2 / 7

2話

 しばらくしてエルは、下界に住む人間に対して接触してしまった事を、別の天使に目撃されてしまっていた。その事実が報告されてしまい老人や大人の天使達に、ひどく怒られ厳重に注意されたのだった。そうして、エルは人間達が住んでいる下界に近付く事を許されなかった。それ故に、神坂明を抱きしめたあの日から、明には会っていないし、会えなかった。  下界に住む人間と天界に住む天使の時の流れは違う。あれから、どのくらいの時間が流れたのかは分からなかった。それでもエルの頭の中は、あの時、一人だけで悔し涙を流す神坂明の姿が頭を離れてはくれない。会えない間も、明の事とばかり考えながらエルは過ごしていた。元気のないエルの姿を見て、アンジェが心配したほどだった。その度に、エルは「何でもない」と言い続けて誤魔化していた。明に会えない間、明に対しての想いが募るばかりだった。 「明さん……。どうしているかな……」  ぽつりと想いをのせた言葉を零した。天界に浮かぶ柔らかい真っ白な雲の上に乗りながら、エルは一人で物思いに耽ってぼんやりと下界を眺めていた。ふと、周囲を確認してみると誰もエルの傍にいない事に気付いた。 (これは、下界へ行けるチャンスじゃ?)  辺りをきょろきょろと見回したエルは、自分一人だけしかこの場にいない事を確認する。そして、誰にも気付かれない様にそっと天使の羽を広げる。ふわりと広げられた天使の羽は、雪の様に真っ白で汚れを知らない。満月の浮かぶ夜空を羽ばたくと、かつて、神坂明が住んでいた古びた教会へと飛び立ったのだった。 *****  ふわりと地面に着地したエルは、かつて見た古びた教会を見上げると、驚きを隠せなかった。あれほど、古びて痛んでいてぼろぼろだった教会は、今では綺麗で立派な外観に変わっていたのだった。けれど、相変わらず教会の周りに咲いている白薔薇は、枯れ果てることなく綺麗に瑞々しく咲き乱れていた。手入れが行き届いている美しい白薔薇を見つめると、ふわりと薔薇の甘い匂いが香ってきた。  薔薇の甘い匂いに心地よさを感じながらも、エルは何かに誘われるように、そっと教会の大きな扉に手を伸ばす。大きな扉の鍵は閉じられておらず、むしろ、開いていて不思議に思った。けれども、エルは警戒心よりも好奇心が勝ってしまう。恐る恐る教会の中へ、するりと身体を滑り込ませて入って行くのだった。  教会の中は思って以上に広い空間が広がっていて、明かりはついておらず薄暗かった。周囲を見回してみると、綺麗に整理されていた。大きなステンドグラスが満月の光を受けて、きらきらと光り輝いていた。エルはその光景に見惚れながらも、ゆっくりと教会の中を見て歩き回っていた時だった。 「っ!?」  教会の真ん中まで歩いた所で、床が突然、真っ白に光り輝き始めたのだ。そうして、エルは何か強い力で縛られてしまい、足や腕が拘束されるかの様に床へ力無くしゃがみ込んでしまい、天使の羽をばさりと広げてしまう。身動ぎしようと思っても、体を動かすことが出来ず、エルは慌てふためいていた。人間に視認出来ない様に姿を隠していたのが、このままでは天使であるエルの姿を誰かに見られてしまう。天使に対抗する為の強い結界が張られているのだろうか。必死に羽ばたこうとしても空を飛ぶ事が出来ず、エルは焦りながら右往左往していた。  すると、教会の奥からこつ、こつ、こつと足音が聞こえてきた。その方向に目をやると、ステンドグラスから差し込まれる満月の明かりで、一人の人間の姿が照らし出されたのだった。それは、綺麗に神父服を身に纏ったエルが会いたくて仕方が無かった神坂明の姿だった。エルが会いに行けなかった時から、随分と身長も高くなって大人になったのだと第一印象は思った。艶やかな黒髪に、アメジスト色の切れ長の瞳。真っ白な神父服に身を包みこんでいた。  明は、こつ、こつ、こつと足音を立てながらゆっくりと歩いてくる。天使であるエルの姿を見ても、特に驚いた表情はしておらず、そっとエルの前にしゃがみ込んだ。そうして、エルの顔をじっとアメジスト色の瞳で見つめてくる。明はそっと手を伸ばすとエルの頬を優しい手つきで撫でながら、口を開いた。 「結界の効果はあったか。古い書物を読み漁って正解だったな」  どこか一人で納得した様に明は心地の良い低温で呟きながら、エルの頬を愛おしそうに撫でるのを止めなかった。 「ど、どうして……?」  エルは戸惑いながら、困惑した表情で恐る恐る明に対して疑問をぶつける。天使に対して効果のある強力な結界を、教会に張ったのはどうしてなのだろうか。黙って勝手に教会に入った事に対して怒っているのなら、謝って許してもらおうと思った。けれども、明は特に怒っている様子は無かった。むしろ、エルの事をずっと待ち望んでいたかの様だった。  動けないエルに対して明は、端正な顔をゆっくりと近付けた。唇と唇が触れそうなくらいまで近付かれて、エルの心臓の鼓動がどくどくと脈打つのを感じて顔を紅く染まらせた。そうして、明は戸惑うエルに対して、アメジスト色の目を細めるとゆっくりと口を開いた。 「俺はお前が好きだ」 「えっ……?」  突然の告白に、エルは驚きを隠せずに目を瞬きさせながら明をサファイアブルー色の瞳で見つめる。そんなエルに対して、明は真面目な表情で言葉を続ける。 「……あの時、俺が一人で泣いていた時に、そっと抱きしめてくれた天使に、ずっと恋い焦がれていた。時間は掛かったが、やっと見つけた」  明はエルのことを愛おしそうに見つめながらも、真面目な表情から一変して、どこか自嘲気味に、けれど、愉し気に口元を歪めた。 「だから、お前を見つけた時は俺のものにすると決めた。その為の手段や方法は選ばない」  不穏な雰囲気を感じ取ってしまったエルは、少しだけ怯えてしまい距離を取ろうとして、一歩後退ろうとした。けれど、その気配を感じ取った明が眉を潜めて、エルの腰に腕を回して強く抱きしめる。いや、抱擁という名の強い拘束だった。 「ま、待って…!待ってください…!」 「待たない」  エルは明に話を聞いてもらいたくて必死に言葉を紡いだ。けれども、強い口調で一刀両断されてしまい、明の腕の中でエルはもがいた。けれども、明の力が断然強くてエルの抵抗は虚しく拘束されてしまう。

ともだちにシェアしよう!