金春村の主人公の名前のこと。 ※ほぼ私記

※震災についての話あり

 

以前記事に書いたのですけれども消してしまって、そのことに関連して東日本大震災から10年経ちましたのでまた思い出して書き直そうと思います。

 先に述べておくと、わたくしは当時北関東にいましたが大した被災はしておりません。また親戚や知人を失ったわけでもありません。

 

 で、本題なのですが、金春村【 https://fujossy.jp/books/20071 】の主人公の名前は陸前高田(りくぜんたかた)咲桜(さくら)といいます。本編は日本モデルのオリジナル設定世界なのですけれども。

 陸前高田といえば岩手県に実在する場所です。岩手県は正直なところわたくしのルーツとして知っている限りはこれという所縁はありませんでした。

 

 

 わたくしは当時、年齢がバレるのちょっと憚れるので伏せるのですが、小・中・高のいずれかの学校にいました。

 壁際に座っていて、年度末ということもあり自習の時間でした。国語のワークでした。それが早く終わって、壁に背を付けてのほほんとしていたために、割かしクラスの中では地震に気付くのが早かったほうだと思います。あの時、すぐ治まるだろうと侮っていたことも覚えていて、だから反応することもないだろうと高を括っていました。何かこう遠くから少しずつ迫ってくるような横揺れだったと記憶しています。

 それからクラスメイトや教科担任の先生も揺れに気付きました。避難訓練で想定されるような揺れより多分大きかったと思います。幅の広い、眩暈に似た横揺れでした。校内放送はなかったように思います。あったのかな、忘れてたらすみませんですわ。ただ外に避難する指示はなく、教科担任が机の下に入るよう言ったことは覚えています。そうでなければ多分クラスメイトの9割が机の下に入るということは多分ないので、自主的に。9割と書いたのは一部、この揺れを面白がって机の中に伏せない人もいました。その時もやっぱり世間がそこまで大事になっているとは思わなくて、「パニックホラー映画で真っ先に死ぬやつじゃん」程度に思っていました。やがて別の組で授業をしていたクラス担任の先生が来て、教室にあった本棚がロッカーの上にあるためにそれを倒しに帰ってきました。その時もまだ揺れているような気がしました。

 震源地はこの建物で、ここで地割れが起こる…そういうイメージでした。

 

 その後のことはよく覚えていません。ただ茨城県の地震だということだけ何となく聞いたような気がします。

 学校がすぐに終わり、携帯電話は繋がらなくて、わたくしはインターネットに繋ぎました。「災害 連絡」で検索したのか忘れましたが、こういうときどうするのかを調べたような気がします。そこで公衆電話なら繋がるかもしれないという情報を得たので、駅前の公衆電話を使い、親と連絡を取りました。一緒に帰っていた子たちがまったく別方向だったのですが、その子を送る話もして、けれど相手の子は別方向だからと遠慮されたような気がします。電車が来るかどうかというところでしたので。

 

 家に帰ると、見慣れない車があり、それはたまたまこの日に兄の車が新しく来たのでした。この満タンに等しいガソリンによって、後日、登校できる者だけ登校しろという学校に行ったのを覚えております。

 

 で、家に帰ると引き出しなんかは開いていました。わたくしの机は汚いのでとにかく積み上げ方式で、それも崩れていましたが、家具が倒れただとか食器が壊れただとかいうことはありませんでした。

 テレビを点けて、やっと世間がどうなっているのか分かりました。津波の映像でした。ヘリコプターからの視点で、車が一台、ドス黒い液体から逃げていく様を覚えています。世界が消されていくという表現はちょっと厨二病っぽいですけれど、上から見た映像はそういう感じでした。周りが田園風景というのもあって、尚更緑色が消えていく感じが、津波に呑まれるというより消されていくように感じました。それで、その逃げていく車がどうなったのかも分からないまま映像が途切れるんですな。

 それから昨日まで家族を探していた子が次の日に家族が亡くなったのを知ってインタビューを受けていたりとか。当時はメディア・マスコミに何となく興味がありましたから、現場を知るためならその残酷性に仕方なしと思っていたのですが、やっぱりきついし、そんな大多数のために家族失ったばかりの人の声を聞くみたいな精神要らないかも知れない。ただ同時に、あの地震でこれくらい亡くなったなんてことも分からないままのらりくらりと暮らすのもなんだかなという感じですわ。この時は、ただメディア・マスコミというものはやりがいみたいなもので、金・給料みたいなことはあまり考えていなかった甘さというか。

 

 からの、自分語りからまた本題に戻すとずっとテレビを観ていたような気がします。様々な地名が読み上げられて、今でも耳に残っていた地名のひとつがこの陸前高田市でした。

 それをキャラクター名に付けるなんて不謹慎だ、被災者でもないクセに、といわれたら肯定するしかないのですけれども、やっぱりわたくしも忘れたくなさがあった。トラウマというほどではないのですけれども、何かしら思うところがあったのでしょうな。海が好きということもあるし。海が好きで、生まれが内陸県で、海の恐怖といえば海水浴中の遭難とかサメとかそういうのばかりで、津波ってものを大して意識していなかったとかそういうのもある。それを一言でまとめて「海にコンプレックスがある」としているのですけれども。

 

 

 わたくしの学校に福島から母校が流されたから転入してきたという子もいたし、震災から1年半くらい経ったところに東北に行く用があったのですが、そこで屋根にブルーシートが掛かっている風景をみたり、前に都内の繁華街でキャッチの人につかまってわたくしは上京者なので生まれ故郷の話になったときにキャッチのお兄さんは福島県で、福島は地味だみたいなことを言われたので、わたくしは食べたことないのですけれども桃が美味しいと聞いていたし、米も美味しいと聞いていたのでそれを有名なことだと勘違いして「福島有名じゃないですか」と言ったら「放射能とか?(原発とか?だったかも)」と言われたことを強く覚えていて、なんというかそういうこともここに忘れたくないけど忘れそうな気がして記す。

 

 ネタにしたというと不謹慎ですが言い方を変えるとモデルにしたモチーフにした事件・事故とかわたくしの中では多くて、わたくしの創作がどう成長するのか、それはわたくしにも分からないし、それがわたくしにとって良いことか悪いことかどちらに転ぶかも分からないのですけれども、わたくしは知ってるんだぞ、忘れないんだぞ、という主張のようでもあり、そこに意味が無くて何も成せなくても、自己顕示ですな。積極的に他害したりするつもりはないのですけれども、表現の自由というものはぶつかり合いですからね。

 わたくしが陸前高田という市名をキャラクター名に故意に用いたことを不快に思ったり、嫌なことを思い出したりということはあると思うんですよ。それはその人の気持ちや正義感の問題だとしても、基因になっていることは違いないし、それをわたくしに攻撃的に打ち明けなければ「やめろ!」とも言えない。

 まぁ陸前高田咲桜は陸前高田市の擬人化キャラクターではないのでそこは同一視できないのですけれども。

 

 ところで、今日、黙祷の時間のときに、「黙祷しても死んだ人は帰ってこない」という発言を耳にしたのですけれども、そのときに、俯瞰すると確かにそうなのだけれども黙祷してぇなってところで、これがというか、その時起こった違和感とか反発心とか疑問みたいなのが自称・無宗教でも抱いてしまう思想というやつか、と気付きました。

 わたくしの場合はネタにしたという言い方はやっぱり避けたいのですけれども、実在する事件や事故をモデル・モチーフにしたことに後ろめたさみたいなものもあるので、その罪悪感から逃れたいこともあり思い出す、みたいなことはあるのですけれども。それで何かを成せるわけではないんですけれども。「風化させない!」みたいな美点を挙げても、下手なことをすれば誤解を植え付けかねませんからね。知らないことのほうがいいこともあると思うんですよ。寝た子を起こすな問題。たとえば、当時は放射能問題の特に福島県から来た人や福島産のものに対してこれという意識はなかったのですが、「ゴイアニア被曝事故」というもので放射能を浴びるとどうなるのかを知ったり、個人的な体質として強迫観念が高まっている今、差別意識を持たないと断言できないんですよ。それが恐ろしいですわ。

 寝た子を起こすな問題についてはわたくしは知っておけと思ってしまう派なのですけれども、差別問題もそうなんですけれど、知らなければ知らないで教えられない・知る機会がないことは仕方ないにしても、教えないでそのままにしたところで別問題で差別意識を持たないとは限りませんからね。それなら知って、差別する理由はないだとか、不要な心配しないようにするとか、そういう対処のやりかたがあると思うんですわ。いうてわたくしもとんでもない差別思想を持っていたりするので偉そうなことはいえんのですけれども。そこに後ろめたさや罪悪感はありますが理屈よりも感情面が強い人間なのですな、きっと。

 

 

 自分が受けた何かしら、損やマイナスや不快感をそのままにするよりかは活かしたい・糧にしたい!というとわたくしがポジティブ人間に見えてしまいますけれどもね。地震や、今で言うと567ですけれども、社会全体の変化という点でわたくしには影響はありましたが、一個人でいえば幸いにもこれという大きな面での影響はなかったわけですけれども。もっとこまごまとして生々しい生活の中で。

 

 とどのつまり何がいいたいのかまとまらないので、自分語りということで。