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1話

 天使は神父に恋に堕ちてしまい、 神父もまた天使に恋い焦がれた物語。 *****  この世界には、「天界」に生息している【天使】と、「魔界」に生息している【悪魔】と、「下界」に生息している【人間】と言う三つの種族で分けられていた。  古い書物の記述によると、遠い昔、天使も悪魔も人間も異なる種族同士で、一緒の世界に住んでいた。だが、ある日を境に悪魔達と人間達が争いを始めてしまった。何が切っ掛けで争いに発展したのかまでは分からない。きっと、それは些細な事だったのだろう。悪魔達と人間達の争いが日に日に激化していく中で、天使達は悪魔と人間の争いに中立に回り、争いを止めるように説得をし続けた。  けれども、人間達は天使の背中に生えている白き鳥類の羽が、治癒効果があり、悪魔に対して対抗できる貴重なものだと知ると、天使達を裏切って狩り始めたのだった。捕まえた天使の羽を捥いで、天使の羽を使用してお守りを作ったり、武器を作ったりいろいろと加工していったのだった。  悪魔達もまた天使達を裏切って襲い掛かり、天使の力を奪い吸収をして悪魔の力を得たり、また天使を犯して悪魔の子を身籠らせた。悪魔達と人間達による『天使狩り』というものが、無慈悲にも行われていた。  その様子を眺めていた【神】は、残された天使達を守る為に世界を「天界」と「魔界」と「下界」と三つに境界線を分けて、争いに終止符を打った。そうして、天使達は、人間達と悪魔達となるべく関わらない様にした。外の世界に出る事はせずに「天界」に引き篭る様に暮らすようになった。  それから長い時が流れて、現在に至る。天使にとって悪魔も人間も、とても恐ろしくて危険な存在だから、絶対に関係性を持って性行為をしてはいけないと言い聞かされていた。天使が人間や悪魔に恋心抱くなんて、言語道断だと強く注意されてきた。もしも、天使が悪魔か人間と関係性を持ってしまい、性行為をしてしまったら、腹に淫紋が刻まれてしまい、天使の輪っかを剥奪されて天界から追放されて、二度と戻れなくなってしまう。そして、天使の純白の羽は性行為した相手の色に染まってしまう。  そんな遠い昔話を何度も繰り返し、幼い頃から老人や大人の天使達に言い聞かされて育った一人の天使がいた。ふわふわの金色の髪に、宝石の様に煌めくサファイアブルー色の瞳。華奢な身体つきで純白のキトンに身を包んでいた。人間年齢で言うならば二十歳くらいだろう。けれど、青年と言うには幼い顔立ちをしている。名前をエルと言い【天使】の種族に属していた。天使の証に、頭の上には天使の輪っかと、そして、背中には雪の様に真っ白な鳥類の天使の羽が生えている。  人間や悪魔は恐ろしくて危険な存在だと言うのは、老人や大人の天使達だけで、若い天使達の考え方は違っていた。むしろ、人間や悪魔という存在に興味が沸いてしまい、エルもまたその一人であった。エルも最初は人間や悪魔が怖い存在だと思っていた。けれど、人間や悪魔は天使に無いものや知らないものをたくさん作ったり、たくさん持っている。周りの若い天使達の話を聞いている内に、自然と好奇心と興味が沸いてしまったのだった。  こっそりと天界を抜けだして、悪魔達の住む魔界や人間達の住む下界を、見に行くという若い天使達が後を絶たなかった。そんな若い天使達を老人や大人の天使達は止める術が無いので、暗黙の了解として見逃していた。けれども、「決して、人間や悪魔には触れないこと」と強く言い聞かせたのだった。  遠い昔と違い悪魔達や人間達に見つからない様に、自分の姿を隠す魔法が新たに出来た。若い天使達はこぞって習得して、下界や魔界を見に行くのだった。エルも外の世界が気になっていたので、時間は掛かったが自分の姿を隠す魔法を習得した。同じ時期に魔法を習得した天使の少女のアンジェとも仲良くなっていった。アンジェと一緒に外の世界の話について、どんな世界が広がっているのか話し合ったほどだった。  そうして、時が来た。他の若い天使達と一緒に、天使の羽をばさりと広げると、エルは天界から飛び立ったのだった。 *****  最初に向かったのは、悪魔達の住んでいる魔界だった。天界ではいつも澄み切った青空が広がっているのに対して、魔界ではいつも薄暗い夜空が広がっていたのだった。初めて見る魔界に、エルはドキドキとしながらも心は弾んでいた。そうして、初めて悪魔を見た時の衝撃は今でも忘れられない。悪魔の特徴として、漆黒の蝙蝠の羽を背中に生やしていた。闇の様に暗い色をした漆黒の蝙蝠の羽を見て、天使とも人間とも違う存在だと知った。  若い天使達と一緒に魔界にある深い森の中を散策していた時に、エルは転んでしまい足に怪我をしてしまった。その拍子に、エルの自分の姿を隠す魔法が解けてしまった。さらに運が悪い事に、森の中から誰かが歩いてくるのを聞こえてきたので、若い天使達はエルを置いて一斉に逃げ出した。唯一、アンジェだけはその場に残り「エルくんのことは、私が守りますから…!」と身体を震わせながら、エルを守ろうとしてくれた。  こつ、こつとエル達の元へ歩いてくる足音が近付いてきて、姿を現した。若い少女の悪魔二人と青年の悪魔で、エルとアンジェの姿を見て驚き目を見開いた。そして口々に「大丈夫?」と言って、エルの怪我をした足に持っていた布を使用して、丁寧に巻いてくれたのだった。そんな悪魔達の行動に、エルとアンジェが顔を見回せて困惑しながらも、ぽかんとした表情を浮かべていた。  エルは助けてくれたお礼を告げると、お互いに自己紹介をしたのだった。若い少女はそれぞれルカとディルと名乗り、青年はミストと名乗った。また、ルカとはミスト姉弟だということも教えてくれたのだった。エルとアンジェは、こっそり魔界を見に来た経緯や事情を話したのだった。それを聞いたミスト達は納得した様に頷いた。実はミスト達も、こっそり天界や下界に姿を隠して遊びに行っているのだと教えてくれた。まさか、若い悪魔達も若い天使達と同じ考えを持っていたのが面白くて、笑い出してしまった。老人や大人の天使達の話に聞いていた悪魔と違っていて、悪い悪魔ばかりではないとその時、初めてエルは知ったのだった。  それからエルとアンジェは、ミストとルカとディルとこっそりと会ってはいろいろな話をするようになって、自然と仲良くなっていき「友達」になったのだった。エルにとって初めて天使以外の友達が出来た嬉しい日だった。 *****  悪魔の友達が出来た後、エルは次に人間達の住むと言われている下界へと飛び立った。人間の背中には、純白の鳥類の羽も、漆黒の蝙蝠の羽も生えていなくて目を瞬かせたのだった。さまざまな服装を着込んだ人間達が忙しなく街中を歩いている姿を見て、圧倒されるほどだった。いろいろな建物が建てられている中で、偶然、とある教会に目が入った。  お世辞にも綺麗とは言えず、ぼろぼろと痛みだして随分と古びた教会だった。それでも、教会の傍には綺麗で瑞々しい白薔薇が咲き乱れていた。エルには、人間が愛情を込めて白薔薇を育てている事が伝わってきた。そうでなければ、白薔薇は綺麗に咲かないのだから。そして、エルがその人間と出会ったのは、偶然だった。  古びた教会には、一人の祖母と一人の幼い少年が仲慎ましく暮らしていた。天使であるエルには、人間の名前がすぐに分かった。幼い少年の名前を神坂明(かみざかあきら)と言った。幼い少年の明は、身体の弱い祖母の事をいつも心配して、勉強を一生懸命に頑張りながらも毎日、時間を見つけては祖母の手伝いをしていた。祖母もそんな明のことをとても大事にしていて優しく穏やかに接していた。そんな優しく誠実な幼い少年の事が好ましく思い、気が付いた時にエルは、そっと古びた教会に通い詰めて二人の事を見守っていたのだった。  祖母と明のやり取りはいつも心温まるが、彼等の暮らしは悲しいほどに貧しかった。いつも金が無く、幼い少年の明を養う為に、教会の裏にある畑仕事をしながら、祖母は必死で親戚中を回り、金を借りていたこと。明は一生懸命勉強しながらも、毎日、身体の弱い祖母の面倒を見ていたこと。天使は人間と関わってはいけないという掟があったので、手助けをする事が出来ず、ただ見守る事しか出来ないエルは、心がずきりと痛みだして悲しい表情を浮かべていた。  そんな彼等に、残酷にも悲劇は起きた。ある日、身体の弱い祖母が病に倒れてしまった。少しだけ成長した明は、中学を卒業してからすぐに肉体労働もして金を稼ぐようになった。だが、金は足りずいつも貧しい暮らしをしていた。祖母は寝たきりになってしまったけれども、明は育ててくれた優しい祖母の事を見捨てる事はせずに、汗水流しながら働き、毎日、祖母の面倒を見ていた。けれども、祖母はこの世を去ってしまった。それは、明が働きに出掛けていた時だった。  祖母の葬式がしめやかに行われた後、明は古びた教会の中にいて一人で涙を零していた。それは、悔し涙だった。大切な祖母を一人だけで家に置いてしまい、寂しい想いをさせてしまった事に対する後悔。あまりにも無力過ぎて、弱くて何も出来なかった自分に対する悔し涙。 「お金さえあれば、おばあちゃんに不自由な暮らしをさせずにすんだのに」    自分自身のことを一人で責めて、力無くしゃがみ込みながら静かに涙を流す。そんな明の姿を見ていたエルはいても立ってもいられずに、気が付いたら身体は勝手に動いていた。  人間と関わってはいけないという掟を破って、ゆっくりと背後から近付いて、エルは明の事をそっと優しく抱きしめた。もちろん、人間に対して天使である自分の姿を視認が出来ない様に、魔法をかけて気を付けながら。ふわりと真っ白な純白の天使の羽が、まるで隠す様に涙を流し続ける明を優しく包み込んだ。 (俺は、あなたの事をただ見守る事しか出来ないけれど……)  あやすように背後から抱きしめながら、エルは明が泣き止むまで優しく抱擁するのだった。それは、綺麗な星空が広がり、満月の光が教会の窓から射し込む夜の出来事だった。  そうして、天使のエルは人間の明に惹かれ恋をした。

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