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第21話 魔法陣!?

「おーい、こっちや、こっち!!」  大学の裏手は鬱蒼とした雑木林になっていて、そしてその先には、だだっ広い採石場跡がある。  雑然と取り残されたように積み上げられた砂利の山や、白い砂埃で汚れ、四輪ともパンクしている軽トラック、山肌を削り取られ、生々しく地膚を晒す切り立った崖……まるでこの世の終わりのような寂寥感を醸し出す、うら寂しい場所だ。 「見て見て!! こっちこっち!!」  のっぺりとした空き地のど真ん中で、黒いフードを被った九条がぴょんぴょん跳ねている。俺は、足取りの重たいティルナータの方をそっと見下ろしてから、先に立って歩き出す淡島のあとを追って歩き出した。 「うわぁ……なんだこりゃ!」  感心しているような、呆れているような淡島の声につられて、空き地の地面に目をやると……。  なんとそこには、巨大な魔法陣のようなものが描かれていた。 「な、なんじゃこりゃ!!」 「これなぁ、オカルトサイトの友達が特別にって教えてくれてんで。昔、これ使(つこ)て異世界行ったやつがおんねんて!」 「えぇ〜……」  うそくせぇ……と思いつつ、俺は地面に膝をつき、足元に精巧に描かれた魔法陣を見つめた。  黒いペンキのようなもので描かれているのは、正方形を二つ重ねて作った八芒星。その中心には、白と黒の勾玉を向かい合わせてくっつけたような……どっかで見たことあるような絵柄。そして八芒星の八つの頂点のその先には円が描かれ、その中に一文字ずつ、達筆な文字で漢字が刻みこまれている。”乾”、”兌”、”離”、”震”、”巽”、”坎”、”艮”、”坤”……という文字だ。  そしてさらに、これらの絵柄を取り囲むようにして大きな円が二重に描かれているのだ。直径は十五メートルほどはあるだろうか、俺たち全員が中に入って寝っ転がっても十分にお釣りがくるほどの広さだ。……ってか、こんなでかいもん、よく描けたよな……。さすが美術科の学生だぜ……。 「こ、これ、何?」 「これはなぁ、八卦陣いうてな。この世界を司る八つの理を表したものやねん」 「……ふ、ふーん。……この真ん中のは?」 「これはな、太陰太極図いうねん。陰陽道で使われるものやねんで? 映画とかで見たことない? 黒いとこが陰、白いとこが陽」 「それは……うん、ちょっと聞いたことあるけど……。で、なんで今度はそれが八つに分かれてんの。陰・陽で二つじゃないの?」 「お、鋭いやーん! あんな、陰と陽をさらに細かく分類したのが八卦っていうねん。ええか? ”(けん)”が天、”()”が沢、”()”が火、”(しん)”が雷、”(そん)”が風、”(かん)”が水、”(ごん)”が山、”(こん)”が地を表してんねん!」 「……それで?」  九条は一文字ずつ文字を指差しながら、丁寧に説明してくれる……んだけど、一般人の俺にはいまいち理解不能。それらの漢字がそういう意味を持ってるってことはわかったけど、それを並べたこの魔法陣で、どうやって異世界へ行こうってんだ? 「八卦ってのは中国で生まれた思想やねんけど、この八つの要素が、この世の理を支配しているっていう考え方や。学校で習ったやろ? 昔の人は、政治にも占い使てたとか、占いで旅先決めてたとかしとったわけや。まぁ、バリバリ科学技術が発達した現代でも、この考え方を信じて占いで人生決めたりする人もおるくらいなんやで! 今もいろんな人に大事にされて、受け継がれてきた思想やねん!」 「だから、それでどうやって異世界へ行くっていうんだよ。占いしててもしょーがねーだろ」  今度は淡島が、呆れたような口調でそんなことを言った。  すると九条はムッとしたように淡島を睨みつけ、するりとマスクを外して美形な顔を晒し、こんなことを言った。 「ここに書いてあるだけじゃ、ただの占いかもしれへん! でもな、知ってるか!? 今年の大晦日の日ぃはな、惑星直列が起こる日やねんで!」 「……惑星直列? あぁ、テレビで言ってたな」  ここ一ヶ月、しょっちゅうテレビで特集されていたニュースのことを、俺はふと思い出した。なんでも、太陽系内の惑星が一直線に並ぶという、至極珍しい現象が起こるのだとか。  一部の民放番組では、「惑星が一列に並ぶことで重力に異常が現れ、地球が無重力状態になる!」だとか、となると「甚大な天変地異が起こるのだ!」とか、やたらめったら大騒ぎしていたけど、別のニュース番組では冷静に「互いの惑星の重力が干渉し合う可能性は極めて低く、あったとしてもその影響は極めて小さい」と断言していた。  そんなオカルトじみたお祭り騒ぎにはまるで興味がなかったから、惑星直列という珍しい天体イベントがあるんだなぁくらいの認識しかしていなかったわけだが、それがこの魔法陣となんの関係があるというのだろう。 「ええか。そういう一大事が起こる日ってのは、世界の理が大きく歪む日ってことや。時空にも歪みが生まれやすくて、こっちから干渉することで、普段は閉じている時空の割れ目に影響を与えることのできるチャンスってことや!」 「いや、だからそれどうやってやるんだよ」  と、淡島が突っ込む。  すると、九条はバッ!! と大きな動きで地面を指差し、声高にこんなことを言う。 「ほら、この八卦陣の周りに描いてある二重円な、これはこの世界に充満している自然エネルギーを増幅させる効果があんねん! 僕らの生命エネルギーを陣から送り込んで増幅させ、歪んだ空間に風穴を、」 「だから、生命エネルギー送り込むとかどうやるんだよ! 俺ら普通の人間だよ! ジャンプヒーローみたいに手からなんか出すとかできねーだろうが!!」 「ティルナータさんはできるやろ! 彼の力も借りてやな!」  八卦陣とやらの中でギャーギャー喧嘩していた俺たちだったが、ティルナータの名前が出てきたことで、ようやく少し冷静さを取り戻す。  ここへ来るときからずっと口が重く、足取りも緩慢だったティルナータがどうしているのかと周りを見回してみると、ティルナータは俺たちから少し離れて地面に片膝をつき、陣の一部を指先でなぞっている。そして、意外なことに、その唇にはわずかに微笑みが見えた。 「……ティル?」 「懐かしい。この八芒星、何度も見たことがある」 「えええっ!? マジか!?」  と、俺と九条の声が重なった。  ティルナータは立ち上がって頷き、俺たちの方を振り返る。 「城壁のあちこちに、この陣が描かれていた。国土を守護する精霊たちの調和を守るための、まじないだと」 「おおおお……そう、それやねん!! そういうことやねん!! すごい、異世界でも八卦が使われてるなんて……!! 感動や!! ドラマやで……!!」  と、俺の通訳を聞いて九条は大興奮。  しかしティルナータは、ふっと目元に寂しげな陰を浮かべながらこう言った。 「それに、惑星直列……と言ったか。エルフォリアにおいて、天体が直列するのはそう珍しいことではない。天体が直列する夜は、僕らの身に宿る精霊たちの力も強くなる。だから、国にとって重要なまじないごとは、天体直列の夜に行われるのが通例だった」 「そ、そうなんだ……」  ティルナータはそう言って、また地面に跪いて一つの文字を撫でた。偶然だろうか、ティルナータが触れているのは火を表す”離”という字だ。漢字など読めるはずも、その文字が示す意味も知りようがないというのに、ティルナータは愛おしげにその文字を撫でている。すると……ふわり、と”離”という文字の周辺から風が湧き、ティルナータの金髪を宙に舞い上げた。そして、ティルナータの周囲に光の粒のようなものがふわふわと浮かびはじめる。 「……うぁ……」  俺たちが息を飲む中、ティルナータは誘われるように天を仰いだ。金色の髪と、それを彩る光の粒がティルナータの表情を神々しく輝かせ、まるでそこにだけ清らかな光が差し込んでいるかのように見えた。 「……僕は本当に、帰れるのかもしれない」  しかし、神々しくも美しい表情とは裏腹に、ティルナータの声はひどく寂しげだった。  しんとした静寂。風の音だけが、俺たちの耳元を密やかに駆け抜けていく。  ティルナータはそっと地面から手を離し、無言のまますっと立ち上がった。  声をかけづらい、空気だった。  ティルナータの険しい横顔には、ついさっきまで俺と甘やかな時間を過ごしていた時の愛らしさは微塵にも感じられなかったからだ。 「……ん?」  その時、ティルナータがふと顔を上げ、何かの気配を伺うように辺りを見回しはじめた。  するとほどなくして、ガタガタと騒がしい音がこっちに向かって近づいてくることに気付く。  車のタイヤが砂利を跳ねる音、エンジン音の唸り……俺はとっさに駆け寄って、緊張気味に辺りを窺っているティルナータの肩を抱く。淡島と九条も、自然と俺たちのそばへ近づいてきた。

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