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第2話
「少し、お休みになって下さい。暫くは我々が見ますから」
ひっきりなしに教会に訪れる民の相手で、男も疲弊していた。弟子の1人の申し出を、有り難く受け取る事にした。
「すみません……そうさせて貰います。申し訳ありません、皆様。話を聞くくらいしか出来ない事……大変、心苦しく思っております。少しでも、皆様の不安や苦痛が和らぐ事を、お祈り致します。教会の門は、いつでも開けておきますので」
男は頭を下げ、人々の声が届かない最奥の寝室へ向かった。
増築を繰り返した、歪で、雨漏りもするこの教会は、村の民の善意によるものだ。大工だけでなく、野良仕事の合間に村で1番大きな建物を造ってくれた。
教祖の部屋はその中でもとりわけて広かった。それでも都市にいた頃住んでいた部屋に比べれば、納屋のような出来栄えだ。
しかし男は、この部屋をとても大切にしていた。彼の弟子たちも同様にだ。
どんなに腕のいい建築家の建造物よりも、この部屋は温もりで満ちている。
辺りは日が暮れ、窓からは月明かりが差し込んでいた。
燭台にはもう長らく火が灯っていない。それすら最早、贅沢だった。
「本当に……どうすれば……」
人々の声が遠ざかっても、現実から離れられるわけではない。
思わず蹲った。
医者もいない。薬もない。原因も分からない。自分だって、いつ患うか分からない。
いっそ都市に助けを求めるか。
いや、それは絶対に駄目だ。
都市部に疫病を持ち込まれる事を恐れ、資源もないこんな小さな村など、焼き払われるのが落ちだ。
自分の手で、どうにかするしかない。
でも、どうやって。
答えは出ない。
こうして悩んでいる間にも、またひとりまたひとりと、病で命が消えていくのに。
その時だった。
こつこつ、と、くすんだ窓ガラスを、叩く音が聞こえた。
「っ……?」
恐々と顔を上げる。
この辺りでは見慣れない帽子を被った男が、遠慮がちに窓を叩いていた。
「あんたが『教祖様』だろ? 少し話を聞いてくれないか」
警戒しつつ、立ち上がるとゆっくり窓辺に近付く。
「……あなたは?」
月は丁度満月の頃、近付きさえすればそれなりの容貌は見て取れた。
布を幾重にも巻き付けたような帽子。彫の深い男の顔にも、心当たりはなかった。やはり村の人間ではないようだ。
「俺は旅の薬売りさ。この村で悪い病が流行っていると聞いてな」
ほら、と背負った薬箱と旅の荷物を、教祖に見せた。
そっと建てつけの悪い窓を開ける。
背の高い男だ。日によく焼けている。
「素性は分かりました。でもどうしてまた、窓から……」
「正面は信者……村人どもで溢れ返ってたからな」
不思議な場所に現れた疑問も、男の答えは真っ当なものだった。
礼拝堂は助けを乞う人々でごった返しているし、そんなところへ薬売りがやって来たとなれば、たちまち大混乱になっていただろう。
これで概ね、薬売りと名乗る人物に対する第一の不審感は払拭出来た。
だが問題はここからだ。
「ではあなたは、ご商売の為にここまでいらしたと。大量の薬が売り捌けるだろうと。そう見込んで」
薬売りなんて、本来ならこちらから招待したいほどの存在だ。
しかし男が本当に旅の薬売りだとしても、肝心の中身がインチキだとも限らない。
そういう連中は都市で嫌というほど見てきた。世間知らずで無知なカモだと思っているなら、都育ちの教祖には生憎と通用しない。
潔癖さも清廉さも、無知と結び付く言葉ではない。
「随分トゲのある言い方をするじゃないか、教祖様。そりゃあこっちも商売だからな、無償の慈善事業だとは考えてないさ。だがこの惨状を、どうにか出来るのに、どうにもしないでおくのも、性に合わなくてね」
どうにか出来る。
薬売りはそう言った。
どうにも出来ない教祖に代わって、この薬売りなら状況を打開出来ると。
でもまだだ。簡単に人を信じてはいけない。詐欺師など、いつの世にもいる。
「本当に、あなたの薬で治るのですか? これが一体なんの病なのか、ご存じなのですか」
「ああ治るね。俺は昔、同じ症状を見た事がある」
「それはいつ、どこの話ですか。原因はなんだったのですか」
「ははっ! こりゃあまた、疑り深いねえ」
質問を畳み掛けると、薬売りは大きく口を開けて笑い出した。
疑り深くもなる。こっちは大勢の人間の命がかかっているのだ。
「なら、試してみるといい」
「……試す?」
「数人分、タダで薬を分けてやる。それで治るかどうか、確かめればいい」
薬売りは強気に言うと、早速荷物を漁り出した。
その行動に、少々意表を突かれた。
商売道具を、余りにも簡単に差し出したからだ。
「ほら」
折られた薬包紙を5つ、男は教祖の手に載せた。
この男は薬売りだ。聖職者ではない。商売人だ。それにしては奉仕精神が過剰過ぎる。
「…………毒ではないでしょうね」
「まさか」
「では毒見でもして頂けると」
「してもいいけど。そうすると1人分の薬が減るし、大体、俺が無事だったからって、何かからくりでもあるんじゃないかって、どうせ疑うだろ?」
「…………」
その上、頭もよく回るらしかった。
正直に言ってしまえば、ここで問答している間にも病人たちに駆けつけて、まずは薬を飲ませてやりたい。それで助かる可能性があるならば、今すぐにでも。
けれどもし悪化でもしたら、今度こそ人々は絶望してしまう。
この薬が本物だという確証が欲しい。だが時間も惜しい。
真偽を図るには、どうすれば。
「分かった分かった。じゃあ俺をここに縛って繋いでおくといい」
「……はい?」
突然の申し出に、耳を疑った。
縛る? 繋ぐ?
「それで助からなかったり、死んだりしたら、俺をどうにでもすればいいさ」
「どうにでも……?」
「ああ、しかるべき場所に突き出すんでも、この場で処刑するんでも、好きにすればいい」
つまりは人質という事か。
この薬売りは何故そうまでして潔白を証明したいのか、少々理解に苦しむ。
ただ単に、病に苦しむ人を助けたいという気持ちからであれば、喜ばしい事であると同時に、疑って申し訳ない気持ちにもなった。
「……そこまでは……」
結局、消極的に答えるしかなかった。
では信じましょうと言えるほど、愚直にはなれなかった。
そこまでは求めていないと口にしつつ、万が一の時には、責任を追及する心づもりが、ないとも言えなかった。
「それならここで待たせて貰おう。なに、逃げ隠れはしないさ」
薬売りの男は曖昧な答えを了承と受け取り、背中の荷を窓越しに放り込むと、次いで窓枠に手をかけ、ひょい、と容易く室内へ乗り込んでしまった。
ますます薬売りには見えなくなってくる。
見慣れない服装も相俟って、曲芸一座の軽業師だとでも言われたなら、納得してしまいそうだ。
「身軽……ですね……」
「旅には体力が必要でね。さあ、早く行って来たらどうだ」
「え、ええ。でもその前に……」
知らない男を寝室にひとりで置いていくわけにもいかない。
盗られるものなどないが、まだこの薬売りを信じ切ったわけではないのだ。
腰縄を解いて男の両手を括る。抵抗はされなかった。
「……すみません。薬が本物でしたら、あとできちんと、お詫び致します」
「気にするな。半日もすれば効果が出る筈だ。重症の奴から飲ませてやれ」
「……ありがとうございます」
教祖は薬を手に、礼拝堂へと駆け出した。
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