デイリー1位、ありがとうございます

「フタリシオン」今日のデイリーランキングで

1位になっていました!

うれしい!

ありがとうございます。

 

 

「フタリシオン」の裏話コメント、

前後しますが9話から12話まで載せます。

文章が長いので13話以降はまた次回以降、、、。

 

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*第9話「不用品」

なおやは感情を表に出さない人間です。

だから星を見てなおやが素直な感情が顔に出ているのを見つけて

正臣は嬉しく思っていたわけなんですが、

今回はそんな、なおやが思わず言葉を荒げているのが見どころです。

 

因みに、なおやの洋服は正臣よりちょっと劣るもの(安物)と思って描いていて

資料の中にあった襟がついていない服が庶民的なのではと思って着せています。


ズボンも正臣はオーダーメイドで体型に合っているのに対し

なおやは既製品なのでちょっと形が

ダボっとしたいと思っていますがあんまり描けてません、、、。

ズボンの後ろに尾錠というものがついていて腰周りが絞れたみたいなんですが

ベルトがいらないほど調整できるのかどうなのかよく分かりませんでした。

今の所なおやは何にもつけてません。

(尾錠がついていてもベルト通しもサスペンダー用ボタンもついているので

尾錠だけでズボンを調整して履くのは無理だったのかも、、、)

 

 

*第10話「お見合い」

大正時代はモガ・モボという言葉もあったけど、

女性はまだまだ9割和服のようです。

髪型も色々と新しい髪型が流行ってはいたみたいですが

日本髪を束髪という簡易型に変えたというものが多かったのかなあ、、と言う印象。

今見るとほとんど江戸時代みたいに見えるけど、最新のおしゃれだったのでしょう。

 

お見合いの席でも淑子や母は束髪にしました。

淑子は女学生に流行った、髪を半分下ろしている束髪くずし。

お見合いにはカジュアル過ぎたのかもしれませんが、、、その辺の感覚はわかりません。

母は一応束髪の中でも、前髪突き出した庇髪、、、のつもり。

年齢にかかわらず庇髪はしている模様。

 

服装から髪型から、部屋の様子、作法などなど調べてもわからないことだらけです。

想像だけで描いている部分も多いので、

恐らく歴史的にはだいぶ間違っていると思いますが、そこはごめんなさい。

 

*第11話「淑子との契約」

淑子の帯はふくら雀という結び方。

お見合いや結納などのきちんとした場にもふさわしいとの文を見たので

ちょうどいいと思ってこれにしました。

大正か明治くらいの女性の写真にもふくら雀のものがあったので

(ちょっと現代とは形が違うような気もしましたが)

間違ってはいないと思います、、、多分。

 

実は前回、後ろ姿はないのですが、

横から見たシーンで思いっきり文庫に結んでいましたが、

ちょっと普段着過ぎるか?と思い、

前回の絵がふくら雀のリボンに見えなくもないと(いや見えないかも、、、)

今回からは急遽ふくら雀にしました笑

 

*第12話 虚構の宴

結婚式が難しくて、、、色々調べましたが反省だらけ、、、

色々言いたくて長くなります。

挙式は時代ごとの違いや決まり事が多くて難しそうだから、

披露宴にすれば、個人の好みや家ごとに違いもあるだろうし

そこまで格式張らず、自由に描いてもそんなに間違わないだろうと思ったのですが、、、

やっぱり適当はだめですね。

結局、直しに直す羽目になって、迷いに迷って、

描き終わるまでにとても時間がかかってしまいまいした。


初めは淑子の着物を白無垢で描いたのですが、

宴会には白無垢ではなくお色直しして柄物を着るようです。

これは現代の資料からです。(そういえば自分の時もそうだった)


写真の資料からですが、綿帽子もなかった。

そもそも色打掛には角隠し(新婦の頭にのせる箱みたいな被り物)が

妥当なようなので綿帽子から角隠しへも変更。

角隠しは昔の結婚式写真にも結構見られるので大丈夫そうですが

素材が今よりもっと柔らかそうに見えました。


それと色打掛け(羽織みたいに一番上にきるやつ)で描いたのですが、

写真を見る限り明治・大正辺りのどの人も振袖姿で

打掛けを着ているものが見当たりませんでした。


ちなみに白無垢の写真も見当たりませんでした。

神社での結婚式の写真でも柄ものの振袖を着ている写真があったので

あまり白無垢を着なかったのでしょうか??


色打掛も室町とか江戸とかから着ているようなので

文字の資料的には、間違ってはいないと思うのですが

写真には出てこないので、流行などもあって大正では着なかったのかもしれません。

よく分かりません、、、。


あと正臣の紋付羽織袴は現代の資料で描いたのですが

どうやら大正頃は房(おなかの辺のぽんぽん)がないように見えました。

(写真にはみあたらないだけで、歴史上は知りません)

現代ほど大きくはなかったのかもしれません、、、。


袴は仙台平なら縞模様が必要だったのかも。

現代の文ですが、太い縞模様が若い人向けで

細いほど年配の人向けとの記述も、、、。


宴会も、新郎新婦とも和服で、和室で行うというのは

大正の頃にしても古風な感じだったのかもしれません。

このころのステータスは大きな神社で式を挙げ

帝国ホテルで披露宴を行うというものだったそうです。

けっこう洋式が取り入れられ憧れられてたようです。


花嫁さんは和服だけど頭にはベールをつけていたり、

花婿さんは和服と洋装半々くらいな印象でした。


正臣としてはやる気のない結婚式だから、親の言う通りに事が運んだら、

古風になったんだと思っておく、、、。

因みに二階道家は大名(藩主)からの華族、

淑子の家は公家からの華族という設定です。

公家の独特の結婚文化もあったかもしれませんが、そこまでは到底、、、、