ご無沙汰しております。妹のこと。
大変ご無沙汰しております。有平宇佐です。
もっと早くにこちらへご挨拶を書き込むべきでしたが、文章がまとまらず、悲しみのうちに時間が過ぎてしまいました。ご容赦ください。
さて、運営ブログや、Twitterでご存知の方も多いと思いますが、本年2月1日に、妹 柚月美慧(別名義 茅原ゆみ)が永眠致しました。43歳でした。
fujossy様、エクレア編集部様、執筆陣の皆様、fujossyユーザーの皆様には、故人が生前に賜りましたご厚誼に、遺族一同衷心より深謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
妹は7年前から子宮体がんを患っておりました。
病名がわかり、すぐに開腹手術を受けましたが腹膜播種やリンパ節への転移が認められて、すべての病変は取り切れないまま閉腹。その時点でステージ4bと決まり、完治よりも延命を目指した治療を続けて参りました。
年齢が若くて進行が早かったこと、がんのタイプががん肉腫という希少がん(当時。現在は希少がんとは呼ばれていないようです)であったことなど、さまざまなよくない要因が重なるなかでの闘病でしたが、本人はつらい治療にも副作用にもめげず、いつも前向きでした。
はじめは治療をすれば跡形もなく消えたがんが、次第に残るようになり、最終的には消えなくなりました。薬をすべて使い果たし、戦い抜いて、最期は本人の希望で実家に医療用ベッドを置き、往診と訪問看護を受けながら、妹の夫や息子、実家の両親、私や私の家族と一緒に過ごしました。
妹は「みんなにお金は残さないけど、思い出は残す」と言って、私たち家族を連れ、車椅子に乗り点滴と酸素ボンベを背負って近場に一泊旅行もしましたし、根性でネイルサロンにも通い続けました。
好物を存分に食べ、腹の底から笑い、たくさんおしゃべりをして、私たちはとても楽しい時間を過ごしました。
妹は私たち家族一人一人に手紙を書き、「ありがとう。生まれてから死ぬまで、ずっと楽しい人生だった」と何度も言っていました。
最後の日も私のお世話が下手なのを姉妹で一緒に笑いました。訪問看護や診察を受けて過ごし、夜になって春のお花見の計画に笑顔でうなずいて目を閉じ、少し眠って、家族に見守られながら深呼吸をして、そのまま旅立ちました。とても穏やかな笑顔でした。
状況を鑑みて、葬儀は家族葬にて執り行いました。本人の希望で左前の死装束ではなく、結婚式で着た思い出のウェディングドレスを着て、姪(私の娘)に流行りのメイクをしてもらって、棺に納まりました。とても可愛くてきれいな姿でした。
妹は病気がわかってから、死ぬ前にBL作家としてデビューしたい、1冊でいいから紙書籍を出したいと奮闘致しまして、その夢が叶ったのが、こちらで連載させていただいた「恋獄の枷」(電子書籍版エクレア文庫/文庫版ラルーナ文庫)でした。
この作品にかける妹の努力は並々ならぬものでした。勇気を持って果敢にチャレンジを繰り返しました。完成した文庫本を手にした時は、姉妹で泣きながら喜んだことを、今でも覚えています。
がんがなければ、もっとたくさんの作品を書けたかもしれませんが、がんを患ったからこそ、奮起して作家デビューし、執筆に取り組めたようにも思います。本人も「自分が近い将来死ぬと思って、死ぬ気でがんばったら、人生においてひとつくらい夢は叶うんだよ」と言っていました。その通りだろうなと私も思っています。
執筆だけではなく、出版社へお手紙と作品をお送りする営業活動も姉妹でがんばりました。お返事すらいただけないことがほとんどでしたが、ご縁をいただいた出版社様にはいずれも最期まで前向きにお仕事の話をしていただき、本人も励まされて力の限り執筆に取り組みました。各編集部の皆様には、感謝の気持ちでいっぱいです。本当に本当にありがとうございました。
供物香典は固くご辞退申し上げておりますが、もしよろしければ、柚月美慧(茅原ゆみ)の作品を振り返っていただければ、故人にとって何よりの喜びになるかと思います。
年を越す前に、妹のことだけはここに書かなくてはと思って、筆をとりました。
とりとめのない長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
↑病院の待合にて。抗がん剤の準備を待つあいだに原稿を執筆。2021年9月。
↑妹に連れて行ってもらった最後の家族旅行の車中にて。姉妹二人で撮った最後の写真です。2022年1月。
繰り返しになりますが、皆様には大変お世話になりました。ありがとうございました。心より感謝申し上げます。
良い年をお迎えください。
柚月美慧は、私にとって最愛の、世界一可愛い自慢の妹です。