28 / 46

第27話 夢、なのか?

   年老いた老王に肩を貸し、俺は呼吸を乱しながらひた走った。  そこここに……いや、すでに国中を覆い尽くすのは、エルフォリア王国を奪わんと息を巻く、敵国兵士たちの怒号ばかりだ。城内のあちこちから火の手が上がっている様が、目の端に映る。城が微かに揺れているように感じられるのは、数多の兵が押し寄せているからに他ならない。 「リオ……、私はもういい、お前は……」 「何を言うのです。あなたを失えば、私がここまで己を偽って来た意味も無くなるんですよ」 「……リオ、すまん……こんな、こんな役回りを、お前に……」 「それでいいんです。すべては、エルフォリア王国のため。そして……ティルナータの未来のためだ」  城の最上階にあるのは、国王の私室だ。そこまで行けば、呪い師たちによって作られた、”隠し通路(ルート)”がある。  フォルタラーヌ王は、病ゆえにもう先は長くない。しかし、現王が生き延び、民の眼前で時期国王へその王冠を手渡すことができたならば、エルフォリアの国権は奪われたことにはならない。いつかきっと力を盛り返し、焦土と化したこのふるさとを取り戻すことができる……。 「いたぞ!! 王だ!!」 「殺せ!! 首を奪え!!」  敵兵の気配は、すぐ背後にまで迫っている。あと少しで王の私室だというのに、敵兵たちの肌を焼くような苛烈な殺気を、すぐそばにまで感じるのだ。  俺はちらりと後ろを振り返り、舌打ちをした。俺は王をまるで荷かなにかのように肩に担ぎ上げると、目前に待つ王の私室の扉へ、ふらつきながらも駆けた。  太ももに受けた矢傷からは血が流れ、左肩口に突き立ったままの矢が、走るたび俺の肉を抉る。しかし、痛いという感覚は、とうに失われてしまったようだ。踏み込んでも踏み込んでも力の入らない肉体がもどかしいが、何としても、俺は国王を守らねばならない。その気迫だけが、俺の肉体を支配しているように思えた。  しかし、敵の気配は迫り来る一方。王の首を取らんと躍起になった敵兵たちの歓喜に満ちた笑い声が、すぐそばで破裂した。  その時、一陣の風が、俺のすぐそばを駆け抜けた。  はっとして顔を上げると、銀色にきらめく無数の氷の刃が、あたり一面に降り注いだのだ。俺と王の背後に迫っていた敵兵たちが、ばたばたと血を噴いて倒れていく。 「リオ様!!」 「……シュリ……!!」 「急いで!! さぁ、行きますよ!!」  シュリはぐったりとした国王を抱き取って、俺の腕をぐいと引いた。怜悧に整った横顔には珍しく焦りが滲み、こめかみのあたりには汗が伝っている。  国王の私室へと逃げ込んだ俺たちは、隠し通路のあるベランダまで一気に駆けた。しかし敵は、すでにこの部屋のドアの前に集結しているらしい。頼りない錠前一つでは、到底防ぎきれる数ではないだろう。  ベランダから、大平原へ抜ける”隠し通路”は、呪い師たちの作る魔法の抜け道。シュリが開いたぽっかりと黒い穴の先には、王を待つ味方たちがいるはずだ。  どろどろとした黒い渦を巻く不気味なトンネルをくぐろうとしたシュリが、国王に肩を貸したままこっちを振り返った。 「リオ様も、早く!!」 「……いや、俺は行けない」 「な、何をおっしゃるのです!? ここまで来て……!!」 「シュリ、俺の役目が何なのか、お前には分かっているだろう」 「……っ」 「俺がここで死ぬことこそが、俺の役目だ。王家に拾ってもらったこの命……。ここで、きちんと恩を返したい」 「でも……でも、ティルのことはどうするんです!! これでいいんですか、このまま、何も告げず……!!」 「……それもまた、運命さ。さぁ、早く行け。今、敵兵はほぼ全員がこの城に集まっていることだろう。この機を逃す手はないさ」 「……リオ……様」 「シュリ、王を頼む。……ティルナータのことも、お前に託す」  シュリの肩を掴み、俺は力を込めるように一二度、揺さぶった。シュリは涙をこらえるような表情を浮かべた後、大きく一つ頷いた。  その時、扉が破られる音が、部屋の中に大きく響いた。  木っ端微塵になった扉を押しのけ、踏み潰し、敵兵たちが雪崩れ込んでくる。  俺はとっさに王とシュリを庇い、ゆらゆらと空間に漂う黒いトンネルに王とシュリを押し込んだ。 「早く行け!!!」 「……申し訳ありません……!!」 「なぜ謝る!! さぁ、すぐに”通路”を閉じろ!! はや、……く……」  その時、背中に鋭い衝撃を感じた。  ずん、ずんずん、ずん……と、身を震わす重たい衝撃。そして、全身から魂が抜けていくかのような、不思議な浮遊感。  俺は思わず、膝を折った。 「……っ……くそっ……」 「リオ様……!!」 「……行け!! おまえの、つとめを、果たせ……!!」  シュリの目に涙を見た瞬間、”通路”が消えた。俺はほっとして、がくりとその場に手をついた。  ――矢か。何本刺さってやがるんだ……くそっ……力が入らない……。 「王は!? いないぞ!!」 「道を仕込んでやがったんだ!! すぐに隠し通路をこじ開けろ!!」 「そこにいるのは誰だ……!?」  ――追っ手など、向かわせてなるものか。俺が、ここで全て、食い止める……。  俺はぐっと膝に力を込めて、ゆらりと立ち上がった。  敵兵どもに向き直り、腰に帯びた剣を抜く。ごうごうと街を焼く炎の光を受けて、手にした剣は金色にきらめいている。 「俺は……エルフォリア王国、第一王子……セッティリオ・ジュリアス・フォルタラーヌ!! ここから先へは、行かせはせぬぞ!!」  ふらつく体に鞭を打ち、俺は声高にそう名乗った。俺の顔を見、そしてその名を聞いた兵士どもの目つきが、さらに凶悪なものへと変貌していく。 「……こいつ、第一王子だ!! 次期国王だぞ!!」 「やれ!! 殺せ!!」 「首だ!! 首を取れ!! こりゃ手柄だ!! 大手柄だ!!」 「こいつを殺れば、この国は終いだな!!!」  ――馬鹿どもめ。まんまと餌に食いついたな……。  俺はベランダの手すりに背中を預けながら、首にかけていたペンダントを引きちぎった。ベンダントヘッドに嵌った黒い石を親指で撫で、俺は全身から流れ出す赤い鮮血を、思う様その石に吸わせてやった。  この石には、究極の破壊魔法が仕込まれている。俺の血で発動し、全てを焼き尽くす炎となる……。  ――ティル……もう一度、顔を見たかったな……。  俺の肉体をも巻き込んで、燃え上がる黒い炎。  敵兵たちの、断末魔の叫び声。  瓦解する城。  熱風に煽られて大きくはためく、エルフォリア王国の国旗。  ――俺は、お前の未来を、守れたかな……。  意識が遠のく。  何もかもが炎に焼かれて、消滅していく。  自分がまだ、生きているのか。それとももう、死んでいるのか。それすらももう、分からない。  黒炎に焼かれる夜空に、ゆるやかな線状に並んだ星星が見えた。  そうか、今日は天の星が一直線に並ぶ日だ。一緒に星を見て、惑星の名を教えてやると言ったのに、これじゃ……無理だな。俺はもう、なにも、お前に伝えることができない……。  ――あの星のどこかに、戦いのない、穏やかな場所はあるだろうか。その場所へいきたい。どこだっていい、ティルナータがいれば、どこだっていいんだ。  愛らしく笑うお前を、抱きしめていたい。  ――愛していると伝えたら、お前はどんな顔をしたんだろうな……。  +  + 「……っはぁっ!! はぁっ……はぁっ……!!」  息が、できなくなるかと思った。  あまりにリアルな夢を見て、俺は大汗をかいてがばりとベッドに起き上がる。 「何なんだよ……今のは。……俺、何でこんな夢を……」  肺を焼く熱までをも感じてしまうほどの、リアルな感覚。俺は両手を見下ろして、ぎゅっと拳を握ってみた。そこにあるのは、ひょろりとした長い指だけ。俺の手だ。剣なんて握ったこともない、頼りない手……。  ――ティルナータの未来ため……って、何? どういう意味なんだ? 俺、ティルナータと離れたくないからこんな夢を見てるのか? 「……ん……ゆうま……」 「……あ、ティル……。ごめん、起こした」 「ううん……どうしたんだ……?」 「いや……なんでもねーよ。大丈夫、もうちょっと寝よう」 「……ん……」  隣で眠るティルナータが、目をこすりこすり俺を見上げている。だぼっとした俺のTシャツ一枚っていう可愛い格好で、幼く無防備な表情を見せられているというのに……。  俺の胸を支配するのは、締め付けるような切なさと懐かしさ、そして正体のわからない、苦い後悔。 「ティル……」 「……どした……ゆうま……」 「ううん。何でもない。何でも、ない……」  この温もりは、本物だ。でも、もうすぐ、このぬくもりは俺の腕から遠ざかってしまう。  さらりとした髪を撫で、俺はぎゅっとティルナータを抱きしめる。ティルナータはもぞもぞと身じろぎをしていたが、やがてもう一度、眠りの中に落ちて行ってしまったようだ。  ――あの夢は、ただの夢、なのか? 俺は、何かすごく大事なことに、気づけていないような気がする……。  俺はティルナータの金色の髪に指を絡めながら、カーテンの隙間から覗く空を見上げた。  ゆっくりと白んでゆく空を、いつまでも見上げていた。

ともだちにシェアしよう!