イラスト投稿のコメント欄?には字数制限があるんですね…

ツイッタで描いてた二次イラストに、ごいちさんがSSをつけて下さったのです。

お蔵にするのが勿体ないのでこちらに格納させてもらいます。

小説投稿の方が良いのだろうか、でも…と心は千々に乱れつつ。

 

 

 

 

木々の間から零れる月明かりだけを頼りに、男は道とも言えぬ獣道を進んでいた。


山に登り始めたのは早朝だった。
神主であった父が亡くなったため、男は供物を抱えて禁足の山へと足を踏み入れたのだ。
年に一度の大例祭の日、ダムの開発で水底に沈んだ社の元へ、供物をささげるためだった。

 

詣でるものを失った山は、人間を拒んでいるかのようだ。
道に迷ううちに日は暮れ、進むべき方向ももはやわからない。
それでも突き動かされるように男は足を進めていた。

ふと、耳に馴染んだお囃子の音が聞こえた気がして、男は頭を巡らせた。
空耳かと思われたが、確かに笛や鈴の音がする。

男は足をそちらに向けた。

 

かつて男の一族は水辺に近い場所に建てられた稲荷の社を祀ってきた。
洪水からも日照りからも村を守ってきてくれた社は、しかし父の代で水の底に沈んでしまった。
人間の豊かな生活を支えるため、電力を供給するダムの一部となったのだ。
手前勝手な人間たちの振舞いを、山の神は祟ることもなく受け入れてくれたように思える。
父は年に一度山を訪れ、供物を捧げて感謝を示し、神の怒りを鎮めてきた。
代替わりした今は男がその役目を担う番だった。

 

草を掻き分けて獣道を進んでいくほどに、お囃子の音ははっきりしてきた。
華やかな祭囃子だ。楽し気な笛、軽やかな鈴、腹に響く太鼓の音。一体何者がこれを奏でているのか。
額の汗を拭いながら、男は坂を上り切る。

――突然視界が開けて、男の足元に悠々とした水面が広がった。

男は思わず息を呑んだ。
天上の月と星が、黒い水面にきらきらと輝いていた。それだけではない。
赤々とした提灯と、その灯りに照らされる無数の鳥居が、水の底を奥へ奥へと続いていた。
祭囃子はその奥から流れてくるのだ。

 

まるで異世界への入り口のようだ。

呆然と水際に立ち尽くしていた男は、手に持った供物の存在を思い出した。
慌てて簡素な台を設え、そこへ持ってきた捧げものを広げる。

銚子に神酒を満たし、土からの恵みを並べた。

手に持ってきた鈴を鳴らし、柏手を打つ。

静かな山間の湖面に手を打つ音が心地よく響き、水面を揺らめかせる。

 

――と、水底の鳥居の奥から、何かが浮かび上がってきた。
それは、一対の人魚だった。

黒と白の、神聖な姿を持った一対の人魚は、まるで神社の駒狐が水の底で魚体を得たかのようだ。

長い髪が水面に揺らめき、白い上半身が緩やかに舞い、幾重にも重なった豪奢な尾鰭が水滴を跳ね上げる。
祭囃子はいつの間にか神楽の音に変わっていた。
幽玄な楽の音に合わせて、二尾一対の神の化身が輝く背びれを翻して舞を舞う。
その姿の美しさ、厳かさに男は目を離せなくなった。

 

――供物を捧げよ。

 

頭の奥に、神の声が響いた気がした。男は台の上に広げた供物を一つずつ水の中へ沈めていった。
米、青菜、果実…供物が一つ沈むたびに、一対の人魚は寿ぐように尾鰭を揺らめかせた。
なんと美しいのだろう。

男は魅せられたように、持ってきたものを一つずつ沈めていく。

最後に銚子に入った神酒を注ぐと、人魚の笑みが濃くなった気がした。

神々しいのに、どこか蠱惑的にも見える笑みだ。
銚子を逆さにして最後の一滴まで注ぎきる。持ってきた供物はこれですべてだった。
人魚は舞をやめ、水底から男をじっと見つめている。――もう、終わりかと。

もう一度、あの舞を見たいと男は願った。

この世の憂さを全て忘れ去らせるような、引き込まれるような見事な舞。
だが、人魚は供物なしでは踊ろうとしない。供物に捧げることができるものは、もう一つしか残っていなかった。

 

――もっと近くで、あの見事な舞を…。

 

台に両手を突いて、男は迷いもなく身を乗り出した。

誰も訪れぬ山奥の静かな湖面に、コポリと微かな音が立ち、泡が一つ浮かんで消えた――。

 

 

(了)

 

※改行体裁は豚子に拠ります、おかしなところは見逃してください