2 / 3
俺は貴方だけのアクター
俺には秘密がみっつある
ひとつめは人気脚本家の三沢蒼太 が俺の親父だと言うこと
ふたつめは昔子役として出演したCMが忘れてしまいたい黒歴史だと言うこと
みっつめは片思いの相手が同じ事務所の先輩で男だと言うこと
どれも人には決して知られたくない秘密だーーー
俺、夏見裕太 は人気アイドル俳優『ナツミ』の肩書きを持つ高校三年生だ。
自分で言うのもなんだけど、アイドル俳優って名の通り均整のとれた身体と甘めの整った顔立ちで、小学生から奥様方にまで支持されている。
正直、本格派俳優を目指す俺にとってアイドルって肩書きは不本意なんだけど、事務所の方針だから仕方ない。
俺が芸能界に入ったキッカケは、10歳の時に親父の手掛けた舞台。その時、舞台に立つ一人の少年から目が離せなかった。並み居る実力派俳優に交じり、まったく無名の新人だった当時16歳の沖雅斗 。
あの人が放つ輝きが、俺を捉えて離さなかったんだ。
そんな沖さんとは所属事務所が同じ事もあって、共演する機会は結構ある。
三年前に兄弟役で出たドラマは、平均視聴率18%と言うヒット作で俺の出世作にもなったし。
そして俺は、沖さんに8年にも及ぶ片思いを続けている。
沖さんは舞台では尊敬してやまない憧れの役者だが、一歩舞台を下りたあの人は、どうしようもなく下半身がだらしない人だった。
整った男らしい顔立ちに、舞台俳優として鍛えられたしなやかな身体つき、そのどちらもが何とも言えない色気を放ち、見るものすべてを魅きつけて離さない。
男っぽい外見に似合わない柔らかな話し方が、沖さんの魅力をさらに引き立てている。
そんな沖さんは悲しい事に、食えるものなら男も女も見境なく食いまくる雑食系男子。
事務所の稼ぎ額であると共に、一番のスキャンダルメーカーでもあった。
憧れの沖さんのそんな下半身事情を知った時の衝撃は、四歳の時に遊園地でドラえ〇んの中身が脂ぎったオヤジだったのを見て、兄貴と共にアニメが観れなくなったトラウマさえも遥かに凌駕した。
……話が逸れたが、そんな下半身暴走男に不毛な恋を続けている俺にとって、あの人との共演は忍耐力を必要とし、結構なストレスが溜まる。
それでもあのときの憧れの役者と同じ舞台に立てる、その喜びに代わるものなどないのだけど……。
そして今回、一年振りにあの人との共演が決まった。しかも親父の舞台ときてる。
親父はもともと小さな劇団を主宰していて、役者も脚本も演出も…、要するになんでもやっていた。
親父の劇団は小さいながらも公演の度に話題になり、やがてテレビや映画からも誘いが来るようになった。
結婚を機に脚本家としてやっていくようになったらしいが、今も時々舞台監督を務めることもある。
今回の舞台は若い男女の青春群像劇で、うちの事務所からは俺と沖さんのほかに俺と同期の篠崎祈 も出演が決まっている。
篠崎はなにかと俺をライバル視してきて面倒くさい奴だけど、仕事である以上仕方ない。
稽古が始まり、久し振りに間近で見る沖さんの演技はやはり凄かった。同じ役者として負けたくないと刺激を受ける一方で、実力の違いに落ち込みもする。
「さすが沖さん!素晴らしかったです」
休憩に入ると、すぐに篠崎がタオルを持って沖さんに駆け寄る。篠崎はまさにアイドル顔の可愛いタイプの男だが、中身は結構したたかな奴だ。
監督やディレクターに上手に取り入って仕事に繋げるタイプ。俺には到底真似出来ないし、もちろんしたくもない。
その分、俺は稽古に励む。ボイトレ、筋トレ、役作りの為にジャンルを問わず本を読み映画を観漁る。仕事で出席出来ない分はレポート提出で補い、学校の成績も上位から落とした事はない。
これは芸能界に入るときの親父との約束で、やるべき事を疎かにするなら辞めさせると言われたからだ。
中途半端な気持ちで続けていけるような甘い世界じゃない事は、長年この世界に身を置く親父が良くわかっている事で、だからどんなに辛くても両立出来るように努力して来た。
そう、仕事や勉強なら努力すれば結果が得られる。だから頑張れるけど、この報われる見込みのない恋心は、一体どうすればいいのか…。
「おや~、稽古初日だって言うのにもうバテちゃったのかな?なっちゃんは」
沖さんの事を考えてボンヤリしていたら、その本人が声を掛けてきた。
「なっちゃんって言うなって何遍も言ってるだろっ」
「先輩に向かってそんな生意気な口を利く後輩はなっちゃんで十分です~」
くっそ~!俺がその呼び名が大嫌いだとわかってて使う沖さんが、マジで憎らしい…。
俺は本格的に芸能界に入る前に、一度だけTVCMに子役として出た事がある。
自分で言うのもなんだが、小さい頃の俺はそりゃ~愛くるしい子供で女の子にしか見えなかった。つまり、女の子役でCM出演したのだ。
正体を隠す為に、名字の夏見から取った『なっちゃん』として。
もともとは予定していた子役が急病で空いた穴を埋める為の代役だったし、その頃は芸能界に入る気なんてまったくなかったから、それはその時だけの出来事で終わるはずだった。
だが芸能界に入った事で、アレは俺にとっての忌まわしい黒歴史となった。
ちゃんと本名の夏見佑太でデビューしたのに、何故か『ナツミ』が通り名になってしまっていて、忘れたい黒歴史を嫌でも思い出す事になっちまった!くっそ~。
あのCMの女の子が俺だと気付かれてないのは幸いなんだが、沖さんは俺の事をからかうように『なっちゃん』と呼ぶ。
ナツミだからなっちゃんと呼ばれても、あのCMと結び付ける人はいないが、思い出したくない記憶を呼び覚ますその名で俺を呼ぶ沖さん。俺の態度も悪くなるってもんだ。
「一年振りの共演だって言うのにつれないねぇ~」
俺の複雑な気持ちも知らずに、沖さんは俺の頭をグリグリと撫でる。
「だから子供扱いすんなってばっ!」
沖さんの手を避けながら悪態を吐く。そんな俺達を見ていた篠崎が横から口を挟んで来た。
「ナツ君、先輩にそんな口の利き方しちゃダメだよ…」
きもっ!ナツ君だあ?てめー、いつも俺の事はお前としか呼ばねえくせにっ。
「篠崎君はいい子だね~。なっちゃんもちょっとは見習って、可愛くして欲しいな~」
「…そんな、可愛いなんて…」
おいコラ、沖さんはてめえを可愛いとは言ってねえ!都合のいい耳してんじゃねえぞっ。
篠崎の猫っ被りに鳥肌立ててると、稽古再開の声がかかった。色々思うところはあっても、沖雅斗という名優との折角の共演なんだ。
学べる事はどんな小さな事でも吸収しまくって、自分のものにしてやるぜっ。
下半身暴走男の沖さんだが、芝居に関しては自分にも他人にもストイックで容赦がない。
そんな沖さんを中心に、芝居は順調な仕上がりを見せている。沖さんは、共演中には演者やスタッフに手を出さない主義なので、そっちのトラブルの心配もない。
…が、息をするように女(もしくは男)を口説く沖さんの周りには、休憩中の今も沢山の人が集まっている。
実際、若手ナンバーワン俳優の呼び声の高い沖さんと噂になりたい奴はいくらでもいた。篠崎も日々アプローチに励んでいるが、沖さんは同じ事務所の奴には手を出さないので有名だから見込みはないだろう。
そしてそれは俺にも当て嵌まる事なワケで…。ああ…、俺はいつになったらこの報われない恋を諦められるんだろうな……。
俺は沖さんと事務所が同じってだけじゃなく、相手にされない理由がある。
三沢蒼太が俺の親父だって事は、関係者の中でもごく一部の人間しか知らない事だが、沖さんは知っている。8年前の舞台に感動した俺が、親父に頼み込んで会わせて貰ったからだ。
そして俺が沖さんに憧れて役者を目指したように、沖さんにも憧れの役者がいた。
それが親父、三沢蒼太だ。
沖さんは親父が役者を引退した今も尊敬している。だから久し振りに、親父が舞台を手掛けると知った時の沖さんの喜びようったらなかった。
…多分だけど、沖さんは親父の事が好きなんだと俺は思う。
沖さんとは俺が熱烈なファンになった事や、親父の舞台でデビューした事などもあって、家族ぐるみの付き合いがある。俺と兄貴は年が近い事もあって、沖さんは俺達を弟みたいに可愛がってくれた。
あれは俺がデビューする少し前…、中学に上がる頃だった。
その日、親父の舞台が無事に千秋楽を迎え、打ち上げの後出演者の一人でもあった沖さんを家に連れ帰った。ご機嫌に酔っていた親父は、恐縮する沖さんを無理やり家に泊まらせた。
俺と兄貴は大喜びで一緒にゲームをしたりして大いにはしゃぎ遊び疲れて三人で眠った。
夜中目を覚ますと沖さんがいなかった。トイレに行ったのだろうと思い、はしゃいで喉が渇いていた俺は下まで水を飲みに行った。
その時、キッチンへ行こうとした俺の目に、リビングに立つ沖さんの姿が目に入ってきた。
沖さんは、リビングに飾られている写真のひとつを手に取り、そっと口付けていた。
あの時リビングに飾られていた写真は家族写真ばかりで、他には役者時代の親父の写真が一枚あるだけだった。
家族写真にキスをするなんてないだろうから、沖さんは多分親父の…、憧れの役者三沢蒼太に口付けていたのだろう。
それまでは兄のように、尊敬と憧れの存在だった沖さんが俺の中で違う意味を持つようになったのは、思えばあれが切っ掛けだったんだろう…。
そして、それと同時にこの想いが報われることはないだろうと思った。想い人の息子で弟のような存在の俺は、どうあがいてもあの人の恋愛対象にはなりえない。
だからいい加減あの人の事は諦めて、新しい恋に目を向けたいと思う事はある。
それなのに、会えばまたあの人の輝きに囚われてしまって、身動き出来ないでいる。
いっそ嫌われてしまえば、いいのかな…。この想いをあの人にぶつけて、粉々に砕け散ってしまえば手の届かない切なさに苦しめられる事もなくなる。
でもあの人だけを想い続けてきた時間は、辛いだけのものじゃないから…。弟でもいいから、ただ傍にいられるのなら…。
そうして俺は、また同じ日々を繰り返すんだ――。
********
舞台の稽古中、相変わらず俺が憎まれ口を叩いて、それを沖さんが楽しそうに弄る。
俺と沖さんの間には昔と変わらない時間が流れていて、その事に安堵しながらもそれ以上の関係になれない状況に苛立ちも覚える。
8年と言う月日は、思ったよりも俺を追い込んでいたのかも知れない。
だから篠崎のあんな馬鹿な流言に、いま思えば惑わされてしまったんだろう――。
稽古も進み、俺もどうにか役を掴めて来ていた。この分なら、初日には問題なく間に合うだろう。
篠崎の方も相変わらず沖さんに纏わりついたり、
タッフに媚びを売ったり忙しそうだ。
あんな事しなくても、篠崎は顔も可愛いし演技も上手い。十分実力で勝負出来るだけの腕があるのに、なんであんな枕営業じみた事をするんだろうなあ…。
何日か振りに顔を出した事務所で篠崎と会った。
「…よう」
気は進まないが一応挨拶をする。…が、案の定篠崎からの返事はない。なんで、コイツはこうも俺の事を目の敵にするかね…。
「…ドラマの主役の話が来てるって本当…?」
篠崎は挨拶も返さず、いきなり聞いてきた。
「ドラマ?…ああ、来期の火9のヤツか」
「…本当なんだ。お前くらいのキャリアでもうゴールデンの主役の話が来るなんて、さすが大御所がバックにいる奴は違うよね」
「…どう言う意味だよ」
「お前、三沢先生となにか関係あるんだろ?F局のプロデューサーが言ってたよ。ナツミを使えば三沢先生のご機嫌が取り易いってね」
「…なっ」
「三沢先生の脚本は、どこの局にとっても喉から手が出るほど欲しい代物だろうからね。羨ましいよ、一体どうやって先生に取り入ったの?良かったら、教えて欲しいよ」
「…っ、てめえっ!自分がそうだからって、誰もがてめえと同じだと思うなよっ!」
篠崎の挑発だとわかっていたが、俺だけでなく親父までも侮辱された怒りと口惜しさで、黙っている事なんて出来なかった。
「…聞き捨てならないね。僕が何だって言うのさ」
「てめえみたいに枕営業で積んだキャリアのヤツが偉そうに!俺はともかく、お…、三沢先生まで侮辱すんじゃねえっ」
「はっ!僕が枕営業…?じゃあ、自分はどうだって言うのさ。3年前のあのドラマだって、沖さんのコネで決まったクセにっ」
「…なんだと」
「人気舞台俳優の沖さんを主役に抜擢して、話題作りをしたかったスタッフが沖さんを落とす為に、お前を使ったって知らなかったの?
沖さんが三沢先生に心酔してるのは業界じゃ有名だし、先生お気に入りのお前に良くしてやって、自分の株を上げたかったんじゃない?
そうじゃなきゃ、ポッと出の新人がいきなり月9の主役の弟役なんて取れるはずないじゃないか。自分の実力でここまでこれたと、思い上がってるお前の顔を見てると虫酸が走るよ。恵まれた環境に、何の疑問も持たないお気楽なその顔をねっ!」
篠崎の言ってる事が事実なはずはない。
親父にしろ沖さんにしろ仕事に私情を挟んだり、まして誰かを利用したりなんてする人じゃない。
演技に対してあれだけ厳しい人が、それを冒涜するような真似をするなんて有り得ない。
そう信じる俺の気持ちの片隅に、昔見た親父の写真に口付ける沖さんの姿が蘇る。
ずっと、親父に報われない恋をしているあの人の姿が…。俺を俺として見ていてくれたのではなく、親父の…愛する三沢蒼太の息子だから可愛がってくれたのか…。
沖さんは俺を、夏見佑太と言う役者としと見ていてくれていると、実力の違いはあれど同じ舞台に立つ役者として、あの人の前に立てているとそう信じていた。
子供の頃から可愛がって貰った俺も、役者としての俺も、そのどちらもが三沢蒼太への恋心ゆえのものだったのなら。
俺があの人を追いかけてきた8年間は、どれだけ滑稽なものだったんだろうか……。
*********
「夏見!何をボサッとしてる」
今は通し稽古の真っ最中だってのに、篠崎のせいで掻き乱された気持ちが、芝居への集中を乱している。
「すみませんっ!もう一度お願いしますっ」
ちゃんと集中しろ!あの人に俺が一人前の役者なんだってところを、ちゃんと見せて認めさせてやらなきゃ!
「夏見!余計な事を考えずに集中しろ。初日まであと幾らもないんだぞ!」
畜生…、集中しようとしてるのに、上手く役に入れない。こんなんじゃ…。
「やめだ!やめっ!もういいっ、代われ夏見。篠崎っ!二幕の第三場からっ」
「はいっ!」
くそ…っ!袖に引っ込む俺とすれ違いざまに、篠崎が俺の耳元で小声で囁く。
「…コネで役を貰う奴の演技なんて大した事ないね、やっぱり」
篠崎はクスクスと笑いながら、俺の横を通りすぎていく。もとはと言えばお前が余計な事を言ったから…。演技に集中出来ない言い訳を、篠崎にぶつけても無意味だと分かっていても、八つ当たりしてしまう。
これは俺の気持ちの問題だ。役者なら自分の感情を演技に持ち込むなんて最低の行為なのに。
結局、集中出来ないまま稽古を終えた。情けない自分に苛立ちを覚える。
ロッカールームで着替えていると、沖さんが入って来た。正直、今はこの人と話す気分じゃ到底ない。それなのに沖さんは、俺にこんな事を聞いてきた。
「…なっちゃん、なにか悩み事でもあるの?俺で良かったら聞くよ?」
あんたの事で悩んでんのに、本人に相談なんて出来るワケないだろっ!
「別に悩みなんてないよ」
そんな気持ちから、ぶっきらぼうに返してしまう。
「…そう?ならいいけど。でもこのまま演技に支障が出るようなら、降板もあるのは覚悟してね」
降板だと…!?冗談じゃねえっ
「降板って、親父が言ったのか!?」
「三沢先生はまだ何も言ってないよ。けど、自分でも分かってるでしょ?このままじゃ初日に間に合わないよ」
「…!ちゃんと間に合わせるさっ、今日はたまたま調子が悪かっただけで…」
「ここ2、3日ずっとじゃない。なっちゃんだけの舞台じゃないんだよ。素人じゃないんだから、そんな言い訳が通用しないのはなっちゃん自身が、一番良く分かっているでしょう?」
そうさ、分かっている。こんなの俺らしくないって。言い訳なんてせずに精一杯努力する事で、これまでやって来たんだ。だけど、それは俺がそう思っていただけで、篠崎の言う通り親父や沖さんの力だったとしたなら…
「なっちゃん?」
「ちゃんと出来るって言ってんだろうっ、いつまでも俺をガキ扱いしてんじゃねえよ!」
「…なっちゃん?いきなりどうし…」
「触るなっ!」
何時ものように、俺の頭を撫でようとした沖さんの手を、思い切り振り払う。バシッ!と大きな音がロッカールームに響いた。
「…俺は、ちゃんと一人の役者としてやっていくんだ…。あんたの手も親父の手も借りたりしない…、だから放っておいてくれ」
「…そう、わかった。なら三沢先生に恥をかかせるような芝居だけはしないようにね」
そう言って沖さんは部屋を出ていった。
「…はは、やっぱりあの人にとって大事なのは親父の事だけなのかよ…」
足に力が入らなくなってロッカーに寄りかかり、ズルズルと蹲る。
せめて声を上げて泣く事だけはしたくない。膝に顔を埋めて血が滲むほど両手を握りしめ、俺は嗚咽を堪えた。
*********
家に帰りたくない。家に帰って今親父に会えば、感情に任せてあの人が秘めていた気持ちを、俺の口から告げてしまいそうで…。
どちらにしろ、明日にはまた親父ともあの人とも顔を合わせる。
沖さんに大口叩いたものの、今のままじゃロクな芝居が出来ないのは目に見えてる。
俺にとっての大切なもの…。芝居も、沖さんへの気持ちも、このままじゃ両方とも失ってしまう…。
それならば、叶わないこの想いをせめて自分の手で捨てよう。
ガキの頃から大切にしてきた想いだけど。
壊されるのなら、あの人の手で。
元の形も分からなくなるくらい粉々にして欲しい。
欠片が残れば、きっとまた繋ぎ合わせてしまいたくなる…。
そんな惨めな事はしたくない。
だから―――
携帯を取り出して、あの人の番号を呼び出す。数回のコール音の後、沖さんの柔らかな声が聞こえた。
『なっちゃん?』
「…うん」
『どうしたの?こんな時間に珍しいね』
「…沖さん、今日はごめんね」
『ふふ…、素直ななっちゃんなんて益々珍しい。明日は雨かな』
さっきの事を気にさせない普段通りの話し方。いつも俺を甘やかしてくれた沖さんの優しい声。
「…俺さ、沖さんにお願いがあるんだ。今から家に行ってもいい?」
『かまわないよ、ご飯は食べたの?』
「…うん、大丈夫」
『じゃあ、気をつけておいで。もう遅いからちゃんとタクシーを使うんだよ』
「…心配性だな沖さんは、じゃあ後でね」
携帯を切り、タクシーを呼んだ。
*********
「いらっしゃい、なっちゃん」
「お邪魔します」
久し振りに来た沖さんのマンション、この前来たのはいつだったっけ…。綺麗に片付けられたリビングを見渡す。誰か、恋人の一人が掃除してんのかな…。
いつものソファーに腰掛け、自虐的な事を考えながらぼんやりと向けた視線の先に写真立てが映る。
あれは兄貴の大学入学祝いを、沖さんも呼んで家でやった時にみんなで撮った写真だ。こんなもんわざわざ飾ってんのは、やっぱり親父だけ飾ったら恋人達に怪しまれちまうから…?
「なっちゃんコーヒーで良かった?」
「…ん、ありがと」
俺にコーヒーを渡すと、沖さんも向かいのソファーに座る。
「わざわざ家まで来たって事は、お兄ちゃんに悩み事を相談する気になったって事かな?」
何時ものように、おどけてお兄ちゃんなんて言う沖さん。
その言葉が今の俺にはお前は恋愛の対象じゃないんだと、改めて言われているみたいで心に突き刺さる。
「違うよ、悩み事の相談じゃない。…俺、沖さんにお願いがあるんだ」
「そう言えば電話でそう言ってたね。なあに?俺に出来る事なら可能な限り叶えてあげるよ」
滅多にないなっちゃんのおねだりだもんね、と笑いながら続ける沖さん。
「…うん、沖さんにしか叶えられない事」
「俺にしか?一体何だろなぁ~」
笑顔のまま、そう返す沖さん。これから俺が言う言葉を聞いても笑っていてくれるかな…
「…うん、あのね…。
俺の事……、抱いて…くれ…ない?」
掠れ震えながら声を搾り出す。このまま破裂してしまうんじゃないかってくらい、心音が煩く響いている。
…お願い沖さん…、何か言って……
「ど、…どうしたの?なっちゃん。何か悪い物でも食べたの?それとも昼間の事で、俺をからかおうとか思ってたりする?」
祈るような気持ちで待っていた俺の耳に聞こえて来たのは、冗談で済まそうとするあの人の言葉だった。
「…そうやって…、そうやって、聞かなかった事にするんだ…?…俺のっ、…8年間の、想いっ、を…っ!」
哀しさと口惜しさで、両手を握り締め叫ぶ。
「…なにも…、なにも心まで望んでなんかいないっ!
ただ…、一度だけ…それだけでいいから、抱いて欲しい…だけなんだ!
なのに…、あんた誰にだって手を出すじゃないか!なのにやっぱり俺は…、俺じゃあ駄目…、なのかよぅ…」
溢れてくる涙と気持ちを止める術はなくて、ただ哀しさと悔しさが俺の胸を占めていく。
「…だったら俺を、…親父だって思ったっていいよ…っ。 代わりで…いい…。…だから、一度だけ…。そしたら…ちゃんと諦めるから。
いつも通りの、弟に…戻る…から。お願い…今夜だけ、俺をあんたの恋人に、して…よ…」
「……ばかだね」
俯いたまま、泣いて懇願する不様な俺に投げ掛けられたのは。
そんな残酷な言葉。
そうだな…。ホントに馬鹿だ。分かっていた事なのに…。
俺が親父の息子である限り、この人が俺を抱く事なんてないって…。
三沢蒼太を裏切るような真似が、この人に出来るはずがない。
もう…諦めよう。一度だけでも抱いてもらえたら、これまでの想いが少しだけでも報われる気がしたけれど。そんな事をしても、傷を増やすだけだ…。
「本当に馬鹿だよ、どうして三沢先生の代わりだなんて言うの…?」
傷付き俯く俺の耳に沖さんの優しい声が届く。
「え…?」
「代わりになんか、なれるはずがないでしょう?」
沖さんの温かな手が俺の頬を包む。
「馬鹿だよ、佑太は…。自分からこんな男のところに食べられに来ちゃうなんて…。
先生への顔もあるし、せめて高校を卒業するまでは待つつもりだったのに…。
こんな可愛い過ぎる告白されちゃったらもう我慢するの無理。覚悟してね、俺の12年分の想いは半端じゃないよ?」
まるで大切なものを扱うように、ゆっくりと沖さんの指先が俺の唇をなぞっていく。そして優しく見つめながら俺の頬に、瞼に、額にキスを落としていく。
「…愛しているよ、佑太」
そっと重ねられた唇が優しく触れ合い、徐々に深さを増していく。息苦しさから開けた口に沖さんの熱い舌が忍び込み歯列をなぞり潜り込んでくる。
舌と舌が絡み合う濡れた水音が耳朶を震わせさらに息が上がっていった。
*********
「それじゃあ、佑太はずっと俺が先生の事を好きだと思ってたの?」
あり得ないとばかりに、沖さんが目を見開く。
砕け散ると思っていた俺の想いは奇跡のように叶えられ、途惑う俺を沖さんは壊れ物を扱うように優しく抱いてくれた。
そして俺は経験豊富な沖さんの手で散々喘がされ、経験値の違いをまざまざと見せ付けられた。
それは沖さんの華麗な恋愛遍歴を裏付けるようで、胸が痛んだけれど。
今だけはこの人は俺だけのものだから…、そう思いながら温かな腕のなかで微睡みつつ返事をする。
「…だって、写真がさ」
「写真?…って、もしかしてリビングに飾ってるヤツ?」
「それもだけど…、昔俺ん家であんたが親父の写真にキスしてるの見た…から…」
うとうととしながらも、ずっと心にあった傷みを打ち明ける。
「…え、…あー、あれ見られちゃってたんだ」
参ったなあ、って耳の辺りを掻きながら照れたように話す沖さん。
「…やっぱり親父の写真にキスしてたんだな」
くるりと沖さんに背を向ける。
「ちっ、違うよ!あれは、佑太の写真にキスしてたのっ!」
「ええっ!?…っ、いってぇ…」
思い切り振り返ったせいで腰に響く。
「だっ、大丈夫!?佑太」
「だ、大丈夫…それより今なんて…」
「だからキスしてたのは佑太なのっ!佑太が小学校に上がった時の写真が飾ってあったでしょ?…それに、ね」
ええっ…!
「…まさか、沖さんってショタコ…」
「違いますっ!」
即座に否定する沖さん。
「佑太はさ。思い出したくないみたいだったから話せなかったんだけど、昔女の子役でCMに出た事があったでしょ?」
「…やっぱり、あんた知ってたんだな!だから俺の嫌がる呼び名でからかってたんだろっ」
「だから違うって。俺は思い出して欲しかっただけなんだよ…。覚えてない?一緒にCMに出た男の子のこと」
共演の男の子…?
沖さんに言われて記憶を手繰り寄せる。確か、兄妹で買い物に行くみたいな設定だったはず…。
「…って!まさか、あの時のっ……まあ兄!?」
「あ~、やっと思い出してくれた~」
え、えっ!?沖さんが、あのまあ兄?
「なっちゃんは俺のね。初恋の人なんだよ」
…うっ、嘘っ!?
「あの頃、俺ちょうど子役から俳優としてやっていけるかどうか悩んでいた時期でね」
沖さんが子役出身なのは知ってたけど、舞台の印象が強くて、それまでの経歴ってあんまり気にした事がなかった。
「でもあの時、なっちゃんが凄く楽しそうに妹役をやってくれてさ。俺も途中からカメラの事とか忘れて自然に演じてたんだ。それで演じる事は楽しい事だったって思い出して、もう一度やって行く決心が着いた。だから、なっちゃんは俺の恩人でもあるんだよ?」
凄く嬉しそうに俺を見つめて微笑む沖さん。沖さんがあの時のまあ兄で、俺が初恋の相手…
し…、信じられない…。
「佑太も俺の事を、もしかしたら好きでいてくれてるのかも知れないって思う事はあったんだけど、佑太はブラコンだしやっぱり兄としての親愛なのかなあって…。
好きだからこそ、余計に自信が持てなくてね…。でも自分の気持ちを誤魔化しているのもいい加減限界だったから、佑太が高校を卒業したら告白しようって思ってたんだけど…」
先を越されちゃったね、と沖さんが笑って言う。
「…告白って、でもあんた恋人達は…どうすんだよ…。俺…、大勢の中の一人とか嫌だからな…」
「…はあっ!?恋人達?大勢?まさか佑太、週刊誌の報道を信じてるんじゃないだろうねっ」
「…えっ?…違うの?」
「当たり前ですっ!あんなの勝手に周りが騒ぎ立てているだけだよっ。話題作りに使われていい迷惑だ」
「……本当に?だって部屋だって何時も綺麗だし、恋人の誰かが掃除に来てるんだろうなって、俺、思って…」
「本当にっ!この部屋に泊まったりするのは、佑太と圭太だけだよ?掃除はちゃんと自分でやってます。普通に結婚する気はなかったからね。家事も一通りこなせるよう努力したのっ」
「…なんで?」
「なんでって、佑太をお嫁さんにするつもりだったんだから、家事は分担になるでしょう?今時は夫も家事くらい出来ないとね。奥さんにばかり苦労はさせられません」
ニコニコ笑いながら、信じられない事ばかり言いだす沖さんに、顔が熱くなる。
「大体、誰かが部屋に来てるなら、三沢先生や佑太と写ってる写真を飾っておくなんて出来ないでしょう?」
…あ、ホントだ…。
「ね?信じてくれた?」
それじゃあ本当に…?
「…俺が初恋って本当…?」
「うん…、ずっと佑太だけが好きだったよ」
「…じゃあ、俺だけが沖さんの恋人…?」
「もちろん、佑太だけが大事な可愛い俺だけの恋人だよ…。
初めて会ってからずっと俺に道を標してくれた、大切な俺だけのアクター。
…だから、これからもずっと俺の傍で道を照らし続けてね」
*********
沖さんと想いが通じあって俺の芝居は日を追って調子を戻し、どうにか降板することなく、舞台は無事に大成功をもって千秋楽を迎える事が出来た。
舞台を終えたあとの気持ちのいい疲労感に浸りながら、楽屋でくつろぐ俺のもとに兄貴が顔を出してくれた。
それは嬉しいが、なんで早川の野郎までくっついて来てんだよ…っ。
「佑太っ!千秋楽おめでとうっ、お芝居すっごく良かったよ!僕、感動して泣いちゃった」
へへっ…、って真っ赤な目をして笑いながら、手放しで褒めてくれる兄貴が可愛いぜ~っ!
「舞台なんて初めて観たけど、生の芝居って凄いんだな。俺も感動したよ!」
賛辞は嬉しいが、兄貴の肩を抱きながら喋るんじゃねぇ~~~っ!早川~。
「あれ?来てくれてたんだね、圭太」
着替えを終えた沖さんも顔を覗かせる。
「沖さんっ!沖さんの演技も本当に素晴らしかったよっ」
「ふふっ、ありがとう」
お礼を言いながら兄貴の頭を撫でる沖さんに、早川が嫌そうな顔をしている。
ザマーミロ、って言いたい所だけど、相手が兄貴とはいえ俺以外の人に優しくする沖さんに俺の顔も曇る。
俺って、結構嫉妬やきだったのかな。今まで沖さんの色々な噂を聞いても割と平気だったのに、恋人になったとたんに独占欲が芽生えるなんて…。
「これから、打ち上げなんだけど圭太も来ない?そこの彼氏も良かったら一緒にどうぞ」
おっ、沖さん…っ?彼氏って…まさか気付いて…。
「いえ、せっかくですが俺達これから行く所があって」
動揺する事なく返答する早川に、ただの思い過ごしかと胸を撫で下ろしてたら早川の野郎がとんでもない事を言ってきた。
「今から、二人で住む部屋を探しに行くんですよ」
…はあっ!?
「…今、なんつった…?…この野郎っ!…ふ、二人で住むだあっ!?」
「あれ?圭太言ってなかったの?」
「…う、うん。…佑太忙しそうだったし、最近元気もなかったから言い出しにくて…」
「俺と圭太でルームシェアするんだよ。二人の大学の間くらいの場所に部屋を借りて、ふ・た・りで住むんだよ」
こっ、この野郎~~~!二人のトコを強調しやがって!!
「早川…、てめえ俺の許しもなく兄貴と同棲だと…?そんなん許せるかあぁっ!!」
「…ゆっ、佑太っ!同棲なんて言ってないよ~~っ」
顔を真っ赤にして慌てる兄貴に、沖さんまでとんでもない事を言ってきた。
「へえ、いいね。それじゃこの際だから俺達も同棲しようよ。佑太」
「お…、沖さんっ!!」
「…俺達も…?俺たち…って、まさか佑太と沖さん…?…それって…、二人がそんな関係…なんて事、ない…よね?」
「あれ?佑太言ってなかったの?」
…いっ、言える訳ないだろ~~~~っ!!
「…駄目…」
暫く黙って俯いていた兄貴が、ボソリとひと言呟いたかと思うと、普段の兄貴からは想像も出来ない剣幕で、沖さんに詰め寄り叫んだ。
「…ダメっ!!沖さんみたいな下半身暴走マシーンに、うちの大事な佑太はあげられませんっ!!」
「…あっ、兄貴っ!?」
「…圭太まで、俺の事をそんな風に思ってたなんて……」
ガックリとうなだれる沖さん。
「佑太っ!お兄ちゃんは許しませんからねっ。お付き合いするならもっと誠実な人としてっ!」
「圭太~、それは誤解なんだよ。俺はちゃんと誠実に佑太を愛してるんだから許してよ~」
「駄目ったら、ダメっ!!佑太っ、お家に帰ろう?こんな下半身が危ない人に着いていっちゃいけませんっ!」
そう言って俺の手を引く兄貴。散々ガキの頃に言われた台詞に笑いが漏れる。余分な台詞がついちゃってるし。
「圭太~、下半身は余計だよ~」
俺が思っていた事を、沖さんが泣きながら言ってる。可愛い圭太に駄目押しされたのが相当堪えてるな、こりゃ…。
「…っちょっ、圭太!部屋探しはどうするんだよっ!」
俺を連れて帰ろうとする兄貴を早川が慌てて引き止めるけど、兄貴は振り返りもせずに部屋を出ていく。
今度こそザマーミロだな。俺もブラコンだけど、兄貴も負けないくらいのブラコンだからな。
笑いながら兄貴と手を取り合って、二人で歩きだす。
けれど、もうお互いが取る手はそれぞれに違う人だと俺も兄貴もわかっている。
俺たちはこれからお互いの愛する人の手を取って、それぞれの進むべき道を歩いていくんだ。
俺の道と、兄貴の道。
歩む道は違っても、お互いが信じた人の手を固く握り締め合って。
ずっと、歩いて行こうーーー。
End
ともだちにシェアしよう!