わいが"春"を見せたるわぃ ※画像記事
桜を見る回。この表記には語弊があるけど本当に桜を(画像で)見る回。
今の日本の風潮で政治思想を語るのはヤベェやつ認定なので触れないが。政治思想語らなくても悪い意味でヤベェやつなんですけれども。
※長い前置きなので飛ばしておk
ただ画像記事やっていいのか分からんから(規約ではなく気持ちの問題で)今度タイタニックが地上波でやるらしいのでタイタニックと絡めた作品紹介記事を紹介
【手前酢味噌】アポストロフィーに頬擦り を紹介
→( https://fujossy.jp/notes/25745 )
URL貼ってもどうせぽまぃらはアクセスしないのをあーしゃ知ってる。何故ならあーしもその類いだから。
要点をまとめる。
・自穀未遂ヒロインからラストは好きピの亡骸を沈むても生きなきゃならんという執着
・生きるとは愛し愛され、愛を身に覚えたときから概念的な死が始まるのかも分からん。
・日常的にパコったり結婚したり一緒に居るだけが愛するということではないのかも分からん。
あーしの性格というか気質的に性的な事柄に興味はあれども色々こじらせて、イキりではなく人を愛せないところがあることを最近自覚したのですわ。気に入らないとかあまり関わりたくないみたいなのはあったも誰のこともそこまでは嫌わないし憎まない反面で誰のこともそこまで執着はしない。この人いいな、推したいなみたいなのはあっても上っ面。それを幼いというのなら幼いかも分からん。未婚だから(わたくしちゃんは幼い)ね、子無しだから(わたくしちゃんは子供だ)ね、と言われ続けて、その言葉に自己分析を阻害されているところはある。「未婚、子無し=半人前」という認識を100持っているわけではないが若干それも拭い去れないし様々な事情と価値観、体質があり、同時に反出生的な思想が無いわけではないのでかえって未婚や子無しの人に対して素晴らしさを覚えてもいる。結婚や出産をめでてぇと思う気持ちもあるにはある。自己矛盾なのか0・1理論ではないのかは知らん。
同性、異性問わずパコりみが湧かないから仕方ないね。かといって〜性愛者みたいなのの自覚と判断ができるほどはっきりしたものではないから20年と数年生きて昨年やっと気付いた。異性に対して恋愛感情は抱けてもパコりたみを抱かないのは実は同性愛者なのかとも思った時期もあったけれども同性相手にもパコりたみを抱かなかったので元々そういう気質なんだなって。
前は同性愛者だから自穀するなんて大袈裟だ、創作をしろ!と思ってたくらい他者に対して今よりずっと薄情だったし、自分がもっと生々しくてしがらみめいた恋愛できなくても創作あるから恋愛要らんと思ってたけど、この気質みたいなのは恋愛だけでなく周りとの個人差+αとして感受性の齟齬が発生するという点で自分大丈夫なんか?と悲観することもままある。
何が言いたいかというと、傍に居てパコらないと女として見られてない、否定されている、という感覚を抱く話を性教育だったり恋バナで聞くわけだが、あーしゃむしろ反対に、パコらないのに一緒に居られることのほうが肯定されていると思ってしまうタイプなだけに、というかここの違いで自分はこの歳になっても性的な事柄に興味はあるのにそこまで積極性持ってないなってことに気付いたし、相手のことを一個人と認識した時に性的な観念抱くの苦手過ぎるんですよね。失礼千万みたいなカンジして。自分の性別に後ろめたさがあるんですね、認めたくなさと。性自認はしっかりありますけれど、何かこう女だ・男だというところに自分は参加しないでいようとするというか。それでいてその方面での被害妄想はたくましいです。まだ実害は何も受けていないのに。
それと性嫌悪の傾向は酷くはないがまぁまぁ持ってます。
だから何というかあれだわな、正直自分が導き出した感想・解釈でいうと人を愛さないとマジでなんかこのままイタいやつってことになるからきっちぃきっちぃきっちぃわだわ。親からの愛情も嬉しい反面で重く感じられちゃってるから。今無職でトバイも十数社落ちてて気難しい偏屈で好きこそものの上手なれといっても創作も鳴かず飛ばずで仮に商業デビューしたとしても人格に問題がある。何も悪くないし誰も悪くないし自分の怠惰の結果気鬱だらけの毎日で、もうどうにもならなくなったら自穀もできなくなっちゃうじゃん、っていう。
ここまで読んでくれた人、これでプギャーと楽しんでくれればいいけど不快になったらすまんやで。いうほど事態は深刻ではないが。創作では読者を不快にさせたいけど作者の人格丸出しにしたこういうトコロではなるたけ不快にさせたくはないものの、かといってエンターテイナーでもいられねぇという。
こんな自分語り広がるか。隙なくても自分語りだからね。
では気を取り直して 桜を(画像で)見る回なりに桜の画像貼るぽょ〜
東京都にある阿佐ヶ谷神明宮まで行ってきたンゴね~
わたくしは結構ここまでの散歩道もここも好きなのですが、神様というのがマジでいるなら相性悪いです。何故なら参拝してからロクなことがないから。でも好きだからついつい行っちゃうんですよ。
馬橋稲荷という神社も近くにあるので寄りました。当サイトにも掲載していた【威鳴祭祀社】( https://fujossy.jp/books/13758 )に茉箸‐まばし-というキャラクターが出てくるのですが、それは馬橋稲荷神社から取ってます。
まずは1枚目。桜ほとんど散ってました。紅葉みたい。尾の長い鳥が結構いました。青を帯びてたのでカワセミ!?ルリビタキ!?と思ったのですが多分光の反射ですね。
境内。能楽殿があります。この日は閉じていました。
桜はほぼ散っていました。加工しまくりのこちら。3種加工がごぜぇますだ。
この中心部にフォーカスがいくようになっているのですがぼかされたところを見るとまぁ散っている様が見えますわ。