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第158話

 途切れることなく発され、縋るように近づくどこか濁った声。  闇夜にどこまでも響き渡る遠吠えは、泣いているように聞こえた。  泣きながら……誰かを恋しがって一人で消えてしまいそうな、耳に残る哀しい呼び声。  俺の体が大きく震える。 「魔物か……? シャル、ロープを切っておいてやるからもし危なくなったら逃げろ。お前、魔法も使えねェし武器も持ってねェんだろッ?」  獲物を探す魔物だと判断したリューオが、襲われても逃走できるように俺の腕のロープを切った。  獣から身を守るために火のそばにいろと声をかけられるが、俺はジリ、と後ずさって声のするほうとは逆に下がる。 「だめ、だめだ。今すぐ、今すぐここから逃げないと……」 「あぁッ?」 「都合のいい期待が、俺を殺す前に」  そう言って走り出そうとした瞬間。  リューオの背後に広がる深い闇が、不自然に揺らめくのが見えた。 「オイッ!?」 『見つけた』 「ッ、な……」  ──音も気配もなく、絵の具が水に溶け出すように現れた巨大な黒い狼。  リューオは認知した瞬間素早く身を反転させ剣を盾に身構える。狼が動いた瞬間に切りかかれるだろう。戦闘慣れした彼は流石に切り替えが早い。  だが狼はリューオの剣が見えないかのように、身構える事なく迂闊に一歩前に出た。  彼がそれを許すはずなく、ヒュンッと空気を裂く剣撃。 「待て、リューオ!」 「はあッ!? 死ぬぞテメェッ、ふざけてんのか!?」  咄嗟に出た俺の制止の声に怒声を返すリューオは、一時的に剣撃を止める代わりに、一歩飛び退く。  だが既に奮われた正確な一撃は、夜闇の狼の毛皮をいくらか裂いた。勇者にしか扱えない聖なる剣の一撃は、常時防御のかかった毛皮すら切り裂く。  傷口から赤い血がパッと飛び散る。  俺は息を呑んで、駆け寄ってしまいそうな衝動を無理矢理に抑え込んだ。  それでも狼はまるで自身の傷に気付いていないかのように、更に一歩踏み出す。サク、サク、と踏み出すたびに枯れ草が砕ける。  飛び散った血は重力を忘れふわりと浮かび上がり傷口に集まると、肉が割れた傷口は時間を巻き戻すかのように、じわりと塞がっていった。  そして傷が塞がるにつれて、黒い魔力を発しながら狼の姿が変わっていく。  ──ああ……会いたくなかった。  終わらせに来たのか、それとも。  そういう期待が恐ろしくて、俺は逃げ出したかったのに。 「アゼル……」  リューオが目を見開く気配があった。  眉間にシワを寄せて佇むアゼルの頬が、薪の炎で光っている。泣いていたのか。……違う、泣いているんだ。  俺が泣かせた。  手を伸ばしても届かないくらいの距離。  お互いが手を伸ばせば、届く距離。  アゼルの泣き顔を見たのは、三回目だ。  コイツは俺と真逆に、本当に痛そうに泣くんだ。  その痛みが伝染する。  死にそうだった俺の心臓が、安心を求めてより激しく鼓動する。 「ッ」  耐え切れなくて、耳を塞いだ。  どうして泣いているんだ。偽物の俺をどうして追いかけてきたんだ。  脳裏に疑問が湧き上がっては態々一番残酷な答えを選び、そんなことを聞くぐらいなら忘れてくれとさえ思った。  恐怖に支配される頭は、愛しい彼が恐ろしくて仕方がない。  あぁ嫌だ、怖い、こわい、こわい……ッ!  潰してくれッ!  誰か今すぐ、俺の感覚器官を全てッ!

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