初めまして。

初めまして、猫田タムと申します。

ボブ・ディランを敬愛している社会人です。

fujossyさんに別アカウントがあるのですが、分けてここで新たに投稿させていただいています。

 

以前、二作品連載していたのですが、心機一転して作品を公開したいと思い、その二作品を非公開にさせていただきました。

ブクマしてくださったり、リアクションやしおりを挟んでくださった方は、申し訳ありません。

その中で、「運命だって言ってみろ」は今後、「吠えない犬は運命を謳う」として大幅に改稿し、掲載していくつもりでいます。

もしよろしければ、こちらをお読みいただけましたらうれしく思います。

 

こちらのアカウントでは、現在「天馬×村岡」というカプの小説を載せています。

天馬はトラウマを抱えた優しい私立探偵のおじさん、村岡は呪いを掛けられた、気が弱い司書(またはウリ専)の青年です。

この二人以外の作品も、のちのちは掲載できたらいいなと思っています。

 

こちら(fujossy)に載せる作品は、別サイトでも連載中です。

「吠えない犬は運命を謳う」はもう完結した作品ですので、更新は早いかと思います。

「愛しい明日の見つけ方」は現在連載中です。

 

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多くの方と同じように、わたしも小説を読んでいただくこと、評価していただくこと、ご感想をいただくことが好きです。

それが元気の源なのです。

でも、わたしが評価されたがっているのは、きっと自小説の村岡君のように、自己肯定感が低いからなのです。

誰かに「いい」と言ってもらえないと、自分で自分を認めることができないと気がついていました。

 

大学時代にお世話になった、尊敬している恩師と、わたしが小説を書いている話になりました。

恩師は「書きたいという気持ちが自然にわいてきて、書くのはいいね」と言ってくださり、ある小説のエピソードを教えてくださりました。

中学生の主人公が、不良だけれども自己一致(思いと行動が一致)している上級生たちに憧れて、精神的に成長していくという小説です。

上級生は不良ですが、詩を書いています。ある日、主人公は上級生に「詩を書いてどうするのですか?」と尋ねました。

上級生はその質問に非常に驚き、少しの間の後、

「海に捨てるんじゃ」

と答えました。

 

「気がついたことをメモしておいて、あとで読み返したときに、このときにこんなことに気がついていたんだと驚くんだ。だから、読者が一人もいなくてもいいと思うよ」

と、恩師は話してくださいました。

 

評価してもらいたくて苦しいときには、ふと恩師の言葉を思いだしています。

その時点ですでに成長していた。だから、海にだって捨てられる。

評価してもらえたらすごくうれしいけど、評価とは別の時空の世界もある。そのことを覚えていたいと思います。

例え読んでくれる人がいなくても、書くことはとても楽しいと、先日初めて気がつきました。

 

お名前は忘れてしまいましたが、あるファッション・デザイナーの方が(世界のデザイナーと肩を並べるほど有名な方です)、「ぼくはこれからもゼロか百かで行く」と言っていました。

そしてそれも、かっこいいなと思うのです。

 

これからのんびり書いていくと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

天馬と村岡のイラストを貼っておきます。

短髪三白眼のほうが受の村岡君です。

 

ふわふわおっとりしたおじさんと、短髪強面の青年の組み合わせが好きです。