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俺は貴方だけのアクター/おまけ

   「いらっしゃいませ〜」  居酒屋の扉を開けると、元気の良い挨拶が迎えてくれる。 「連れが先に来てると思うんだけど」  店員の案内で一番奥の個室へ通されると、そこには一人で酒を飲む三沢蒼太の姿があった。 「よう、遅かったな」 「遅れてすみません、三沢さん」 「気にするな。ドラマの撮りは、時間があってないようなもんだからなあ」  佑太と圭太の父であり人気脚本家である三沢蒼太は、今年44歳の男ざかりのはずだが、ぱっと見は30代にしか見えない野生味溢れる男前だ。  俺はこの人のおかげで、今の自分があると思っている。  子役時代はそこそこ演技が出来ても、成長すればそこそこの実力で通用するほど甘くはない。佑太に会った事で、一から役者をやり直す決心をした俺は、三沢さんが立ち上げた劇団の門を叩いた。  すでに劇団は三沢さんの手を離れていたけれど、三沢さんは時折顔を出して後輩の指導に当たってくれたりもしていて、まだ子供だった俺はまるで息子のように可愛いがって貰った。  芝居の事では厳しかったが、それ以外では本当に良くして貰ったと思う。そんな三沢さんのおかげもあって、地道に努力していった俺は少しずつ役を貰えるようになっていった。  そして三沢さんが脚本を書いた舞台で、割と大きい役を貰えた俺は何時もよりも更に必死で稽古に励み、初日に臨んだ。  初日の公演を大成功で終える事が出来た俺は、三沢さんにお礼を言いたくて姿を探す。  そんな俺の前に、三沢さんが一人の男の子を連れて来た。10歳くらいのその子は、三沢さんの下の息子さんで、俺の演技に感動したらしく三沢さんに頼んで、会いに来てくれたらしかった。  可愛いファンの登場に嬉しくなった俺はその男の子…、佑太君に声をかけると、それまで恥ずかしいのかずっと俯いていた佑太君が、ゆっくりと顔を上げてこちらを見て笑った。  その時の衝撃は、今でも忘れる事が出来ない。  その男の子…、佑太君は俺がずっと会いたかった、俺を救ってくれた俺の初恋の相手『なっちゃん』だったのだから…。  なっちゃんはあの時の面影を残したまま、更に愛らしくなって俺の前に現れてくれた。だが、いつか会えると信じていたなっちゃんは男の子で、その上三沢さんの息子だったなんて。 「どうだ、最近仕事の方は」  佑太と再会した日の事を思い出していたら、ぼうっとしていたらしい。三沢さんの声に我に帰る。 「おかげさまで、何とかやってますよ」  三沢さんのグラスにビールを注ぎながら、当たり障りのない返事をする。 「な〜に、他人行儀な言い方してんだよ、雅斗。あ〜あ、すっかり一人前になっちまったなあ…。出会った時は、まだこ〜んなんだったのによぉ」  頭の辺りに手を翳しながらしみじみと話す三沢さん。 「もう酔ったんですか?」 「それがさぁ、聞いてくれよ。圭太が家を出るとか言い出してるんだよぉ〜。雅斗ぉ」  あれ?圭太まだ三沢さんの許可貰えてなかったのか…。彼氏君は同棲する気満々だったのに、大丈夫なのかな。まあ、いくら三沢さんが反対しても、多分真佑子(まゆこ)さんが許しちゃうんだろうけど…。  真佑子さんは三沢さんの奥さんで、つまり佑太達の母親だ。真佑子さんは平凡な容姿だけど、とても温かい雰囲気を持った人で一緒にいると凄く癒される。  劇団の近所にあった、父親が営む弁当屋を手伝っていた真佑子さんに惚れた三沢さんが、口説いて口説いて口説き落として結婚したらしい。  真佑子さんの母親は、真佑子さんが中学生の時に亡くなっていて、それ以来ずっと家事と店を手伝って頑張って来たそうだ。いつも笑顔で弱音や不満ひとつ言わない。そんな真佑子さんの頑張ってる姿を見ると、役につけなくて腐ってた団員も、自然と頑張ろうって気持ちになったらしい。  そんな真佑子さんに心底惚れた三沢さんは、毎日弁当を買いに通いつめての猛烈アプローチ。最初はイケメンな三沢さんが、平凡な自分に本気な訳がないと、相手にされなかったらしいけど、三沢さんは深草少将ばりに通いつめた。  その甲斐あってプロポーズに成功したときは、劇団員のみならず真佑子さん狙いの弁当屋の常連客からも、盛大なブーイングを受けたらしい。でも一人娘の真佑子さんの為に、躊躇う事なく夏見の家に婿養子として入り、劇団の傍ら父親の圭介さんと真佑子さんを助ける三沢さんを見て、常連客は変わらず店に足を運んでくれたそうだ。 「はあぁ〜、子供がでかくなるのは早いなあ…。ついこの間まで、お父さんお父さんって言って甘えてくれてたのによぉ〜」 「しょうがないですよ。もう圭太も大学生なんだし、親離れ出来ない方が問題ですって」 「だけどよぉ、家から通えない訳じゃないのに部屋を借りたいだなんて。友達とシェアするとか言ってるが、まさか友達じゃなくて彼女とかじゃあないだろうな…」  う〜ん、惜しい!彼女じゃなくて彼氏ですよ、三沢さん。 「圭太にしろ佑太にしろ、自分の人生を選ぶ時期に来てるんですよ。黙って見守ってやるしかないんじゃないですか?」 「なんか冷たてえなぁ〜、雅斗。お前は圭太と佑太が可愛いくないのか!?心配じゃないのか!?」  可愛いに決まってるでしょっ!でも、圭太にはあのしっかりしたイケメンの彼氏がついるし、佑太は俺が一生守るんで安心して下さいっ、お父さん!  …とは、まだ口に出せないので心の中で言ってみる。 「圭太は真佑子に似て優しい良い子だし、佑太は真佑子の母親に似てあの通りの美人だし、悪い虫がうようよ寄って来てんじゃねえかって、パパは心配だよぅ〜」  三沢さんはかなりの愛妻家であると共に、愛息家でもあるから、圭太が家を出るのが相当堪えてるみたいだなぁ。これで、佑太が俺と出来てるなんて知ったら、俺殺されるかも……。  圭太の誤解を解くのだって物凄く大変だったのに、三沢さんが相手じゃ、下手したら業界から消されるかも知れないぜ…。  佑太と圭太には、俺の数々の武勇伝は話題作りのでっち上げだって事で納得して貰えたけど、三沢さんには通用しないしなぁ。  佑太と、いや…『なっちゃん』と運命の再会をした16歳の俺は、そりゃもう半端じゃないショックを受けた。あの愛らしいなっちゃんなら、きっととびきりの美少女に成長するはず!  いずれ再会した時に見劣りのしない俺でいようと、自分を高めるモチベーションにしてきた愛しのなっちゃんが、実は男の子だった。  その事実は、俺のアイデンティティーを崩壊しかねない衝撃の出来事で、俺は自我を守ろうとなっちゃんを忘れる為に、手当たり次第に遊びまくった。  女も男もちょっと優しく声を掛ければすぐついて来たし、若さも手伝って百人斬りなんてあっという間に達成。  その中には、綺麗な女も可愛い男もいたが、俺の心には常に『なっちゃん』がいた。  そんな俺に転機が訪れる。舞台での活躍が認められ、テレビや映画などからも声が掛かるようになった俺は、芸能事務所に籍を置く事にした。その事務所に、俺を追うように役者を目指す佑太が入って来たのだ。  久し振りに会う佑太はやはり可愛いくて、俺はとうとう観念した。男だろうと、恩ある三沢さんの息子だろうと、俺は佑太を諦める事は出来ない。  流石に12歳の佑太に、俺の気持ちを打ち明ける訳にはいかなかったし、佑太も俺をもう一人の兄のように慕ってくれていたから、俺は佑太の成長を見守る事にした。  その甲斐あって、佑太は役者としても一人の男としても、立派に成長を遂げつつある。  佑太が高校を卒業したら、俺はこの12年に及ぶ気持ちを打ち明けよう…、そう思っていた。  そんな矢先、久し振りの共演で佑太はらしくない失敗をするようになった。滅多な事で演技に私情を持ち込むような子じゃないから、余程の事――  例えば、好きな人が出来たとか、好きな人に振られたとかだったりするんじゃ……。  内心心配で堪らなかったが、俺はあくまで良い兄のポジションで声を掛ける。そんな俺に佑太は、子供扱いをするなと怒鳴った。  ああ…っ、子供扱いしないでいいならどれだけいいか…。 佑太が大人なら、俺は今この場で押し倒してるってのっ!  …なんて心の声はおくびにも出さずに、三沢さんの名を出してその場を後にした。  佑太はブラコンだがファザコンでもあるので、三沢さんに恥を掻かすような真似は絶対にしないからだ。  あとから佑太に聞いた話では、俺と三沢さんが原因だったとわかり安心したが、その発端は篠崎君の挑発だったようだ。篠崎君が佑太を良く思っていないのは知っていた。そしてその理由も…。  彼は佑太とは正反対の育ち方をしているらしい。彼の目から見た佑太は、きっと苦労知らずのお坊っちゃんに映っているのだろう。篠崎君は良くない噂もあるが、人一倍努力家で才能もある。 佑太と良く似たタイプだと思うが、それ故の対抗意識なのかも知れない。  彼もいつか心から人を愛するようになれば、きっと役者として一回り成長出来るだろうにな…。  俺も長年の想いが実った事によって、かつてない程に充実した芝居が出来ている。それをもたらしてくれた佑太もまた役者としての魅力の幅を広げたようで、今迄とは違う役のオファーが入ったと喜んでいたしな。 「う〜ん…、圭太ぁ…佑太ぁ…真佑子ぉ…」  あ〜…、とうとう潰れちゃったか。三沢さん、飲むのは好きでも強くはないからなぁ。こんなに子煩悩な三沢さんに、息子さんを下さいと言う日の事を考えると、正直気は重いけれど、佑太を嫁に貰うのは何があっても譲れない。  半端な覚悟で言う訳にいかない以上、俺もこの偉大な人に負けないだけの力をつけなくちゃなぁ。  それに佑太一筋と決意をしてからは、一切の遊びを止めはしたものの、それまでについてしまった遊び人のイメージは払拭出来ず、俺はこの業界では相当なスキャンダルメーカーだと思われているし…。  自業自得とは言え、収録の合間のなんて事ないツーショットを熱愛だと報道されたり、共演者と話してるだけで口説いてるとか書かれるのは、正直うんざりだ。  俺が一時期派手に遊んでいたのは事実でも、佑太が同じ事務所に入ってからは、一切そういう事から手を引いたのは三沢さんも知っているけれど、脛に傷持つ身としてはちょっと後ろめたいのも事実だし…。  それでもなあ…、でっち上げの記事を佑太と圭太が信じていたのは、正直かなり堪えたよなぁ…、トホホホ…。  潰れた三沢さんを見ながら昔を思い出していたら、三沢さんが本格的に寝入りだしそうだったので、会計とタクシーを頼む。  先の事はとりあえず置いておくとして、今はこの人を送り届けるついでに、愛しい恋人に会えるチャンスを大事にするとしよう。  夏見の家に着けばきっといつものように、真佑子さんがおっとりと心配しながら三沢さんを出迎えるだろう。圭太は真佑子さんを手伝って、三沢さんを寝室に運んでから佑太を呼ぶから、その間に手の空いてる可愛い恋人と、キスのひとつも出来るだろう。そんな事を考えながら、酔いつぶれた三沢さんをタクシーに乗せる。  横に乗り込み、ほろ酔いの心地よさに身を委ね、俺は佑太の顔を思い浮かべながら目を閉じたーーー End

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