【絵の話】BLF アポストロフィーに頬擦り 表紙絵

 ちわわわ~こんちくわ。

 何書くか決めてたけどまた忘れました。

 

 創作は順調どころか15話越えます。20話いかないように頑張りま~す。イきそう。

 創作していると自分の中のことまで発見してしまって、これがさらにわいたんピーポーの気難しさを助長している感。創作の副作用というか嫌でも生きづらいレベルにまで感受性を鍛えられて、素敵な感受性ならいいですけど、ただひたすらに生きづらく疑心暗鬼でネガティブな方向にいってしまってね。まぁ自分が感受性豊かか否かは分かりませんけど。比べようがないので。

 

 今回の創作でひとつ自分のセクシャリティに気付いて、しかしそれを認められずにいて、今度は疑ってさえいる。認めてしまえば様々なところで合点がいくけれども、断言するとなるとやっぱり違うじゃん、ともなる。BLサイトなので求められているのはBL関係のことで、作者のセクシャリティを語るのは生々しく、自分語りではなくあくまで創作の話を求められているのは分かっているのですが自分語りさせろ。語らせろ。ヤらせろ!

 まぁここまで綴ったのでどんなセクシャリティかといえば別にそんな重い話とか少数派の話ではなく最近の若者にありがちな話だと思いますよ、10代後半20代くらいに。30代前半も入るかな。個人的なイメージでは。それでまだ断定できないんですけど、要するに「セックスの完全なる他者化」みたいな。性犯罪は暴行だから別として「セックスは完全に絵空事」みたいな感じですね。だからわたくしの創作の内容が成り立っていた感がありますわ。何か嘘寒い感じ。とってつけたような性欲というか。

 だから親がパコったかどうかなんて話ができて、グロテスクなレベルの下ネタに首突っ込んで面白がって、BLに性欲のないというか性に無頓着な女が出てきて(ジャンル上そういうふうに書いているのもあるけど)、男だけ記号的に欲情している感じになっている。欲情と愛情は両立しないかも分からんね。

 

 この辺りはまた掲載して完結したときあたりに綴るかも分からん。まず自分がそういう傾向にあると分かったときから「いやそんなことはないゾ」と疑ってかかっている自分もいる。認めると、自分はやっぱり悪い意味で浮世離れしていて社会とは上手くフィットして生きていけないんじゃないのか、という不安はまぁありますね。個性的とかではなく、地に足ついてないというか。悪い意味でですわ。むしろ個性云々でいえばありがちで凡庸なタイプです。世の中が発情し過ぎに見えている半分、自分ももしかしたらその発情し過ぎている側のほうなのかも分からない。同時に後者に対して嫌悪感を持ってもいる。かといって前者だった場合は世間から浮いているように思う。性的興味・性的衝動みたいなのは人並みかもしかしたら淡白かも知れないくらいにあるんですけど、やっぱりなんだか他人事なんですよねぇ…未だに親はパコってないし、胎児はビッグバンみたいに腹の中に爆誕してセックスなんてものに騙されてると思ってるんですわな。

 

 

 今回の絵はなんか左の人の髪短くしすぎたなって。イメージ的にはもっともっさりです。髪切ったばっかなんじゃないの。

 


初期


(2019年6月)

加工前


 2018年の9月からわたくしのBL創作はちょっと変わりましたね…といったところで。ファンタジー創作1作目「或る鴉の葬礼」を書き始めたときのことはよく覚えています。からの3作目が「アポストロフィーに頬擦り」。色々なことは当サイト内別コンテンツ・エッセイ「喘ぎ声フェチ。」にて。


 ストーリーが伝記っぽい感じだったので最初の表紙は伝記→学術的(?)→図鑑→標本みたいな感じで、恩カーソルで説明書きが出てくるみたいな構図になっていますが、本の帯とか展示物に添えてある説明書きみたいなのをイメージしたつもりです。
 テーマというほどではないのですがわたくしのこの創作の解釈が、傍にはもういないし触ったりも出来なくなったけど影響されて留めておくことも愛と違うんかって感じなので表紙ではCP相手ほぼ消えてます。左の人が受なのですがわたくしが攻主人公で描くことが多いのもあり比率でいうと圧倒的に攻を表紙に描くことのほうが多い。

 当サイトだと一纏めにされているんで分かりづらいですが個別掲載している他投稿サイトでは多分ファンタジーBLの中では一番お気に入りとかリアクションが多い一作。

 モデルはほぼ三国志の蜀と劉禅、曹操の息子で曹丕の弟・曹植。

2020.2.26