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愛の国の歌 02

 すべてのメッセージを読み終えたオーレリーは、さらにもう一度最初から目を通し、何度目かわからない感嘆の声を上げた。  ため息のような、涙で滲んだ声だ。それを眺めながら、私は椅子に腰かけて頬杖をついた。 「別に僕は、キミの誕生日を大々的に祝おうなんていう気はさらさらないんだけどね。いくつになったのか詳しくは知らないが、二十五回目くらいから、大概誕生日は形式的なものになってくるんじゃないかな。僕はね、キミの生まれた日じゃなくて、キミから生まれるそのうるさくて面倒な言葉に感謝する日にしようと思ったんだよね」  オーレリーはうるさい。オーレリーはよく喋る。オーレリーは感情豊かで、声もでかいしすぐに笑う。そしてその口から溢れ出す言葉はとにかく雑多で、時に耳障りだと感じてしまうこともある。  しかしながら彼の口から出てくる言葉の起源は愛だった。そんなことは、もちろん誰もが承知していた。  オーレリーは言葉を愛している。オーレリーは世界を愛している。オーレリーは同居人を、大家のパン屋を、屋根裏の変人を、そして挨拶を交わす隣人を、通り過ぎる子供とその親を、絵本を読むすべての人間を愛している。  愛は有償か?  と、私はオーレリーと談義したことがある。愛とは無償の奉仕か。それとも見返りが存在する、金銭のようなものなのか。  私は、愛は有償だと考えた。貰ったものを返そう、と言ったのはアンリだ。オーレリーに貰った愛の言葉を俺たちは返すんだよ、と彼が言ったとき、柄にもなく少し感動してしまったことを、私は一生誰にも言わないことだろう。 「愛は有償で、ギブアンドテイクで、そして消えないものだ。受け取った分がもう溢れてしまうくらいに、溜まっているからね。多少はキミに返したところで、僕たちは困らない」  私は素直ではないので、そんな煙に巻くような言葉をしれっと放ち、アンリを苦笑させ、なぜかオーレリーを泣かせた。どうしてキミは、そんなに涙もろいんだ、などと不思議に思うことはない。私はこの男がとても涙もろく、ひどく格好付けで、だから悲しい話をせずにごまかしているのだと言うことまで承知していた。  何年のつきあいになると思っているんだ、まったく。私が誰も愛していないなどと、どうして皆決めつけているんだ。失礼な話だ。 「……驚きすぎて死ぬかもしれない。クレマンが隣人を愛していただなんて! いや勿論、友人としての優しさはいつも受け取っていたさ。しかしきみは、こういう派手なことは嫌いだろう?」 「集まって談笑して、ついでに言いたいことを言っているだけの会が派手なもんか。もっと外に出るようなカーニヴァルだって別に嫌いじゃあない。去年は皆で音楽祭に繰り出しただろう。単に、自分から誘わないだけさ」 「待ってくれ、鼻水で俺の顔面が普段よりさらに台無しになりそうだ。アンリ、何か紙を……日本人は用意周到だな、いつもポケットに柔らかい鼻紙をしこんでいるのか? 明日から鼻紙のジェントルって呼んでやろう。嫌がるなよ俺は今感動していて、おまえさんたちに何を返したらいいか、ずっと考えているんだ」 「……返したものを返されたら、延々とループしちゃわない?」  苦笑いでポケットティッシュを差し出すアンリに、オーレリーは盛大な笑顔を向ける。 「大変素晴らしいループじゃないか! 愛は有償で、そして輪廻するわけだ。なんて素晴らしい世界だ。なんて素晴らしい隣人だ」 「隣人愛故に僕はキミのプライベートに首を突っ込むんだが、まったくキミは最近何を悩んで深夜徘徊を続けていたんだ?」 「――クレマンにはなんでもお見通しなのか?」  珍しく眉を下げるオーレリーだったが、私もアンリも彼の憂鬱になんとなく気が付いている、ということに、どうやら本人も感づいてはいたらしい。  さあ、と皆で詰め寄れば、オーレリーは両手をあげて降参のポーズをとる。 「まあ、あれだ……そんなに大したことじゃないんだ。ただ、新しい仕事を受けるか、悩んでいただけで――」 「新しい仕事! え、まじかよやったじゃんオーレリー!」 「いやまてアンリ……実は、絵本の仕事じゃないんだよ。文章ですらない。俺の絵を、音楽CDのジャケットにしたい、という依頼があったんだ。俺の絵だぞ? あの、へなちょこでよれよれで、ちっともうまくない絵だ。勿論俺は、そんな俺の絵を愛しているけれど、それだって文字とセットだからじゃないか、なんて、柄にもなく弱気になった。……絵は下手なんだ。昔から。これでも努力でどうにかヒトデが人になったくらいだってのに」 「僕は……オーレリーの絵が、好きだけれど」 「ムッシュはそうやって俺を甘やかすのが得意で困る。それが本心だからなお困るな。まあ、なんだ。正直、今日が嬉しすぎてもうどうでもよくなったよ。俺の絵が下手でもいいじゃないか。へたくそだなって滅茶苦茶にけなされようが知るかって話だ。少なくとも俺の愛する隣人達は、きっと俺のよれよれの絵に素敵なおべっかを使ってくれる筈さ!」  そう言うオーレリーの絵は、まあ、確かに下手だろう。味があると言えば聞こえがいいが、時々車か家かもわからない事もある。その下手な絵を曲の顔にしようというのだから、かなりの酔狂ものであろう。  オーレリーが二の足を踏む気持ちはわからなくもない。彼は絵本を愛していたし、絵本作家になるために生きているようなものだからだ。 「何事も挑戦だ、なんて言える歳じゃなくなってきて、しり込みをしていたんだ。だが、そうだな、ちょっとばかし、勇気を出してやってみるか」  笑ったオーレリーは、涙も憂鬱も引っ込め、すっかりいつもの様子だった。  珈琲とともに、私たちはムッシュ・シュクレが丹精込めて作ってくれたショコラとフレーズのマカロンを、存分に口に運んだ。ムッシュのマカロンの大ファンだというナタリーが、特に嬉しそうにしていたのが印象深い。  そのナタリーは、宴の終わりの前にふと思い出したようにオーレリーに話しかけた。 「そういえばオーレリー、推理小説家に知り合いはいる?」  彼女の疑問に、オーレリーは心当たりがあったらしい。大げさに眉を跳ね上げ、そしていつもの張りのある声を上げた。 「アレが推理小説家なのか恋愛小説家なのか俺はよくは知らないが、まあ、文字を書くじいさんに知り合いは居なくもない」 「ヤスミン・ビュシェールよ。今年の夏にまた作品の映画化があるし、ハリウッドリメイクも決まっているんじゃないかしら。ヴァロンタン前の週の初めに……ほら、私があなたに夜のカフェで会った時に、ちょっとだけよくない愚痴をこぼしたでしょう? あの時の、件の女優の連れが、彼だったのだけれど。おととい、お一人で来店されて、彼女の非礼を謝ってくださったの。お二人の関係は、ただの仕事上のお付き合いだったようなんだけど、とても素晴らしいレストランの雰囲気を台無しにしてしまったと言って……彼はとてもジェントルだったわ。それで、少しお話をしたのだけれど。シュミネの二階の絵本作家を知っているかと言われて」  そこでナタリーは、彼から伝言を預かったのだという。 「そいつは何て?」 「『下手な歌を、今でも歌っているよ。ハッピーバースデイ』」 「……よく覚えているもんだ、あのご老体は。しかしそうか、まだ生きていやがったか、元気なじいさんはなかなか死なないのが取り柄だな。よしきた、それじゃあ歌を歌わなきゃいけない。アイツがこの街に来た日は、下手な歌を大いに歌ってやろうと決めているのさ!」  感動の涙を引っ込め上機嫌に笑うオーレリーは、陽気に音程の転んだような歌を歌い始め、私とアンリは肩をすくめて少し笑った。  私の隣のリュカは、オーレリーなどそっちのけでアンリの後ろのムッシュ・シュクレに釘付けだ。……変な事を言わないように、先に言っておけばよかった。なるべく近づけないようにしよう。  流石のナタリーは、控えめにムッシュに挨拶をしていた。彼女は、ムッシュのマカロンの大ファンだ。……彼女がとなりにいるのだから、フレデリックも余計なことは言わないだろう。 「……それにしても下手な歌だな。オーレリー、それは一体何の歌?」  眉を顰める私に、オーレリーは何を失礼なといつもの調子で切り返す。 「有名な歌謡曲じゃないか。愛の国の歌さ、知っているだろう?」 「あれはそんなにかつかつと転びそうな歌じゃないだろう。もっと甘くゆったりとした……」  綺麗な歌だ。思い出せるメロディを思い出せるだけの歌詞に乗せて少し歌えば、私の声の上にオーレリーの全くうまくない歌が重なった。  ユニゾンでもハーモニーでもない、ただの下手な大合唱で、私もアンリも皆も、思わず苦笑してしまう。しかしそれは愛ある苦言だったので、まあまあ、許していただきたい。  ただ一人、ムッシュ・シュクレの描かれた顔だけが、いつものようににっこりと笑っていた。  愛の国で、愛を吐き出す男と、そして彼の有償の愛を拾い集め投げつける、そんな午後の話だった。 end 2017年3月に発行した同人誌『星屑オーレリーとあいのうた』のログでした。 同人誌まだ売ってます中身一緒だけど。

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