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午後0時のサボタージュ (1)
今日の『戦場』は――騒がしい。
「神崎 ゴルァッ!」
その人は入り口をくぐるなり仁王立ちになって、そう叫んだ。
「いるのは分かってんぞ! 出てこい!」
いつものように列を作っていた人たちがみんな、ポカンと口を開けてその男を見つめる。
その顔には、見覚えがあった。
たまに理人 さんと連れ立って昼飯を買いにくる人だ。
確か名前は――
「三枝 くん」
「藤野 先輩!」
「もう、近所迷惑だからこっちに……」
「あのバカ、見ませんでした!?」
「神崎くん? 今日は見てないけど、どうしたの?」
「あいつ今年もまた逃げやがったんですよ!」
「あ、今日ってもしかしてアレの日?」
艶のあるロングヘアーを揺らしながら、ひとりの女性が人混みから抜け出して、三枝と呼ばれたその人をイートインコーナーまで押しやる。
すると、会計を終えたオレンジ色の社員証をつけた若い男が、通り過ぎざまにふたりに声をかけた。
「三枝主任、神崎課長からメモ預かってます」
「メモ……?」
「もしいたら渡してくれって」
「……」
三枝さんは、訝しげな顔をしてそのメモを受け取った。
ゆっくりと紙を広げ、何度か目を上下させる。
そして、
グッシャア……ッ。
思いっきり握り潰した。
「あんのヤロウ! 勝手に午後休なんか取りやがって!」
「あ、あの、お客様、少し声を落としていただけ……」
「あっ、いつもレジにいるオニーサン!」
「は、はい?」
「ムダに背が高くてムダにイケメンでカルボナーラばっか買ってるバカ、来なかった!?」
「きょ、今日はまだ来られてませんが……」
「ハァー……やっぱりか。あのヤロウ、ついにカルボナーラまで諦めやがったか……!」
ギリギリと歯を噛み締めながら、三枝さんが胸ポケットからスマホを取り出す。
そして耳に当ててしばらくすると、忌々しそうに舌打ちした。
どうやら、繋がらないらしい。
淡々とレジ業務をこなしながらも、俺の耳はしっかりイートインコーナーに集中してしまっている。
カウンターにやってくるネオ株社員たちは慣れているのか、三枝さんに気の毒そうな視線を送るだけで特に何も言わなかった。
「ほら、三枝くん」
「藤野先輩?」
「電話、繋がったよ」
「マジで!」
勢いよくスマホをもぎ取られた女性――藤野さんはため息を吐いて軽く首を振った。
「神崎てめぇ今どこっ……はあ? 熱ぅ!? ……何度だよ。……ふざけんな! それ普通に平熱だろ! 今日は管理職の摂取日だろうがっ! ……あのなぁっ、中間管理職だって立派な管理職っ……あぁっ!? てめぇ……そりゃ最近やっと主任に昇格した俺に対する嫌味か!? ……は? 課長やめる!? バカ言ってんな、アホ! だいたいお前はいつもいい歳して――…」
三枝さんは、そのあともスマホに向かって遠慮なく叫び続けている。
思わず呆気に取られて見ていると、苦笑を浮かべた藤野さんと目があった。
「ごめんなさいね、うるさくして」
「あ、いえ。理人さ……カルボナーラの人、どうかしたんですか?」
「どうかした、っていうよりは……」
「え……?」
「今電話してるの、その子の同期なんだけど……コレはもう、毎年の恒例行事としか言いようがないわね」
「コレ……?」
「インフルエンザの予防接種からのサボタージュ」
「……は?」
「三枝くんは総務部だからこういうの全部取り仕切ってる身だし……ほんと毎年ご苦労様」
インフルエンザの予防摂取からの……サボタージュ……?
なんかものすごくかっこよく言っているけど、それって要は――
「あっ、このっ……切りやがった……!」
三枝さんが無情な電子音を漏らすスマホを憎々しそうに見つめる。
「このまま逃げるってんなら、いっそ社内出入り禁止にしてやろうか……!」
やっぱり……逃げたのか。
「くそっ……あ、藤野先輩、電話ありがとうございました」
「どういたしまして。で、捕まったの?」
「まんまと逃げられましたよ……今ごろあのバカでかいマンションに着いてんじゃないですか。あーくっそ腹立つ! ……あ、オニーサン、お騒がせしてゴメンね」
「い、いえ。た、大変ですね」
「でしょ!? 俺って大変なんだよ!」
思わず同情すると、三枝さんが急に前のめりになった。
もうこうなったら俺のレジは悩める子羊のお悩み相談状態だ。
「あのカルボナーラバカ、あ、神崎って言うんだけど、俺の同期で、とにかく仕事ができるんだよ! ものすごくいいヤツで、上からも下からも好かれてて、あっという間に課長になんかなりやがって! それなのに、注射の一本が嫌で本気で会社休むとか、マジありえねぇ……! しかもそれがギャップ萌え? らしくて? これまた上から下までモテやがるくせに、本人は彼女なんかめんどくさいからいらねぇっつって、寄ってくる女を千切っては投げ千切っては投げ……! これっぽっちもモテねぇ俺に対する嫌味かっての!」
「三枝くん、話ズレてるから。あと、いろんな感情が混じりすぎててワケわかんない」
俺の心の声を、藤野さんが完璧に代弁してくれた。
三枝さん、理人さんのこと大好きなんだなあ。
もちろん、俺が理人さんに抱いている『好き』とはだいぶ意味が違うんだろうけど。
「毎年恒例とは言え、超絶めんどくせぇ……! しかも今年は直前まであいつに情報が漏れないように徹底してたってのに、いったいどこのどいつが……」
「……あのう」
「ん?」
「とにかく予防接種を受けさせればいいんですよね?」
「そう簡単に言うけどね、オニーサン。あいつの注射嫌いは筋金入りなんだよ……」
「それはそう、みたいですけど……もしかしたら、なんとかできる、かも?」
「マ、マジで!? あ、いやでも、ほぼ見ず知らずのオニーサン……」
「佐藤です」
「佐藤くんに、そんなコト頼むわけには……」
「気にしないでください。理人さんには、いつもお世話になってますし」
「え? あれ、名前呼び……?」
「……あ」
「もしかして、あいつが最近よくつるむようになった友達ってオニーサン!?」
「え!? あ、は、はい、たぶん」
「なんだ、ほんとに女じゃなかったのか……」
「えっ?」
「あ、いや、なんでも……そうか、ってことは……いやでも、午後は俺も会議で手が離せないし……」
「大丈夫ですよ」
「えっ、でも……」
「実は、ひとつ考えがあるんです」
「佐藤くん……!」
三枝さんは、感極まった様子で俺の手を握った。
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