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epilogue 願った場所

  「いやいや、すまんかったなぁ。がっつり晩までおってもろて……」 「ほんとだよ。肉おごれ肉」 「おお、ええよ! 今日はほんま世話になったし! ティルナータさん、焼肉食うたことある?」 「ヤキニク? ないな」 「ほんま!? ほな今から行こうや! 前から行きたいな思てたとこあんねん!」  つつがなく個展一日目を終え、開放感のためか九条のテンションはいつになく高い。今日は珍しくフードをかぶっていなくて、黒いジャケットに黒いタートルネック、そして細身のジーンズといういでたちだ。とはいえ、しっかり顔には白い大きなマスクを装着している。  が、美しく整った目元は隠しようがなく、否応なく目立っている。最近いっぱしの芸術家風の雰囲気を身にまとうようになってきた九条は、学生の頃のあやしさが嘘のように華やかだ。  個展開催中の週末は、九条本人がギャラリーにいなくてはならないが、平日は空いた時間に顔を出す程度でいいらしい。日曜である明日も九条はギャラリーにいなくてはならないわけだが、明日は九条が畏れて(リスペクトして)いる原田さんが不在ということもあり、いくらかは気が楽なのだろう。  俺たちは四人で連れ立って夜の銀座をぶらぶらと歩き、九条が行きたいと言っていた焼肉屋にやって来た。壁は白木で、看板は小さな提灯だけという、いかにもお高い雰囲気バリバリの店だが、初の個展という喜びですっかりテンションが上がっている九条は、先頭切って店の中へ入っていく。  全席個室という店内のしつらえも、余すところなく高級感バリバリ。メニューのどこにも、肉の値段など書いていない。しかし九条はほくほくしながら、重たげな木の表紙でできたメニューの一番最初に書いてあったコースを注文し、ビールを三つと烏龍茶を一つ頼んだ。どうやら羽振りも相当いいらしい。  俺たちは乾杯し、そしてようやく、一息ついた。 「しかしお前が個展とはねぇ」 と、淡島がビールを一気飲みして、ぶはっと息をついた。 「ご縁やご縁。僕みたいなんの才能を買ってくれる人と出会えて、ほんまよかったわ」 「そーだな。じゃなきゃ、ただの『うさんくせぇトーテムポールばっか作ってる変人』だもんな、お前。普通の社会生活できそうにねーし」 「うっさいねんドアホ。誰が変人や誰が。僕だって社会生活くらい……」 「できんの?」 「……うーん、無理かも……」  そう言うなり、九条はしゅんと小さくなってしまった。俺は苦笑しつつ、腕を伸ばしてぽんぽんと九条の肩を叩いた。 「まぁまぁ。でも実際は、こうして芸術家としての道が拓けてるわけだし、よかったじゃん」 「うん、まぁ、せやな。頑張らんとな……いつ稼ぎがなくなるか分かれへんし……」 「いざとなったら、お前も母校で働けばいいじゃん。俺、しばらく講師業続けるつもりだし、なんかいい話あったらお前に振るよ」 「ほんま……? でも僕、授業とかできひん……」 「いざとなったらなんとかなるって! 俺もフォローするし」 「ありがとう……ありがとうな、時田くん……!!」  九条はそう言って、切れ長の綺麗な目をキラッキラに輝かせた。眩しい。 「ティルナータさんは、大学出たら何にならはるんやろうなぁ」 と、九条がティルナータに声をかけた。物珍しそうに上品な個室を見回していたティルナータは、「そうだなぁ……」と小さく唸った。 「僕は本が好きなんだ。日本の古い本とか、絵巻物とか。なんかすごく、ロマンを感じるというか」 「ほうほう。分かる気ぃするわ〜。数百年の時を経て現代に残ってて、現代人が当時の言葉を一生懸命理解して、解読したりしてんねんもんな。なんか、いいやんなぁそういうの」 「そうそう、そうなんだよ。だから研究の道に進みたいなと思ったりもしているんだけど」 「へぇ〜いいやん。あ、博物館や図書館なんかで働くんもええかもな。求人あんまないし、狭き門やけど……」 「そうなんだよなぁ」  ティルナータと九条が普通に日本語でそんな会話をしているという風景にも、そろそろ慣れてきた。二人は会話のペースや趣味が何かと合うようで、月に一度は二人で古民家カフェ巡りなんかをして遊んでいる。  最初はちょっとやきもきしたけど、相手はこの九条だし、俺も結構今は忙しい身の上だから、ティルナータの今までのことを理解した上で付き合ってくれる友人の存在は、とてもありがたいものなのだ。 「しっかし、ティルみてーな派手な外見で博物館とか図書館とか……地味じゃね? もっとさぁ、モデルとか役者とかできそうなのにさ」 と、淡島は二杯目のビールを飲み干しながらそう言った。 「うーん、そんな生活想像したこともないよ」 「絶対ウケると思うけどなぁ。なぁ、悠真」 「ええー、俺はやだよ。ティルは今でも十分大学とかで目立ちまくってんだ。これ以上人目に晒したくねーな」 「あーそうかよ。ごちそうさん」  俺がしれっと本音を言うと、淡島は生ぬるい顔になって俺をにらんだ。最近彼女と別れたばかりのこいつに、惚気は禁物だ……。  その時、肉が運ばれてきた。  ティルナータは、網の上でじゅうじゅうと音を立てながら焼けていく肉を物珍しそうに見つめながら、ふと俺の方を向いて「いい匂いだな」と言った。かわいい。明日から毎日焼肉でもいいかなってくらいかわいい。 「やばいってこれ、めっちゃくちゃ美味い。そうそういい肉じゃん。お前本当に金大丈夫かよ」 と、淡島。 「大丈夫大丈夫。いざとなったお前のカードもあるし」 と、九条がマスクを下げてパクリと肉を口に入れ、幸せそうな顔をした。 「はぁ? 俺の? 何でだよ」 「まぁまぁ、イライラすんなって淡島。またいい出会いあるよ」 と、淡島を宥めてみるが、何故か睨まれた。 「うっせーな、適当なこと言うんじゃねーよ」 「んだと? せっかく慰めてやってんのに。お前のそういうツンケンしたとこが、」 「うわぁ……すっごく美味しい……。悠真、これ、すごく美味いよ! とろけそうだ!」  淡島といつもの口喧嘩になりそうになったが、ティルナータの歓喜に満ちた声にそれは中断された。ティルナータは澄んだ蜂蜜色の瞳をひときわキラキラさせながら肉をもぐもぐ食べ、頬を上気させている。なんたるかわいさ。 「せやろせやろ、めっちゃ美味いやろ〜〜〜! はぁ、幸せやなぁ」 「うん、幸せだ。悠真も淡島も、早く食べたほうがいいぞ」 「あっ、うん、そうだな。食おっか、淡島」 「お、おう……」  向かい合ってにこにこキラキラしているティルナータと淡島に毒気を抜かれた俺たちは、静かに座り直して肉を焼いた。  仲間とわいわいしながら、食べる食事は、すごく楽しい。  ティルナータもたくさん笑って、みんなでいろんな話をして、美味いものを食べる。こんな当たり前のことが、ものすごく特別で、幸せなことだと感じる。  女運の無さを嘆く淡島をなだめているティルナータの横顔を見守りながら、俺はそっと微笑んだ。  +  +  淡島と九条と別れ、俺たちは電車に乗って自宅の最寄駅まで帰ってきた。人も車もネオンも溢れかえっていた都会から静かな場所に戻ってくると、ホッとする。  ふと、駅前の桜が満開になっているのを見つけた俺は、ティルナータを散歩に誘ってみた。 「あっちの川辺に、ちょっとだけど桜並木があるんだ。行ってみない?」 「うん、行く」 「よーし」  俺はティルナータの手を握って、ゆっくりと歩き出した。ティルナータも嬉しそうに俺の隣に寄り添って、歩調を揃えて歩いている。  普段は、たいして風情のある風景ではないけれど、街灯の明かりで仄かに照らされた夜桜が並ぶ道は、とてもきれいだった。  アスファルトの道と、味気のない鉄柵、そして川辺に並ぶのはマンションやアパートといったなんの味気もない景色だが、夜桜が咲き誇っていると言うだけで、いつもとはまるで違う風景に見える。 「……わぁ、きれいだな」 「もっと綺麗なとこ行ってみる? 人混み苦手だから、俺もあんま桜の名所って行ったことないんだけど」 「ううん、ここ、すごくきれいだ。僕、ちゃんと桜を見るのは初めてかもしれない」 「あ、そっか。去年はなんだかんだバタバタしてて、ゆっくり桜見物なんて出来なかったもんな」 「うん。……夜に咲く桜、すごくきれいだ。気持ちがいいね、悠真」 「うん」  ティルナータはそう言って微笑むと、目を閉じて夜風を吸い込んだ。ちらほらと桜の花びらが舞い落ちる中、そうして風景の中に溶け込むティルナータの姿は幻想的で、とても美しい。  夜空に舞う薄桃色の花弁は、まるで雪のようにも見える。  あの日、ティルナータが空から降ってきたクリスマスイブの夜も、そしてティルナータがエルフォリアへ帰っていったあの日の夜も、空からは白い雪が降っていたものだった。  初めて出会った瞬間も、そして離れ離れになったあの日のことも、俺はよく覚えている。ティルナータは、俺のくすんだ世界に、突然舞い降りてきてくれた天使だ。ティルナータは、俺の人生に鮮やかな色彩を与えてくれた。  ティルナータは、誰かを愛し、愛されることの喜びを教えてくれた。  出会いと別れの意味と、その重みを、教えてくれた。  ティルナータは、俺の全てだ。  これからもずっと……。 「ティル」 「ん?」 「明日さ、隣町で桜祭りっていうのがあるんだけど、行ってみる? 学生の頃、手伝いに駆り出されて行ったことがあるんだ。小さいお祭だけど、屋台とかも出るし、神楽も見れるんだよ」 「へぇ、行ってみたい! 楽しそうだな、悠真」 「食い過ぎんなよ。ティルはほっとくとあちこっちで食いもんもらってくるからなぁ」 「試食は甘んじて受けるべきだろう」 「ははっ、すっかり食いしん坊に戻ったな」 「悠真といると、何を食べてても美味しいんだ。それに、どこにいても、すごく楽しい」 「そ、そうか。ふへっ、俺も」 「幸せだよ、すごく。悠真と一緒にいられて、すごく幸せだ」 「ティル……」  ティルナータは立ち止まり、伸び上がって俺にキスをしてくれた。とっさに周りを見てみたけど、辺りには誰もいない。俺がホッとしていると、ティルナータはいたずらっぽく笑いながら、俺にギュッと抱きついてきた。 「……好きだよ、ティル。これからは、ずっと一緒にいよう」  俺はティルナータを抱き返して、柔らかな髪に頬ずりをした。薄桃色の花弁の舞い散る中、ぎゅっとティルナータを抱きしめる。  俺たちを包み込む花冷えの夜風が、ふわりと優しく、俺たちのそばを吹き抜けていく。  時空(とき)を超えて、俺たちはようやく、穏やかな場所を見つけた。何にも隔てられることなく、共に生きることのできるあたたかい場所を。  この世界で、新しい物語をつくっていこう。  俺たちにしか紡げない、しあわせな物語を。 『ロスト・ナイト ーLost knightー』 ・  終

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