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第99話(sideアゼル)
バタン、と扉を閉める。
ユリスと連れ立って歩いていくシャルと別れて、未だに名残惜しく振り返りそうになりながらも、なんとか視察用の専用部屋に辿り着き中へ入った。
広々とした室内には質のいい調度品やテーブル、ウッドチェアなどが整然と並ぶ。
天井から流れるカーテンの向こうには、大人の男が三人は眠れる広さの柔らかなベッド。
俺はその上へバフン、と倒れ込んだ。
「…………」
一人になると、ディナーはまだ済んでいないのに胸がいっぱいで頭がぼう、とする。
しばし声が出ないまま、脳裏に蘇るのははにかんだシャルの表情。
「…………明日……デートだ……シャルと…………ふっうぅっ」
浮かれずにはいられない甘い約束を舌で転がし、上擦った息が宙を舞い踊る。
ゴロンゴロンと反射的にベッドを転げまわって、言葉にならない歓喜の悲鳴を口の中でくるくる空回した。
デートだ。デートだ。デートだぜ!
民草の一大イベント、|番《つがい》が嗜むふたりきりのお出かけ。そのデートを俺とシャルがついに……!
俺とシャルは番じゃねぇけど、そのくらいには仲良くなれたということではないのだろうか。
いやまぁ、もちろんわかってるぜ。
俺だって大人だ。
シャルは懐が深く基本的に拒絶をしない男だから、俺のことがそういう意味で好きだとかじゃない。
そんなの夢も夢、ありえないもんだ。
そのくらい弁えている。そんな下心なんて持ち合わせちゃいない。
俺はひたすらにアイツと仲良くなって、できるだけ安らぎの日々を送ってほしいだけだからな。
けど城下で出回っている桃色な雑誌をこっそり読んで勉強している俺としては、デートという単語に浮かれずにはいられないわけだ。自然と転がる。ベッドの上でコロコロと転がる。
『──……デート、しよう』
「うっ、グルルルル……ッ!」
だめだ。語彙力の消失が著しい。はるか昔に戻ったように唸り声しか出なかったぞちくしょう。シャルがかわいい!
(しかもあの時、おでこコツンって……! おでこコツンって……! ちょっと顔が赤かったのは夕日のせいか!? 俺の自惚れか!? どっちでもいいが最高だぜ! はぁぁ俺をデートに誘うシャルのかわいさといったら……ッ!)
シャルは世界で唯一、たった一言で俺を転がせる男だ。
額に当たった少し汗で張りつく髪も、至近距離ですう、と細められた吸い込まれそうな深海の瞳も。
全てが俺の心臓ごと誘惑するような扇情的な表情だった。
それだけで絶望の中でどうしてもっと早く基地に到着できなかったのか、どうして基地の廊下は走ってはいけないのか、どうして一日はこんなに短いのか、と沈みこんでいた俺の意識は一瞬で彩られ、シャルの周囲に満開の花畑が見えたほどだ。
あぁシャル。優しい。最高だ!
二人でデッキの手すりに飛び乗って、夕日を眺めながらサンドイッチを食べた至福のひと時。
味なんてわからなかったが、きっと最高だったに違いない。シャルの隣で食うもんはなんでもうまい!
記憶を反芻する俺は、魔王城の幹部連中が見たらイカレたのかと回復魔法をかけられるだろうほどうへうへとニヤけて、柔らかなシーツに顔を埋める。
今日という日は素晴らしい日だ。
早朝というより深夜に起き、衣裳室の服を眺めて唸って。
鏡の前であーでもないこーでもないと、癖がついたらなかなか直らない本人同様の一途な髪をクシで梳かして香油をつけて。
我慢ならなかったから、本当は外で集合だったところを部屋の前まで行って待機していた。
それなのにシャルは早いな、おはようアゼルって、ちょっと眠そうな目を擦って嫌がりもせず準備を整えてきた。
神対応すぎる……優しさの化身かよ……慈愛深すぎて底見えねぇぞ……。
底なし沼シャルに俺は溺れきってるけどな。むしろ溺死希望だぜ。舐めるなよ、この俺を。
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