明日は平日ですってか~(笑)

本来なら、9月21日の中秋節に書き上げるはずだった

「中秋節的愁容(https://fujossy.jp/books/22533 )」

ですが、決定的に間に合わないとなった時点で「終わればいいじゃん、終われば!」と開き直ってしまい、以来、今日までダラダラ書いております。

そして、まだ終わらない…。

 

そして、気付いてはいけない(?)ことにまで気づいてしまいました…。

 

こんなに長く書いてるけど、「お気に入り」に入れて下さる方が少ない…。

いえいえ、文句などではございません!

そもそも、そんなにドド~ンと大量に「お気に入り」を集める私でもございませんし、普段は、「お気に入り」とかリアクションボタンとか、ほとんど気にしない人なんです。でも、なぜか今回は目についてしまった…。

 

実は、これは持論なので科学的に証明されたわけではありませんが…。

ライトノベルでの「異世界」の流行やら、BL業界(?)での「オメガバース」の潮流やらって、現実社会の問題点を反映していると思うんですよ。

古くは紀貫之が「土佐日記」を書いたとか、近くでは、日本がバカみたいに浮かれたバブル期にアンニュイな村上春樹が降臨したとか、文学と社会の世相というのは必ずリンクするというのは、それ自体は否定されないと思うんですけど。

「異世界」は、先行きの暗い、閉塞感の強い今の日本にあっての現実逃避という意味合いは逃れられないだろうし、「オメガバース」というのは日本の現状にある根深い家族問題を反映していると思うんですよね。

そりゃもう、どちらも「それだけ」では無いと思いますけど…。

どちらも現実から目を逸らすため(※1)の、理想が描かれることによってのカタルシスがあるから、人気なんじゃないかと感じておるのです。

 

で、今回の私の「中秋節」もまた、家族にまつわるお話ですが…。

こういう家族が居て、家族団欒の日に会いますよ~っていう、カタルシスの欠片もない、単純なお話です。

ま、そりゃそんなのを面白いと思って、「お気に入り」にするのは稀有な方たちなんでしょう、と、納得せざるは得ませんが…。

それでも、「上海シリーズ」の部長と主任が、本当の家族になる第一歩のお話としては、私にとっては大事な通過点なので、部長と主任を知ってる人には、ぜひ読んで欲しいな~くらいは思っています(笑)

 

もっというと、「上海シリーズ」そのものが、私自身のカタルシスという側面があるわけでして…。

現実はしんどいけど、あの頃の上海は輝いていた…みたいな♪

それを、自分以外の方に押し付けようということ自体、ドクソ厚かましい話ではあるんですけど(笑)

それでも、誰かがほんのちょっと共感してくれたら嬉しいな、というのが、ここでこうやって自分の書いたものを公開している意味なので、もうこうなったら神頼みに近い気持ちで「お気に入り」が増えないかな~と祈る次第です。

 

多分ね、ここで書いている人たちは、本気でプロの作家を目指している人もいるでしょう。でもその方たちも含めて、「自分の中のモヤモヤが書くことでスッキリする」=「カタルシス」のために書いている方が多いと思うんですよ。だから、私の気持ちは分かって貰えるんじゃないかと…(笑)

だから、どうだという訳じゃないんですけど。良かったら、「上海シリーズ」読んで、部長と主任を好きになってもらえたら、私も救われるな、と思った次第です。

 

(※1)

現実から目を逸らすこと、目を背けることは決して間違いでも、悪い事でもないと思っています。

私自身、創作活動は完全な現実逃避で、これによってなんとか自分の心身の健康を保っているところがあります。とことん現実逃避をして、スッキリしたら、また辛い現実の中で傷付いてボロボロになる、これが「現実」なのでは?と思います♪