者もいるかもしれない。最近は、ふとした時にそんな小さな不安がクバルの胸の底に沈み澱んでいる。  現に彼と毎日のように顔を合わせ剣を交えているラウラの目には、明らかに熱のこもった、決して無視できない感情が表れているようにクバルには思えた。 「俺じゃ駄目なのか」  突然、思い詰めたような声音で問うクバルに、ブラッドは少々面食らっていた。数日前に同じ会話をしたばかりなのに、再び問うクバルの真意を測りかねているようだった。 「……怒ってるのか?」  確信のない不安定な声音だった。こいつはそんなに俺と手合わせがしたいのか? と訝るように。  そうだけれど、そうじゃない。目線の高さは同じなのに見上げるように窺ってくるブラッドの項に手を回す。膝が触れ合った。視線が絡み合って、ゆっくりと顔を引き寄せる。その時、背後のテントから硬い布の擦れ合う音と、土を踏み締める音が聞こえた。  暗夜を見上げると、一等強く輝いていた星の位置が移動していて、どうやら交代の時間らしかった。テントから出てきた戦士と、――ラウラの姿を見て、クバルは渋い表情をする他なかった。  粗末な幌のテントの中は毛皮が敷き詰められていて、大地の硬さを直に足裏に感じることはなかった。  朝になれば偵察隊は再び動き出す。明日に備えしっかりと休息を取るつもりだった。 「ブラッド」  入り口の布が下りて、銀月のあえかな光さえ閉ざされた瞬間、本物の暗闇の中でクバルはブラッドの身体を引き寄せた。ブラッドが声を上げる間もなく、彼の口を塞ぐ。驚いた唇がわずかに戦慄いた。  開いた唇のあわいに舌を押しつけて潜り込み、歯列を撫でた。少し冷たい舌先に己の舌を擦り合わせ、頬の内側から湧いた唾液をぢゅ、と啜りながら柔らかい粘膜をなぞると、強張っていたブラッドの身体から力が抜けていくのがわかった。 「ん、……ん」  鼻から抜ける低い声を聞いて、彼の首筋に添えた指先が熱くなる。硬い筋を撫で下ろし、衣服の上から逞しい胸に触れる。とくとくと、穏やかな心音が伝わった。  彼に口づけて、彼の肌に触れて、彼の匂いを間近で感じることができるのは、当然クバルだけだ。緩み細められた緑や、引き攣れた甘い声は他人の前には晒させたくない。  ブラッドフォードは自分のもの――そういう風に、彼を所有物のように語るのは抵抗があった。誰かのものだとか、自分自身も彼のものだとか、縛りつけるように言うのは、クバルは好きではない。かつては自分のアステレルラであり、支配下にある所有物だと認識していたというのに。  ブラッドはその心も身体も彼自身のものであり、クバルもまたクバル自身のものだ。けれど彼はクバルにとってかけがえのない存在で、彼にとってもクバルがそうだ。そしてその事実を、自分たち以外にも知らしめてやりたいという傲慢な考えも、今のクバルは持ち合わせている。 「……ふ、っ」  唇を合わせながら手早くブラッドの服を脱がせた。しっとりとした肌に指を這わせ、まだ硬い胸を弱い力で揉むと、ブラッドが顔を離した。クバルを見据える緑の目が少し濡れて、また非難じみた色をしているのが、夜目のきくクバルにはわかる。 「……ここはヘリオススじゃねえ」 「そうだ」 「外にいるんだぞ」  だから何だと言うようにクバルは再びブラッドの唇を食み、鼻先で視線を絡めた。口では諌めながらも彼が抵抗を見せないことは、決して長くはない付き合いの中で知っていた。  薄い下唇を吸いながらクバルの手はゆっくりと下り、下履きの上からブラッドの中心を撫で擦った。音のない荒野の夜、わずかな衣擦れの音さえ大きく耳に届く。薄い布一枚隔てた向こうを気にする彼の意識を奪いたくて、クバルの手の動きは意図を持ったものへと変わっていく。 「っん、……ん……ッ」  くぐもった、むずがるような鼻声が幾重に敷き詰められた毛皮に吸い込まれる。俯せから膝を立てて尻を持ち上げた体勢のブラッドの後孔を、背後から拡げていく。硬い尻たぶの狭間をクバルの指が行き来する度に、ぬちゅ、という粘着質な音が暗闇に響いた。どうして香油なんか持って来てるんだ、と息を荒くしながらも声を低く抑えて問うたブラッドの表情を思い出す。呆れと期待が入り交じった顔だ。 「まだ、狭いな」 「ぅ、……ッん」  中の熱い粘膜が、筋ばった三本の指をぐっと食い絞める。しばらく解しているが、クバルが入るにはまだ窮屈そうだった。  クバルがヘリオサで、ブラッドがアステレルラだった頃は、彼の身体を毎夜犯し、あるいは抱いた。彼の身体は受け入れることに順応し、短い時間でクバルのものを迎え入れる準備ができていた。  ヘリオサとアステレルラでなくなってからも、ふたりは毎夜同じ場所へ帰る。ヘリオサの腹心の戦士に与えられる広い天幕が、今のふたりの住まいだった。受け入れるブラッドの負担を考え、毎夜共寝はしても必ずしも性行に至る訳ではない。三日に一度くらいの頻度で身体を重ねていた。  だからクバルは以前にも増して丹念に、時間をかけてブラッドの身体をゆっくりと開いていく。それにしても今夜は強張りが解けるのが遅かった。ヘリオススでないからなのか、それとも外の人の気配を感じてなのか。  クバルにとっては、彼を抱くにあたって障害となるものはひとつもなかった。以前に、ダイハン族は人前で肌を晒すことや交わることを厭わないと話した時に「俺はダイハン人じゃない」と胸を喘がせながら弱々しく反論された記憶がある。  今のブラッドはダイハンの戦士。躊躇いや羞恥は必要のないものだ。 「っ……、あ!」  腹側の浅いところを指先で軽く押してやると、見下ろした先でブラッドの首筋が強張った。背中の筋肉がぴくりと跳ねて、肉壁はクバルの指をぎゅっと締めつけた後にわずかに緩み、そして再びきつく食い絞める。 「っぁ、あ、っく、……ん、~~っ」  ぐ、ぐ、と感じる場所を何度も刺激すると誘うように腰が揺れる。声がこらえきれなくなったのか、毛皮を噛んでいるらしく、低い呻きしか聞こえない。声が聞きたかった。 「抑えるな」  いつもはブラッドは過剰に声を抑えることはしないのだ。クバルから与えられる惜しみない愛撫に、控えめながらも恍惚とした、掠れた声を聞かせてくれる。官能に浸る彼の声は暴力的なまでにクバルの欲望を刺激し、腹の底をかっと熱くさせる。  わずかに愛撫を緩めて、反対の手で反った腰をなぞる。はーっ、はーっ、と荒い息継ぎの合間に、毛皮を咥えながらブラッドが憮然と言った。 「……外に聞こえる」 「聞かれたくないのか」 「当然、だろうが」  彼の淫らな声を聞くのは自分ひとりでいい。他の誰にも聞かせていいものじゃない。  けれど、胸の奥底の傲慢な心が、聞かせてやりたいと背反する。本当は自分ひとりが聞いていたい、感じ入っているとわかる艶めいた声を、外の戦士たちに――ラウラにも、聞かせてやりたい。ブラッドにあられもない声を出させることができるのは自分ただひとりだと、知らしめたい。  けれどブラッドはそれを良しとしない。人前で交わる行為は恥ではないのだと聞かせても、肌の白いこの戦士は拒む。 「そんなに嫌か。彼女に声を聞かれるのが」 「っあ……? ――ひ、ぁッ」  後孔から指を抜き、クバルの目に触れないところで硬く育っていたペニスを背後から大きな手で握り込んだ。血管が浮くほど興奮したそれは掌に熱く、しとどに濡れていた。親指の腹で先端を押し込むとぬるりと滑る。 「っい、あ、……ッ、……っ」  声を飲むブラッドの屹立を強い力で握り、搾るように扱く。手心は一切加えない。他人のものを愛撫する優しさは捨て、ただ絶頂へ駆けるために自身を擦る時と同じように、手筒をぎゅっと狭めて激しく上下させた。ひゅ、と息を飲む音が聞こえた。 「く、……っう、んっ」  ちゅこちゅこと淫らな音がしきりに立つ。すべてブラッドの漏らした先走りだ。クバルの硬い掌は濡れていて、充血しているだろう亀頭の先だけでなく、折り曲げた指の関節からも滴が滴って毛皮に落ちた。  愛撫が打ち止められた窄まりが、きゅうきゅうとねだるように収縮しているのもわかった。けれどそこにはまだ与えてやらない。  ブラッドの腰ががくがくと震え始める。達しそうなのだと悟り、クバルは激しく扱き上げていた手の動きを止めた。 「っ、ぁ……?」  頼りなさげでか細い声だった。毛皮に押しつけていた額をわずかに上げて、ブラッドは縋るようにクバルを振り仰ぐ。熱に浮かされ溶けた緑の瞳は、確かに言外に非難し、懇願している。眉根を寄せ必死にたえる、けれど無意識なのかゆらゆらと腰を揺らす彼の淫靡な姿に、すでに長く下履きを押し上げていたクバルの雄は一層膨らんだ。  早く抱きたい。熟れた肉の狭間に差し入れて、彼の感じるところを滅茶苦茶に擦って、柔肉に包まれながら絶頂したい。明確な欲望を自覚しながらもクバルはそうしない。 「自分で動け」  突き放すように告げた。ペニスは握ったまま。親指の先で鈴口を撫で擦る。  たえるように長く、荒い息を吐いたブラッドが唇を引いた。クバルを見上げる目は生理的な涙で潤んで、眉間をぐっと寄せて、溢すまいと瞼の縁が必死にこらえている。 「っ、クソ、が」  久しぶりに聞く口汚い言葉は、それとは裏腹に切ない声色をしていて、クバルを酷く興奮させた。  本当は彼を慈しみながらゆっくりと上り詰めるのが好きだった。絶え間なくじっとりと快楽を与え、ぐずぐずに溶けた身体を時間をかけて抱いて、互いの肌の合わせ目が溶け合ってしまうのではないかといつも思う。熱を解放した後の陶酔は酷く心地よく、彼の温もりに永遠に包まれていたいと思う。  クバルを見上げたブラッドの赤く色づく目尻はつり上がり、責めるような色をしている。彼を犯していた頃以来、姿を見せない嗜虐心が不本意にも煽られる。どくどくと脈打つペニスの根本をぐっと締めると、一層睨みが鋭くなるとともに、素直に膨らむのがわかった。  項垂れたブラッドはゆるゆると腰を動かし始めた。ぺたりと毛皮についていた上体を起こし四肢を突いて、クバルの手が作った硬い肉環にペニスを擦りつける。ずるりと掌を滑る、熱く濡れた感触を、クバルは息を潜めて感じ取る。一片も見逃すまいと、愛しい男の背をじっと見つめた。 「く、……ッ」  もともと極める間近で絶頂を取り上げられたブラッドの、最初は緩慢だった腰の動きはすぐに激しくなる。クバルがブラッドにそうするように、突くような動きで手筒に擦りつける。彼の腰が前後する度に強張る尻肉を、筋肉の蠢く背中の凹凸を、汗の浮いた襟足の刈り上げを、クバルは観察するようにじっと見下ろす。  雄の快感だけを求める動きだ。彼がシュオン・ロス・サーバルドとしてダイハンへ嫁いで来なければ、彼もこうして女を抱いて女と結婚して女との間に子を成していたのかもしれない。 「気持ちいいか」 「っは、……は、は」  短く獣のように息を吐きながら肉環を穿つ。限界が近いのだろう、おそらく彼の頭を占めるのは射精することだけだ。クバルの声は聞こえていないのかもしれない。  どんな顔をしているのだろう、と思う。  見たいけれど、見たくない気もする。  クバルはブラッドのペニスを握る手に力を込めながら、片手で自身の下履きをずり下げた。露になったペニスは太く硬く膨張して天を向き、先端に丸い滴を浮かせている。クバルは唐突にブラッドの雄から手を離し、彼の頑強な腰を両手で押さえて、濡れたままの窄まりに猛った自身を押しつけた。 「ぇ、……っあ、アああッ!」  痰が絡んだ掠れた声は、存外大きく響く。 「っん、な……ッ! いき、なり……ぃ、ア、あ……」  彼の逞しい上半身は支える腕の力を失って崩れ落ちた。反った背中が引き攣るように痙攣している。搾り取るような強い締めつけに、クバルも息を詰めた。  薄く血管の浮いた下腹は尻肉には触れておらず、幹はまだ余っている。その状態から抜ける寸前までゆっくりと腰を引いて、再び一息に押し進めた。 「んぁ、ああッ……」  艶めいた掠れ声が零れ落ちる。力なく投げ出した左手は引き攣りながら毛皮を掻いている。ぴくぴくと震える右手の甲を、ブラッドは消え入りそうな理性をもって噛んだ。もう遅いというのに、強情な男だ。 「諦めが悪い……お前の、いいところだ」 「っふ、ぅ、ウう、ン……っ」  くぐもった声が響く。ぱちゅ、と濡れた音が響く。乾いた荒野の夜はすべてを明らかにしてしまうほど静かだ。 「抑えるな」 「ん、ぅ、……ッ」 「聞かせてやれ」  いつもの高揚感とは異なっていた。じりじりと腹の奥が焼けつくような、焦燥のような興奮は息苦しいほどだった。クバルが穿つのに合わせてびくりと跳ねる背筋に指を這わせると、しっとりと湿った肌の上に雫が落ちた。自分の汗だった。  ペニスの裏側の辺り、比較的浅いところを亀頭で押し潰すと、喉の奥で甘い音を鳴らす。クバルは焦れてブラッドの腹に腕を差し入れ、彼の上体を強引に引き上げた。 「あっ……」  半分まで埋まっていた剛直が、すべて飲み込まれる。クバルを包む媚肉は、中は柔らかく収縮しながらうねり、縁の色づいた入り口はきつく引き締まる。搾るような肉環の蠢動を、クバルはブラッドの濡れた項で深く息を吐いてたえた。 「噛んだら駄目だ」 「っん゛、ひ、ゃ……ぁア」  顎を辿り、閉じようとする薄い唇をなぞって熱く濡れた口内に指を差し入れた。逃げようとする腰を引き寄せるように、もう片腕はブラッドの腹に回してぐっと下肢を押しつけると、張り出した亀頭が奥を突いた。中途半端に開いたブラッドの唇から、自分では飲み込めない唾液と喘鳴が零れ落ちる。  狭まった最奥を抉じ開けるように、何度もそこを小突いて押し潰す。 「っんあ、ぁ、……ックバ、ぅ、いやだ、……っそこ、はぁ……ッ」 「っは……苦しくは、ないだろう」 「ぁう、う、くる、ひ……っ」  ぐ、ぐ、と奥の行き止まりを何度も穿つと、ブラッドはいやいやと首を振る。初めて見る駄々を捏ねる子どものような所作に、頭の奥がかっと熱くなる。上擦った泣き声を上げながら拒絶の言葉を吐く彼を見て得るのは、まるで自分ではないような高揚感と、もっと暴きたい、苛めたいと主張する欲望だった。だって、嫌だと言いながら彼のペニスは限界まで腫れ上がり、充血した先端から絶えず透明な雫を漏らしている。 「いきた、ぃ……ッん、ぅ」  ついにブラッドは、自身の左手を下肢にやって腹につくほど反り返った自身を握った。クバルはすぐに彼の濡れた手を取り上げて、奥を掘削した。濡れた肌と肌が音を立てる。 「っうぅ、~~ッ」 「そこは触るな」 「っんで、……さっきは、ぁ……っ!」  口内に差し入れた指につるりとした歯が当たる。抵抗しているつもりなのか噛まれた。  容赦なく穿つクバルのペニスを、熟れた腸壁が咀嚼する。濡れる肌から腰を引いて、彼が感じる浅いところを硬い亀頭で何度も押した。 「う、ぅっ……ん、出る……ッ」  一等強く突くと、上擦った声とともに触れた彼の下腹がびくびくと震え、濡れた左の指がクバルの手を握り締めた。ぎゅっと締めつける粘膜の収縮にたえ、クバルは彼が射精する間もゆるゆると腰を動かしていた。 「……ん、はぁ、は……クソ、汚しちまった……」 「構わないだろう」  毛皮の上に放たれた精を見下ろして、疲れたようにブラッドが独りごちる。唾液に濡れた顎先を擽りながら、クバルは構わず腰を揺らした。 「んっ……構う、バレるだろ」 「その方がいい」 「お前……っあ、ん、待て、って……いったばっかり、……ッ」  一度達したブラッドの中は時折痙攣しながらも程よくぬかるんでクバルを包み込む。仕込んだ香油と溢れ続けるクバルの先走りで、ぬちゅぬちゅと粘ついた音を立てる。卑猥なその水音を聞かせるように、クバルは焦れったく腰を引いて、ことさらゆっくりと奥まで埋め込んでいく。  亀頭が行き止まりに当たる。そこを擦るように、触れた尻肉にぐりぐりと腰を押しつける。苦しいと、ブラッドが泣き言を漏らしていた場所だ。 「ぁう、……ックバ、ル……そこは、駄目、だって……っ!」  最奥と突くと、堪らないというように媚肉がぎゅうっと絡みついてペニスを搾り上げるのを、本人は自覚していないのか。拒絶を露にする言葉の端にも、甘い色が乗っていることを知らないのか。ブラッドはクバルの手に爪を立て、引っ掻く。  ペニスが抜ける際まで腰を引き、一息に打ちつけると、濡れた肌同士が高い音を立てる。 「っひ! ぃ、あ゛っ、嫌、だって言って、んだろ……!」  嫌だと主張するそこをぐりぐりと押し込むと、狭まった部位がペニスを締め上げる。吐精した後のブラッドのものは、勃起することもなく柔らかいまま、律動に合わせて揺れているだけだった。 「んあ、あ、ア゛っ、……っン゛! 何か、言えよ……ッ」  悲痛さの入り交じった声音が、クバルの高揚を際限なく煽っていく。頭の奥が静かに燃えて、彼を抱くこと以外の思考が奪われていく。逃げようとする腰を引き寄せ、太く血管の浮かぶ首筋に顔を寄せた。 「……ックバ、ぅ……ッや、ぁあ゛、また……っ」 「は……っ」 「っぐ、ぁ、ア゛っ、変、だ……ッは、はぁっ」  最奥を穿つ度にブラッドの声は、焦燥を増していく。逃れるように首を振って、腰を押さえつけるクバルの手をガリガリと引っ掻く。忘我の中にいるクバルにはその鋭い痛みは少しも意味をなさず、無我夢中で腰を打ちつけた。 「クバル……ッ、あ゛ぁ、うッ、何か、ちが、ぁアッ」 「――ッ」 「ぅ、や、……っいく、また、いく……ッはぁ、はぁっ、~~っァあああ……!」  びくびくと中が脈打って、柔らかな肉筒がぎゅうっとクバルを食い絞めた。搾り取るように蠢く粘膜の動きに、クバルは抗うことなく熱を解放した。腰の奥が燃えるような快感に、ブラッドの肩に埋めた唇から声が漏れ出る。尿道を駆ける熱い迸りはすべてを忘れてしまうほど気持ちよく、恍惚に浸りながらしとどに濡れた身体を強く抱き締めた。 「ふ、ぅ……っ」 「……っあ、うゥ、う……」  すべて出しきって彼の肩口に荒い呼吸を押しつけていると、抱いた彼の身体の重みが増した。後孔はまだ食んでいる。中は淫靡にうねり、まだ搾り取ろうとするように断続的にクバルを締め上げる。  彼も絶頂したことはわかっていたが、汗に濡れた熱い身体を肩口から見下ろせば、射精した形跡はなかった。散々引っ掛かれた手で柔らかい彼のペニスを触れば、びくりと大きく腰が跳ねた。 「ひぁッ! ……っさわ、な……馬鹿……!」  しなだれかかる熱い身体は、極めたことを表している。血管の浮き出た硬い下腹は、身体の中と同じように痙攣するように脈打っていた。  もしかして、射精せずに達したのか。 「ブラッド……」 「っん、……ゃ、あ……ッ」  ずっと絶頂の快楽が続いているのか、わずかに揺すっただけで甘く掠れた声を溢した。心地よいというよりも辛そうで、クバルはゆっくりと彼の中から自身を引き抜いた。その間も、中の媚肉は離れていく熱塊に惜しむように絡みついて引き絞った。  くたりと力を失った身体を支えながら、彼を毛皮の上に寝かせる。俯せになった彼の尻の狭間からは、自身が放った精液がどろりと溢れ出し、その淫猥さに下肢が再び熱を持とうとする。  ブラッドは自身の腕に額を乗せ背中を波打たせながら、はーっ、はーっ、と獣のように呼吸を繰り返していた。体重に押し潰された彼のペニスは、やはり芯を持っていない。  彼の身体の横に腕を突き、震える背中に胸をぴたりとつける。 「ブラッド……顔を見せろ」 「は……っ」 「ブラッド」  濡れた項に鼻先をつけ息を吸い込むと、汗の匂いと彼の甘い肌の匂いがした。懇願の色を乗せると、ブラッドは荒く息を吐きながらもクバルの腕の中で、ぎこちなく身体の向きを変えてくれた。 「お前……どう、したんだよ」  ず、と鼻を啜る音とともに彼の震える唇が言った。眉間は相変わらず険しく皺を寄せているが、つり上がった目尻は濡れ、暗闇に輝く緑は水の膜を張って揺れている。胸の奥が熱くなった。 「お前、今日は何か……意地悪だな」  鼻にかかったブラッドの低い声に非難するような色はない。クバルは紅潮した頬を撫で、短い金の前髪が張りついた額を拭った。 「……嫌になったか」 「まさか……嫌いじゃない」  涙で束になった睫毛を瞬かせて、ブラッドはこんな時でも不遜に言った。少し苛め過ぎたかと、クバルの中には罪悪感が芽生える。  どうにも止められなかった。乱れる彼をもっと滅茶苦茶にしたいと、法悦に至る意識は彼を貪ろうとする身体を制することができなかった。  けれどブラッドはまるで欠片も気にしていないように、高ぶった身体を引き戻そうと熱い吐息を溢しながら、クバルへ向けて唇の端をつり上げるのだ。 「ラウラが気になるのか」  心の内を読んだようだった。繕いないブラッドの問いに、クバルは目を瞠る。 「俺がラウラと手合わせをしているのが嫌なのか?」  幕を隔てた向こうにいる戦士のことを思う。ブラッドを貪っている間、彼女の熱い瞳を思い出すことはなかった。彼を抱くことしか、頭になかった。 「……嫌だ」  熱を持つ額を彼に合わせる。まだ潤む緑色が、クバルをぼうっと見上げている。 「お前のことを熱心に見つめている」 「それはお前だろ、クバル」 「……彼女もそうだ」 「ラウラは別に俺のことは何とも思ってねえよ」  あられもなく喘いだ後でもう何も誤魔化す気はないらしく、最初意識的に潜めていた声は平常通りだった。呼吸が落ち着けば荒野の静寂も帰ってくる。なぜだか愉快そうに唇を歪めた。 「彼女には相手がいるぞ」  再び目の縁を広げることになる。 「そうなのか」  視線を絡ませたまま、ブラッドが浅く頷く。  筋のいい者は女であっても戦士としてダイハンを守らねばならないとラウラは剣を持ったが、彼女の伴侶は戦うことを許してくれないらしい。男たちとともに訓練に励んでいても、危険だと言っていい顔をしない。  心配など微塵も抱かせずに隣に立って戦えるように、グランを介し、誰も訪れない場所でブラッドと稽古をしていたようだった。  では彼女の熱い視線は、敬愛か。真剣さゆえの意気込みか。剣を交えた後の冷める最中の戦意か。  見当違いをしていたクバルは目を伏せて、深く息を吐き出した。安堵を覚えるクバルの鼻先を、ブラッドの熱い指先が摘まんだ。 「お前が嫉妬するなんてな」 「するに決まってる。いつも不安だ」 「無駄な心配だ」 「お前は……いい男だ」  易しい表現の仕方に、ブラッドがふっと噴いた。 「俺にちょっかいかけようとする奴なんている訳ねえだろ。お前がいるのに」  翡翠が愉快そうに細められ、薄い唇が弧を描いた。顎を引き寄せられ、乾いた唇が重なる。胸がいっぱいになった。  あんなに嫌だ、駄目だと騒いでいたのに、暗夜に響くほど喘いだ後で躊躇や羞恥など弾け飛んだのか、ブラッドはその逞しい脚をクバルの腰へ絡め、わかりやすくぐっと引き寄せてくる。喉の渇きを覚え、クバルは彼の唾液を啜るように合わせた唇を貪った。  翌朝、テントから出ると曖昧な表情をして露骨に視線を逸らすラウラに挨拶をされ、クバルは何と返したらいいのか、少し気まずかった。唇を曲げるクバルを見て、ブラッドがにやにやと意地の悪い笑みを伸ばしていた。

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