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第15話 俺よりずっと男らしい……
てっきり淡島だと思って、俺は何の構えもなくひょいと後ろを振り返った。
するとそこに立っていたのは……俺のセフレ、立石由高先輩だった。
「う、うわ、わわ、立石先輩……!?」
そういえば、立石さんも九条と同じ美術科彫刻コースの学生。作業用のでっかいゴーグルを首に引っ掛け、あちこち破れて木屑にまみれた濃紺のツナギ姿で、缶コーヒー片手に俺の後ろに立っていた。
少し長めのサラサラの茶髪はクセ毛気味で、今日はあちこち跳ねている。こんな風に日常的な雰囲気の中で出くわすのは久しぶりだ。最近は立石さん家でセックスする時にしか会わなかったし、その時はベッドに直行だからな……。
裸や色っぽい部屋着(ただの大きめのTシャツとかだが)ではなく、こうして普段着の先輩を見ていると、そんなに性に関して緩そうな人には見えない。俺だって去年誘われるまでは、細身でキレイな顔をしたお洒落な先輩だなぁ……くらいにしか認識していなかったし。
俺が一人でどぎまぎしていると、立石先輩は少し釣り気味の大きな目にティルナータの姿を映し、どういうわけか少しばかり不機嫌そうに眉を寄せた。そんな反応を見てか、ティルナータの目にも若干不愉快そうな、不穏な色がさす。
「……誰? 悠真のこれ?」
「えっ、い、いや……違いますけど……」
今となっては古めかしい動作だが、立石さんは小指を立てながら、ちろりと俺を見下ろした。立石さんは無遠慮にジロジロとティルナータを観察しながら、ふと九条にも視線をやり、すぐに興味を失ったように視線を戻す。……まぁ、立石さんが現れたと同時に、九条はサッと深くフードをかぶってしまったからな……。
「ちょっと来い」
「えっ……」
「話がある」
ぐいっと立石さんに腕を掴まれて、俺は更にドギマギしながらティルナータと九条を見比べた。ティルナータは尚も不機嫌そうな鋭い目つきで立石さんを見上げているし、九条は小さく縮こまってしまっているし……あぁ、どうしよう。九条と仲良くなりかけているとはいえ、ティルナータを置いていくわけにはいかないし、でも……こんな風にぐいぐい俺んとこに来る立石さんも珍しいし……気になるし……。
で、結局俺は立石さんに引きずられるまま立ち上がってしまった。ティルナータと九条に「すぐ戻るから」とだけ言い残し、ずるずると立石さんに引っ張られて学食の外へ出てきてしまう。
そして、連れ込まれたのは男子トイレ。洗面台のほうへ突き飛ばされ、俺は尻を打ってちょっとだけ呻いた。
「……ねぇ悠真。今夜も来るだろ?」
「え……でも、この間も……」
「今夜俺、暇なんだよね。……来るよな?」
する、と立石さんの両腕が首に巻きついた。ちょっと背の低い立石さんにそういう姿勢を取られると、顔がちょうどいい感じにキスしたくなるような位置に来て、ドキドキする。そして、いつもこの人から与えられる性的な刺激を、思い出さざるをえなくなる。
ぴったりとくっついている身体は、ごわごわとしたつなぎで覆われているけれど、何度となく抱かせてもらったこの人の裸体は、簡単にイメージできてしまって……。
――い、いや!! だめだだめだ!! ティルナータをひとりでほっぽってセックスしに行くとかありえねぇ!!
「こっ、今夜はちょっと、無理です……」
「は? 何で? あのガキ、お前の何なの?」
「何って……ええと」
俺のナイトです……とは言えるわけもなく、俺は適当に「ちょっとの間預かることになったロシア人です……」と言った。
「すっげぇ美少年だな。お前好みだろ? もうヤらせてもらったの?」
「ち、ちがっ……あの子はそんなんじゃなくて!」
「本当かなぁ? 俺を見るあのガキの目つき……あれ、完全に妬いてる目だったと思うけど?」
「えええっ!? そ、そんなわけないじゃないですか、だってあの子はまだ……未成年だし。多分……」
「歳なんかカンケーねーだろ。……ま、でもそういうことなら、いいじゃん。今夜、しよ?」
立石さんはちょっと伸び上がって、ちゅっと俺の唇にキスをした。そして間近で俺を上目遣いに見上げて、にっと艶っぽく微笑んだ。
「でも、俺はっ、」
「悠真、お前だって、したいだろ? 俺と」
「ん、んっ……」
リップ音を立ててキスをされつつ、立石さんにそんなことを囁かれてはたまらない……が、不意に、今朝方のティルナータの笑顔が脳裏をよぎる。俺からのディープキスを誘うように唇を舐めてくる立石さんのエロい動きにつられそうになるのを何とか堪え、俺は立石さんの両腕を掴んで顔を背け、唇を離した。
「……俺、やっぱ今夜は、無理っす……!」
「……はぁ?」
「俺、あの、あの子を一人にするわけにはいかないし! ……だからっ……!」
「ふーん。そんなこと、言っちゃうんだ」
立石さんは俺に抱きつくような格好のまま、唇を指先で拭うような動きをした。そして、小首を傾げて俺を見上げる。いつもは斜めに流した長い前髪が顔の半分を隠しているが、苛立ちの滲む表情は隠しようがない。
「……生意気なやつ。もうヤらせてやんねーぞ」
「うぐ……」
「どうする? 悠真」
舌先で顎を舐められた。ちろちろと覗く赤い舌を見て、俺は獲物を絡め取る蛇を連想していた。そんなことをしつつも、立石さんはそっと俺の股間を撫で上げては、暖かく湿った唇で首筋にキスしながら誘惑してくる。
いつもなら、こんなことをされなくてもあっと言う間に立石さんに襲いかかっているところだが……今日はどうしても、ティルナータの顔がちらついて……。
「何をしている」
って、本物来たー!!
しかもさっきよりすっげぇ不機嫌だし、どうしよ、またメラメラ炎とか出されたらどうしよう……!
と、俺は若干不安になりつつ、また同時にまずい場面を見られてしまったという危機感で、全身から冷や汗がダラダラと滝のように流れ出す。
ティルナータはずかずかとトイレの中に入ってくると、今までになく乱暴な手つきで立石さんの肩を掴み、ぐいっと俺から引き離した。立石さんはふらついて、壁にドンと背中を打ち付け、険しい表情でティルナータを睨みつけている。
――……な、なんだこの状況……。
「この男は僕の主だ。薄汚い手で触らないでもらおうか」
「は? 何言ってんだこのガキ」
「ちょ、ちょ、ティルナータ……」
俺の前に男らしく立ちはだかるティルナータの肩に手を置いて、俺はティルナータを宥めようとした。一触即発の雰囲気だ。ティルナータは今にも立石さんに殴りかかろうかという険しい目つきをしている。
「ティルナータ、何でもないんだ。ほら、行こう」
「何でもねーことはねーだろ。俺たちは今大事な話をしてたじゃねーか」
ティルナータに語りかける俺の台詞を聞き、今度は立石さんの不愉快っぷりが増してしまった。……あああ、どうしよう。しかも立石さん、ティルナータに手荒い挨拶を受けたのに、まるで怯む様子もなくティルナータに接近して、若干上からじろじろとメンチ切りまくってるんだけど。この人も中性的な見た目してるくせに肝が据わってんな!
「ふーん。何? 俺のことが目障りってか。お前、悠真に惚れてんだ」
「僕の主人 に近寄るなと言っているんだ。とっととここから去れ!」
「ちょ、あの、二人とも、やめ、」
「お前は黙ってろ。俺はセックスしたい時に出来ないことが一番ストレス溜まるんだよ」
「そ、そんなの、俺に言わなくても、本命に抱いて貰えばいいじゃないですか!」
「本命?」
”本命”という言葉を聞いて、鋭く尖った立石さんの視線がこっちに向かって突き刺さる。俺はぎょっとして、口をつぐんだ。
「……本命に抱いてもらえねーから、こっちだってお前で我慢してたんだろーが!!」
「えぇっ? え、だって」
「もーいい」
じろ、と立石さんはもう一度ティルナータを睨んでから、がしがしと頭を掻いた。そしてイライラしたようにため息を吐き、ぷいっとトイレの出口へと歩き出す。
「もうお前はいらない」
「ちょ、先輩……」
「はー、萎えた。じゃあな」
そう言って足でドアを蹴り開けて、立石さんはトイレから出て行った。
取り残された俺は……うぅう、下からすっげー見られてる。ちりちり熱い空気を感じるんですけど、焼け付くような視線を感じるんですけど……うう、痛い、痛い……。
「ユウマ、帰ろう」
「へっ……あ、おう……」
「行くぞ」
「はい……」
憤然とした様子で俺の手首をむんずと掴み、スタスタと歩き出すティルナータの背中が、思いの外男らしくて参る。
どっちが主人か分かりゃしねーな。
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