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第33話 伝えたい

   午前中、俺が作業をする間、ティルナータは淡島と九条とともに寺社仏閣巡りへと出かけることになった。  今日は十二月三十日。  ティルナータがこっちにいられるのは、あと、たった一日。  大晦日の夜、年がかわるその瞬間に、シュリは術式を用いて時空を穿ち、ティルナータをエルフォリアへと導く道を作るらしい。  一緒に、初詣に行けたらどんなに良かっただろう。  人混みに驚きながらも、ティルはあの独特なお祭りムードを楽しんでくれただろうか。静謐な寺社仏閣の雰囲気と、新年を祝うめでたい空気が混ざり合う、あの感じ。ティルナータは、きっと気に入ってくれるに違いない。  お賽銭を投げ入れる瞬間であるとか、おみくじを引く時……ティルナータは一体どんな反応を見せてくれるんだろう。お得意のなぜなぜ攻撃をくらって、俺が説明に困ってしまうであろう場面がやすやすと想像できる。  冷えた夜の空気の中、口にするあたたかい甘酒であるとか、お汁粉であるとか……始めてのものを口にするティルナータを見てみたかった。驚きと感動を素直に表現する愛らしい表情を見ていたかった。そして、『うまいな、ユウマ』と言って笑うティルナータの笑顔を、見てみたかった……。  指先では細かい作業を着々とこなしているのに、頭の中では、そんな考えばかりがぐるぐるとめぐった。無意識に流れ落ちる涙が、ひとすじふたすじと頬を伝う。俺はすぐさまそれをぐいっとぬぐい、作業用のゴーグルをかけて作業に戻る。  ――泣いてる場合か。俺は、どうしてもこの絵をティルナータに見せなきゃならない。集中しろ……。  手にしたピンセットで血液を剥離しつつ、綿の手袋をした指先で絵の表面を撫でる。  徐々に徐々に、絵画に体温が戻ってくるような感じがした。  +  + 「……ユウマ?」 「おう、来たか」  午後になり、ティルナータがひとりでアトリエに入って来た。淡島と九条には「ティルと二人きりで話したい」と伝えてあったため、二人はここには来ていない。  ティルナータはいつものように俺のモッズコートを着込んでいたが、今日は寒かったせいか、ジッパーを一番上まで上げている。少し長め丈のモッズコートの裾から伸びる細い足や、あの日欲しがったムートンブーツ、眩すぎる金髪を隠すためのニット帽……現代風のいでたちがすっかり板について来たなぁと、俺はしげしげとティルナータの全身を見つめた。  もうすぐ、ティルはあの白銀の鎧に身を包む。  そう思うと、ティルナータの愛らしい洋服姿が、とても愛おしく感じられて、涙がまた……。 「ユウマ? それが、例の絵か?」 「えっ、あ……うん、そうだよ」  俺の感傷をよそに、ティルナータは壁に立てかけてある絵画に興味津々といった様子で歩み寄っている。麻の布をかけてあるその絵の中身が、気になって仕方がないようだ。  全ての血液を剥離できたわけではないが、午前中の作業がはかどったおかげで、絵画の全体像はちゃんと見て取れるようになっている。  俺は何をもったいぶるでもなく、ティルナータに微笑みかけてから、さっとその麻布を外した。 「……! これは……」  砺波氏が描いていたものは、『勝利』。  若く美しい王が、血を流しながらも勝利を手にし、多くの戦士を率いてエルフォリアに凱旋する……まさにその瞬間を描いたものだった。  背後に描かれている戦士たちの表情は皆明るく、希望に満ちている。勝利の雄叫びを上げながら剣を高く掲げる戦士たちの目線は、もれなく中心に立つ金髪の青年の方へと向いている。  その金髪の青年は、悠然と風にはためくエルフォリアの国旗を左肩に担ぎ、右肩には傷ついた騎士に肩を貸している。美しく整った細面には誇らしげな笑みが浮かび、緋色の瞳には晴れ晴れとした光があった。身体のそこここから血を流している描写はあるものの、その青年の両脚は、力強く大地を踏みしめている。  金髪の青年の、顔立ち。  それは紛れもなく、ティルナータのものだ。見間違いようがない。今よりも数年後の、ティルナータの姿を描いたものに違いない。  くるんとした目元や、頬のラインが今よりもすっきりとして、少しばかり大人びている。周りにいる戦士たちと身長もさほど変わらない様子を見ると、背丈も少し伸びているのだろう。  俺に見せる素直で愛らしい表情は、影を潜めている。華のある精悍さや頼もしさを感じさせる美青年へと成長したティルナータの姿が、生き生きと絵画の中に存在しているのだ。  勝利の女神を彷彿とさせる、美しく神々しい笑顔。  戦士たちから向けられる、親愛の情がこめられた目線。  今よりもなお一層美しく成長したティルナータの姿もさることながら、俺はそこに描かれている人物たちの表情にも心を揺さぶられた。  皆がティルナータのために、国のために力を出し切った。皆の力でエルフォリアを取り戻した。  王になったティルナータは、決して孤独ではない。彼らの眼差しを見ていれば、自ずと分かる。  俺は何よりもそれが一番、誇らしかった。 「……これは……僕、なのか……?」 「そうだよ、間違いない。この絵を描いた砺波さんて人は、日本からエルフォリアに迷い込んだんだ。その頃国は戦争の真っ只中で、砺波さんは大平原で兵士に捕まって、若い王様の前に連れ出されたって言ってたんだって」 「……ニホンから、人が?」 「そう。砺波さんは殺されるって思ったらしいんだけど、若い王様は、砺波さんを丁重に扱ってくれたらしい。戦火の及ばない場所でかくまってもらって、戦争が終わったあとは、エルフォリアで宮廷画家っていう仕事をもらったらしい」  俺は食い入るように絵画を見つめるティルナータの表情を見つめながら、さらに続けた。 「ティルは自信がないって言ってたけど……俺は、大丈夫だと思うんだ。ティルナータは、すっげー優しくて、かっこいい、最高の王様になれるよ」 「……え?」 「これを見て、確信した。ティルは立派にエルフォリアを勝利に導いて、皆の顔に笑顔を取り戻す」 「……」 「俺は、お前がいつかこういう未来を切り拓くと、信じていた」 「……え?」  俺がそう言い切ると、ティルナータは大きな目を瞬いて視線を絵画から外し、じっと俺を見つめた。まるで何かを探るような眼差しを受け止めながら、俺は一歩二歩と、ティルナータに歩み寄る。  そっと金色の頭を撫でると、ティルナータは微かに小首を傾げ、「……ユウマ?」と呟いた。 「これまでの自分を思い出して、自信を持つんだ。風も、炎も、水も、氷も、すべての精霊がお前に味方する。何万人もの戦士や民が、お前の帰りを待ってる。お前が王となることを、誰しもが歓迎する」 「……ユウマ……?何を、言ってるんだ」 「特別なことは、何もしなくていい。ただ、今までどおりの自分であればそれでいい。これまで培って来た絆たちは、決してお前を裏切らない。俺には分かる。絶対に、ティルナータは素晴らしい国王になる」 「……ユウマ……?」 「何も心配しなくていい。お前は必ずやり遂げる。だから……大丈夫」  ティルナータの瞳が、何かを感じ取ったかのように微かに揺れた。  長いまつ毛を上下させながら、俺の中に潜む何かを必死で見つけ出そうとするような、熱い眼差し。  ――この瞳が好きだった。愛おしくて、たまらなかった。  ――伝えたい。たとえこの先そばにいられなくても、俺の想いがティルの心を支えるものになるならば……。  俺はティルナータに真正面から向き合った。そして、少し冷たいティルナータの両手を握りしめる。 「ティル、俺な……記憶があるんだ」 「記憶……?」 「うん……」  ティルナータの左手を取り、指先にキスをした。  そしてまっすぐにティルナータを見つめ、俺は今まで言えなかったことを、告げた。 「セッティリオだった頃の、記憶」
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