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第1話
男は窮地に立たされていた。
「教祖様!」
「教祖様!」
信者たちの顔はやつれ、悲壮で、痛切だった。
「……祈りましょう。神は、乗り越えられる試練しか、お与えにならない」
己の吐くその台詞の無力さを、拳を握り締めて立ち竦む。
そんな言葉が最早なんの効力も持たない事は、誰よりも自分が分かっていた。
もう、どうすればいいか分からない。
こんな筈ではなかったのに、どうして。
今この片田舎で教祖と呼ばれる男は、元は大きな宗教都市の聖職者だった。そこは如何にも威厳のある街並みで、きっと後世に名を残すであろう法王もいた。
だが実態はと言えば、汚職と私欲に塗れた俗物以下の世界だ。純粋に神を崇拝しようなどという者は、階級が上がれば上がるほどに減る。
そういうものに、つくづく、嫌気が差した。
勿論、神の教えを説くだけでは、人は生きていけない。綺麗事だけで解決する問題でない事も、それは理解している。
だから幾らか、農耕の知識を蓄えた。都市から少し離れると、極端に村落は減る。それはひとえに、土地が痩せているからだ。
都市部では農耕技術もそれなりに発展していたが、わざわざ肥沃な地を離れて脆弱な畑に移ろうなどという物好きはいない。
男は農夫たちに教えを乞い、そういった枯れた土地でも育てられる作物を調べ、実らせる方法を覚えた。
幸いにして当時から男は聖職者だった。その都市で聖職者とは、権力者と同意だ。農夫たちは男の頼みを、内心はどうであれ、断りはしなかった。
そうして僻地での生活の目処を立てると、半ば破門覚悟で布教の旅を申し出た。
田舎者の財布などあてにはなる筈はなく、金を集める事にばかり熱心な教会は、けれど存外簡単に許しを出した。
金にはならないかもしれないが、金が出て行く事もないと踏んだのだろう。何しろ最初からいないも同然に扱われている人々だ、ゼロは増える事はあっても、それ以上減る事はない。
こうして男は、あろう事か女の斡旋までしてくる腐敗した教会を離れ、僻地へと向かった。年齢的には女を知らないなんて、と揶揄されるどころか、子供の1人や2人いても何らおかしくはない頃ではあったが、彼は聖職者としての矜持があった。当然それら全てを断り、都市を脱した。
幸運にも、男には賛同者がいた。
ほんのひと握りの人数ではあるが、彼に感銘を受け十数名の弟子たちもついて来てくれた。
数週間かけて辿り着いた先には、あばら家が点々と並ぶ貧しい集落。
否が応でも質素で慎ましい生活を強いられていた村人たちは清廉な心の持ち主で、男たちを快く迎え入れてくれた。
なんでも、何年か前に巡礼で訪れた聖職者もいたらしいのだが、高価な聖典を売りつけようとするばかりで、何も施してはくれなかったと言う。
その事にまた心を痛めながら無償で教えを説き、都市部で仕入れた作物の種を与え、ただ荒れ地を耕しただけの畑に、改良を加えた。
成果はすぐに表れた。
作物は青々と順調に育ち、男の話にも村人たちは熱心に耳を傾けてくれる。子供たちにも、男や弟子が読み書きを教え、村は着実に豊かさを得ていった。
それも金を儲けるだけの豊かさではない。まだ食べ物は潤沢とは言えないし、生活が劇的に向上したわけではない。しかし確かに、健やかに、村は活気に満ちようとしていた。
村人たちは彼を教祖様と呼ぶようになった。
以前訪れた、押し売りまがいの聖職者とは違う。
全く新たな神の使いだと。
最初は謙遜していた男も、いつしか圧倒的な村人たちの声に、そう呼ばれる事が定着してしまった。
やがて1年が過ぎ、2年が過ぎ────5年が過ぎた頃、快調に進んでいると思われた村の生活に、異変が起きた。
流行病と思しき症状で、村人たちが次々と倒れ始めた。
都市部からも遠く、人の往来のない村での出来事だ。発生源の特定も出来ず、治療も出来ず、人々は衰弱して死んでしまう。
加えて、折も悪くその年は天候不良で充分に作物が得られなかった。せめて栄養をつけようにも、限られた食料ではそれもままならない。
不幸中の幸いは、教祖を始め弟子たちは都市部出身のお蔭で免疫があったのか、或いはたまたま症状が出ていないだけなのか、いずれにせよ今のところ健康に異常がない事だ。
故に医者もいない貧しい農村の民にとって、寄る辺となるのは教祖たちだけであり、原因不明の病が流行った今、それは一層顕著になった。
「どうか……どうか助けて下さい!」
ぐったりとした幼子を抱えた母親が、老いた父を背負った青年が、妹の手をきつく握った少年が、壮絶な顔で懇願する。
だが彼には、気休めの言葉を吐く事しか出来なかった。
折角ここまで築いたというのに。
神の教えも、自身も、余りにも無力で、逃げ出してしまいたい気持ちにさえなる。
けれど逃げ出すなど、彼に出来る筈はなかった。ここで村人たちを見捨ててしまえば、きっと村はもっと酷い有様になる。それに病に苦しむ人々を見捨てたとあっては、この先、神にだけではなく、全てに顔向けが出来ない。
でも、どうすればいい。
所詮はただの教祖もどきだ。医者でも学者でもない。
男はずっと、己の無力さに立ち尽くしていた。
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