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Nine(4)
部屋のドアがノックされた。いつのまにかアレクシスが部屋の中にいたらしく、「ほーい」という間延びした声と同時に、ドアが開く音がした。
「様子はどうだ?」
「食欲ないから要らないってさ」
ユーリが夜中のうちに書いていたメモを見つけていたようだ。アレクシスがミカエラにその内容を伝える。
「食べたくないから朝はシナモンたっぷりの紅茶だけでいい。昼もいらないし夜もいらない。昨日のポタージュはおいしかった……だって」
ミカと同じく子ども舌だなとアレクシスが笑う。
「せめてバケットだけでも食べられませんか? Sig.バロテッリが作ったものなので、お口には合うかと」
ジャンカルロのバケットと聞いて、腹の虫が鳴る。さすがに空腹には勝てないなと思うものの、要らないと言った手前食べたいと言う気になれない。本当に強情だと自分でも思う。ユーリはのそのそと羽毛布団から顔をのぞかせた。
「おはよう、ガッティーナ」
言ったそばからアレクシスの小さな悲鳴が上がる。
「だからすねを蹴るなって」
「だったらそのふざけた口調をどうにかしろ」
ベッドから降りてスリッパを履く。テーブルを素通りしてドアノブに手を掛けたところでアレクシスに腕を捕まれた。
「どこに行く気だ?」
ユーリがじろりとアレクシスを睨む。
「トイレ」
手を離せと腕を振り払い、ドアを開けようとしたが、すぐさまドアを閉められる。アレクシスがうんざりしたような顔をしている。ようやく発した言葉がトイレとか、ピッコリーノ(赤ちゃんの意)かよとぼそりと言う。ユーリが睨むと軽くホールドアップして見せた。
「了解した、案内する」
アレクシスがこっちだと案内してくれる。逃げるつもりはないが、警戒されているのかいつでも腕を掴めるほどの位置にアレクシスがいる。トイレの前に着いて、ユーリはアレクシスを見上げた。視線の意味に気付いたのか、苦笑を漏らす。
「わかったわかった、ここにいるから」
ユーリはなにも答えずにスリッパを履き替えてトイレに向かった。
さすがにトイレの窓は換気ができるように窓が開く仕様にはなっているが、やはり嵌め込み格子で容易には外に出られないようだ。ミクシアの建物を使っているものの、嵌め込み格子は明らかに後付けだ。侵入経路も逃走経路も限られる。ただこれだと放火された時の非難に困るだろうなと思う。
用を足し、手を洗ってからトイレの外に出ると、アレクシスが誰かと話しているのが見えた。地下街にいたイル・セーラだ。ミカエラたちとおなじトゥヘッドだけれど、瞳の色が違い、ヘーゼルカラーのようだ。ミカエラとも、若干ワイルドな見た目のアレクシスとも違い、きゅるんとした少年のような顔立ちをしている。髪の長さはミカエラとあまり変わらないけれど、前髪が短く、エリゼと同じくらいの背丈で、こちらのほうがやや体の線が細い。肌の色も、髪の色も、一見イル・セーラだけれど、なぜか違和感を懐いた。
「准将じゃねえぞ」
ビシッと敬礼をしたあとにそう言われて、イル・セーラが瞠目する。
「し、失礼いたしました」
「こいつはベアトリス。通称べべ。今日からSig.オルヴェの身の回りの担当をする。いつまでも俺が付くわけにはいかねえからな。ま、仕事があるときは貸さんけど」
二人でいるときとは口調が違う。ユーリはベアトリスと紹介された男を見ようともせずに、元いた部屋に向かった。「愛想が最悪なんだよ」と後ろから聞こえてくる。
「誰のせいだ、誰の」
くそ野郎がとステラ語――第一言語で罵る。ベアトリスが目を輝かせた。
「おおっ、うわさの第一言語だっ。本当にぼくらが使う言語とは発音もなにもかも違うんですね」
ユーリは明るい声で言うベアトリスを冷めた目で見つめた。ミカエラともアレクシスとも違う、厄介な相手だ。こういう手合いは無視もぞんざいな態度も通用しない。オレガノ軍には面倒なのしかいないのかと内心しながらさっさと部屋に向かう。
部屋に近付くにつれ、シナモンのいい香りが強くなる。シナモン入りの紅茶と書いたからなのか、本当に用意してくれたらしい。
部屋に入るとテーブルには紅茶の横に例のバケットが置かれているのが見えた。さすがに腹が減った。ユーリは椅子に座り、バケットを手に取ってそれをちぎった。ジャンカルロが作った味だ。バターの風味が鼻腔をくすぐる。何か月ぶりだからかさすがにうまい。ユーリが素直に食べているからか、ミカエラがどこかホッとしたような顔をしたように見えた。実際にはほとんど表情に出していないだろう。でもなんとなくそう感じた。ふいに目頭が熱くなるのを感じて、ユーリは下を向いた。
やっぱり自分はどうかしてしまったんだろう。サシャからは昔から泣き虫だったと揶揄されたけれど、そんなに涙腺が緩い自覚はない。サシャのことがあってからなにもかもが変だ。いままで築き上げてきた壁を崩されているかのような不快さと不安が押し寄せてくる。
「あと30分ほどで出発するので、食事を終えられたら準備をお願いします」
言って、ミカエラが丁寧に言葉を述べて部屋を出ていく。代わりにベアトリスが入ってきた。ミカエラに第二言語でなにかを言われ、返事をする。警戒と準備は聞き取れた。なにをするつもりなのだろうかと思いながらバケットを頬張る。
「荷物は纏めてあります。昨日まで着ておられた服は洗濯をしてクローゼットに掛けてあります。靴は玄関のロッカーに。あと、長丁場になると思うので、きちんと朝食は摂られたほうがいいと思いますよ。スープとバケットのお代わりをお持ちしましょうか?」
ユーリはバケットを流し込むように紅茶を啜り、ティーカップをソーサーに戻した。無視をするのも疲れた。そもベアトリスに罪はない。
「食欲ないし、いいよ。それからその敬語も気持ち悪いからやめてくれない?」
ベアトリスは何食わぬ顔で「立場がありますので」と言ってのける。やはりオレガノ軍は面倒な奴らばかりだ。
「じつはあなたが第一王族の末裔ではないかと紐解いたのは、ぼくの伯父なんです。伯父が小さい頃に第一王族の末裔に出会ったことがあると言っていましたし、勝手に持ち物を見てしまい恐縮なのですが、あなたがお持ちの懐中時計のレリーフとおなじものを持っておられたそうですよ」
ユーリは怪訝そうに眉を顰めた。
「第一王族って、旧王朝のだろ? 教科書には100年以上も前にアンリ王が処刑されたことにより滅びたって」
「アンリ王の実子が潜伏していたんですよ。オレガノに逃れてきたのはアンリ王の次男、三男に当たる血筋。ミクシアに隠れ住んでいたのは、長男と四男、そして長女の血筋だとの記載がオレガノには残っているんです」
ふうんとさして興味がなさそうに返事をする。
ミクシア史でさらりとふれられていたが、大昔とはいえ同族が処刑に合う内容の伝記を聞かされるのはいい気分がしなかった。とはいえイル・セーラが軽視されるのにはそういった理由があるのかと、納得こそしないもののその事情がわかってなるほどと思ったのは事実だ。
もう昔のことだし、だからと言ってノルマに復讐をしたいとかは一切思わなかったのだが、逆にノルマはユーリたちイル・セーラの立場を回復することにより自分達が復讐されかねないと懸念を抱いたのではないだろうか。
だから収容所を出てすぐに書かされたあまりに不当な契約書には、収容所で起きたことやされたことを他国はもちろんのこと本国でも話さない、それを理由にノルマに復讐を考えないなどの記載があったのではないか。その代わりに衣食住を保障するとはあったが、実際に南側のスラムにいた仲間たちがどうだったのかは定かではない。それはユーリとサシャに限られたのか、それともじつはエドもこちらにくることを打診されたのか。ユーリとサシャに限っては、大学に入学することになったのはほぼ強制的だった。
血筋のことが本当なら、誰かがそれを知っていて、自分たちに何かをさせるつもりなのではないか。考えられることはふたつ。ミクシア、オレガノ間の国交正常、そしてもうひとつはユーリたちをオレガノに移住させることでミクシアを完全にノルマの国にすることを承諾させること。いや、もうひとつあった。王制復権を煽り、ノルマとイル・セーラの全面戦争を勃発させること。
「ねえ、ミカエラ……いや、准将殿は、なぜ西側で危篤に陥ったか、その理由を?」
「西側は惨状を極めており、准将殿は深追いするリスクや隊員たちの人命優先をした結果、退避命令を下したのですが、ミクシアの軍部からは退避命令ではなく調査続行命令がくだり、あそこに赴いた多くの警備団やピエタの警備隊が命を落としたと聞いています。
オレガノ軍は准将殿の独断で退避してそのほとんどが無事でしたが、准将殿含めて十数名が負傷しました」
「退避命令がおりなかった?」
「でも記録には直ちに撤退命令を下したとあるのです。大佐殿のご指示によりその撤退命令を下したとされる軍部の兵士を捕え、自白剤を用いて吐かせようとしたのですが、途中で自死をされてしまい真相はわかりません」
違和感しかない。そもそもミカエラたちにまで命令を下せる側なんて限られるだろう。それを炙り出すためにいまドン・クリステンが動いているのか、それともユーリ自身をエサに使おうとしているのか。
ユーリは少しの間考えていたが、どうでもいいやと溜息混じりに吐き捨てて立ち上がり、ばさりとローブを脱いだ。ベアトリスが慌てる声がする。
「お召替えになられるのでしたら、一言お声掛けください、退室しますので」
慌てたように一息で言って、ベアトリスが部屋から出ていく。べつに気にすることでもないだろうにと思いながら、オレガノのイル・セーラは変なところで神経質だなとつぶやいた。
服を着替え終え、部屋の外を覗く。ベアトリスはユーリに気づいて敬礼をした。
「着替えたけど、懐中時計しらん?」
ベルトループに付けておいたはずの懐中時計が無くなっていることに気づき、ユーリが問う。ベアトリスは怪訝な顔をした。
「着替えられた時のままのはずです。ぼくは確かに」
そうベアトリスが言いかけた時だ。ひょこりとアレクシスが顔を覗かせた。
「悪い悪い、ちょっと借りたぞ」
言って、ユーリの懐中時計をチラつかせる。ユーリはそれを奪いとろうと手を伸ばしたが、手が届かないところまですいっと挙げられた。
「どういうんだっけ」
あからさまに嫌がらせめいた表情だ。アレクシスはたちが悪い。ユーリはイラついてすうっと息を吸い込んだ。
『さっさと返しやがれ、陰険ド変態野郎!』
ステラ語……第二言語だ。割とちゃんとした発音だったのか伝わったらしい。アレクシスが唖然とした顔で懐中時計をこちらに差し出してくる。ベアトリスが冷ややかにアレクシスをみた。
「大佐殿、もしかして」
「いや、なんもしてない。なんもしてないぞ。准将から許可得て触ったし違法じゃねえわ」
「あの人がそんな許可出します? 性知識ゼロでしょ、あなたの趣味で」
「いやー、19にもなってちゃんと自分でオナニーできないとかかわいくない? 顔が同じなら性感帯も同じかなって言ったら、興味があるなら確かめてみろっていうからさ」
「あなた本当にクソですね。いいですか、Sig.オルヴェに次に手を出したら准将殿に言いつけますから」
それ以前にぼくが担当者なのでご用があればぼくをとおしてくださいと、ベアトリス。また毒を盛られたくなければと脅しをかけるように言う。また? とユーリが呆れたような表情で尋ねると、アレクシスが情けない声を出して軽く肩をすくめてみせた。
「気をつけたほうがいいぜ、Sig.オルヴェ。こいつこう見えて暗殺術の使い手だから、機嫌損ねたら動けるか動けないかギリギリの毒を盛られるぞ。
つか、口の利き方に気をつけろよ、クソプロエリム」
「大佐殿だから動けたんですよ、通常失神するレベルです。そちらこそ、もう一回将官殿に躾け直していただいたほうがいいんじゃないですか?」
ベアトリスが唸るように言う。ご丁寧に中指まで立てる始末だ。オレガノにはやはりヤバい奴しかいないらしい。ユーリは取り合うのが面倒になって、ふらふらと廊下を歩いて出入り口の方へと向かった。
7時前には出発の準備が整っており、ユーリはミカエラがいる部屋に通された。また散々無視してやろうと思ったけれどそんな労力が無駄だと半ば諦めている。もうどうにでもなれと投げやりな態度だ。
部屋の隅にはユーリが地下街の奥で使っていた薬品や資料が置かれている。それに気づいてユーリはアレクシスを睨んだ。ユーリの懐中時計を持っていたのは、地下街の奥に入ったからのようだ。
「地下街に潜伏していたノルマは全員死んだ」
そう言われても、ユーリは顔色ひとつ変えなかった。本当にそうならもっと含みを持たせた言い方をするはず。そう踏んだのは間違いではなかったようだ。ユーリが取り乱すのを期待していたのか、想定外の落ち着きぶりにアレクシスが残念そうな顔をした。
「地下街の秘密を暴こうとしていた、ピエタの下部組織のやつらのことだけど」
死んでもねえけどと、しれっとアレクシスが言う。ミカエラが冷ややかな視線を浴びせ、悪趣味で申し訳ないと頭を下げる。
「チェリオ・ベルナスコーニからの要望があるより以前に、地下街には多数の手勢を入れておきました。地下街の住人は全員ほぼ無傷で保護してあります。
ピエタの下部組織と交戦になり、その際あちらに怪我人が数人出ましたが、女性も子どもたちも無事ですし、あなたが行った研究資料や薬品なども引き上げさせています」
ユーリはもう嫌味を言う気力もなかった。視線を逸らしたまま取り合いもしない。
「ミカが支持したわけじゃなくて、あのチビちゃんから啖呵を切られた。俺たちが介入してこなければ助かる命もあったし、そもそも最初にSig.オルヴェの善意を踏み躙ったのは軍部なのに今更でしゃばるなってな。
なに言ってんのかわからなかったけど、ミクシア軍の捕虜を尋問して確かめた」
「尋問というよりあれは拷問と言わないか?」
「そうともいう。まあそしたらだ。軍部はいま三つの組織に分かれているっていうんだ。ドン・クリステンの一派、ドン・アゼルの一派、そして貴族院が秘密裏に動かしている一派。
その捕虜はドン・アゼルの手下らしいが、おもしろいことを言っていたぞ。西側のスラム街のいざこざで“オレガノの准将を死なせた責任”をドン・クリステンに押し付け、一族および一派ごと粛清するか失脚させるかっていう動きがあるんだとさ」
ノルマって怖えよなあと間延びした口調でアレクシス。さして怖いと感じている気はしないし、感情が伝わってこない。
「まあこっちとしては、ミカを罠に嵌めた奴らの正体が分かって良かったと思ってるんだ。チビちゃんに啖呵を切られなければ動かなかった。だから研究資料等を運んできたのは礼がわり」
「オレガノの人間ってどっか頭飛んでんのか?」
ユーリは二人から視線を逸らしたまま、不機嫌そうな声色で吐き捨てた。
「勝手に俺たちを地下街から引き摺り出しておいて、なんなんだ? 恩でも売りたいのか? 結果的にロレンたちが助かっただけで、あんたらが来なきゃそもそもピエタの下部組織も嗅ぎつけて来なかったんじゃないのか?」
「そうかもしれんが、遅かれ早かれ地下街は狙われていた。ロッカとかいうガキが地下街のざっくりした地図をピエタの下部組織に売ったみたいだからな。どこが弱点とか、自分は行ったことがないけどチビちゃんたちが拠点にしていた場所はどうやったらいけるかとか、全部。
おまえに母親を殺されたって言ってたみたいだから、ピエタの連中がそれを理由に追って来る可能性は大いにある。だから一芝居売ってだな」
「助けて欲しいなんて誰も言ってない」
ユーリは自分の声が震えているのに気付いたが、止められなかった。
「じゃあなんでもっと早く介入してこなかった? 4年も前にミクシアに来ていたんだったら、なんでその時に接触してこなかった?」
「4年前っつったら、ミカはまだ未成年でそういう権限もなくて」
「権限の有無なんざ知ったことか。俺たちが第一王族の血筋じゃなくても介入してきたか? フェルマペネムの代替品のことがなくても、同じようにオレガノに招聘するなんて言ってきたか?」
「たしかに、おまえが第一王族の末裔じゃないかって話が出たのは一年ほど前の話だ。でもそれよりも前からこっちはおまえとおまえの兄、それから南側のスラム街にいるイル・セーラたちのオレガノへの一時避難を再三提案していたけど、貴族院の対外会議で撥ね付けられて」
「それはオレガノの権力を使えばどうにでも捩じ伏せられた話なんじゃないのか?」
アレクシスの言葉に被せてユーリが言う。ミカエラは無表情だが、アレクシスはあからさまに怒りの色を表情に乗せてテーブルに勢いよく手をついた。
「国家の権力を使えば、たしかになんとかなったかもしれない。でもそれがなにを意味するかと言ったら、ミクシアとオレガノの全面戦争だ。それを回避するためにもろもろと手を打った。結果としてSig.オルヴェやSig.バローニに窮屈な思いをさせてしまった。それは申し訳ない」
「謝ってほしいわけじゃない」
「じゃあどうしろっていうんだ」
ミカエラがアレクシスの腰あたりを軽く手の甲で叩いた。ぼそりとなにかを言う。「ペースに乗せられている」だろうか。第二言語と第一言語はスペルも発音も主語と動詞と助動詞の位置も違うが、いつものステラ語と言語形態の異なる資料を照らし合わせていたおかげで、聞き取れない部分もあるけれどなんとなくはわかる。知らないことを知らないままにするのが嫌なタイプでよかったと思う。
「いまからあなたをとある方に面会させます。ドン・クリステンと、それからガブリエーレ卿です。我々がなにを言っても弁解にしか聞こえないでしょうし、今後のことはその話を聞いた上で判断してくださって結構です」
「どうせ大した話じゃない」
ふんと鼻で笑う。言われることの検討など大体ついている。ユーリはアレクシスではなくミカエラを見た。
「俺が何か月か前に書いた中和剤の論文に関する尋問。それからあんたらと協力してパンデミアを防ぎ、オレガノ・ミクシア間の国交正常化を図る。もしくは、前に偶然とはいえ助けてやったのだからと今度はこちらを救うために手を貸せ。
あと、大穴でオレガノのお坊ちゃんたちを追い払うのに手を貸せ」
大穴はないと思うけどと継ぐ。
「俺が第一王族なのでは? っていう仮定を、ミクシアで誰かに話したか?」
「いいえ、話してはいませんが、ごく一部の貴族たちの間では噂になっていたようですね」
じゃあそのことはドン・クリステンーー基、レナトの耳にも入っている可能性がある。
「ま、ここで議論していてもなんだし、待ち合わせの中継地点に行こう。そこであちらから直々に話があるはずだ」
話の詳細を俺たちは聞いていないのでね。そう言って、アレクシスが部屋のドアを開けた。
気が進まなかったが、素直に応じた。ドアを出る際に、出入り口のポールハンガーにかけられていたオレガノ軍のマントを頭から被せられる。イル・セーラに混じっていても、髪の色ですぐにユーリだとバレる。襲撃防止か、木を隠すなら森の要領なのか。
それならここに呼びつければいいのにとも思ったが、立場上そう言うわけにもいかないのだろうと察する。貴族や王族は面倒臭い。すぐに体裁を気にする。襲撃を気にしてか、すでに建物の出入り口付近に駐車されている車に押し込められた。
ここは迎賓館のあたりだろうか。横目で景色を伺うが、あまりキョロキョロするのも怪しまれると思い、やめた。隣にアレクシスが乗り込んでくる。胡散臭そうにユーリがアレクシスを睨む。その視線に気付くなり、アレクシスが不敵に笑った。
「悪いけどどこに連れて行くかは教えられないから、ちょっとの間静かにしておいてくれ」
そう言うや否や、アレクシスがユーリの口と鼻をなにかの液体が染み込まされたガーゼで覆った。あっという間に視界が歪み、意識が遠のいて行くのを感じる。オレガノ軍は本当にクソ野郎ばかりじゃねえかと精一杯の悪罵を吐きたかったが、言葉の途中で完全に意識が遮断した。
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