「フタリシオン」13話・14話の裏話

pixivなど他のところでアップした物語の裏話というか

製作時の苦労話をブログにて載せさせていただいております。

 

「フタリシオン」は明治から大正時代の話なので

歴史や文化などを色々と調べてながら、

かなり四苦八苦しながら描いています。

とはいえ分からない事だらけなのでその愚痴なども、、、。

 

よかったらお話と合わせてお楽しみください。

 

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第13話「庭の片隅」

 

今回も言いたいことはたくさんあるのですが、

とりあえず3つ、、、(やっぱり長いです)


1、今回一番困った、大正時代の自動車。

明治時代から自動車は少しずつ輸入され始めたようですが

大正時代でもまだまだ高音の花だったようです。

車の車体価格だけでも高いのに、税金が車体の3倍もかかるとか、

運転できる人が少ないので運転手を雇わないといけないとか、

自家用としては本当にごく一部のお金持ちしか手を出せないものだったようです。

なのでこの頃の自動車は基本的には

営業車(タクシー、乗合バス)などに使うのが一般的だったようです。


華族のお金持ちがどんな車に乗っていたか、、、詳しくは分かりませんでした。

でも1908(明治41)年から、アメリカで初めて組み立てラインで大量に生産されたのが

フォード社のモデルT(T型フォードとよくいわれている)、、、

大正時代にはきっと日本にも多く輸入されていただろうと思われますので

橘さんが乗っている車もそれにしました。

量産して価格はそれまでの車と比べるとかなり安くはなったのですが

その当時の日本にとってはどれほどのものなのでしょうか、、、??

お金持ちがT型フォードだと不似合いなのか、、、?とも思いましたが

当時の感覚は本当に分かりません、、、。


T型フォードの中にも種類があって、屋根も窓もなくて幌がついてるの、

屋根だけついてるの、2人乗りの、などあるようで、その中では一番高いタウンカー、

屋根も窓もある5人乗り(4人かも?)の車にしました。


資料にしたのは1915(大正3)年製のもの。

初めてライトが電気式になったとか、、、

運転がかなり簡単になったとか、、、←前後の年代でずれて勘違いだったらごめんなさい。

 

最後の方のコマの後ろで、橘さんの運転手が

細い棒みたいなのを回しているんですが

これはエンジンをかけているんですね〜

こんなことしてエンジンをかけなくてはいけないなんて大変そうです。

 


2、「サボる」

この言葉、昔もあったのかな~っと一応調べたら

まさに大正8とか9くらいから流行りだした言葉だそうです。

危ない危ない、、、ギリギリの言葉でした。

フランス語の「サボタージュ」を略した言葉とのこと。

舞台設定を大正時代の中でも、もう少し初期を想定していたのに

このセリフで大正8年以降と確定してしまった、、、。


3、大正時代頃の同性愛について、、、

江戸時代、日本は割と同性愛に寛容だったようなのですが、

明治以降、西洋文化が入ってきたせいか

かなり同性愛に否定的なイメージが一般的になったようです(多分、、、)。

同性愛を異常なもの、あるいは精神病などと捉え、

治療が必要だ、などと考える事もあったよう。

なおやもこの一般論の中で生きているので自分に否定的だし、

決して、正臣と添い遂げようなどとは考えない訳です。


一方で、上手く説明できないのですが

九州(薩摩?)の方では昔から若者の同性愛的な付き合いを

肯定する文化があったようで(武士の間だけかもしれませんが)

若い男が女性と付き合う方が軟派というか不埒なものという感じなのでしょうか、、、

東京でも学生寮などでは九州文化の流れなのか、江戸からの文化なのか

男同士で付き合うこともよくあった事のようなのです。

それはあくまで結婚前までの話だとは思うのですが、、、。

そいういった文化に触れた正臣は、

自分の事をそこまで否定せずに、

なおやとの事を何とかしたいという考えに至っています。

 

 

第14話「拙い企み」


二階堂家の使用人について、、、

二階堂家は10人程の使用人がいて

女中が7人くらい、男性は2人という想定。

女中は奥女中という家族の身の回りの世話を主にする人と、

炊事洗濯掃除などをする下女がいます。


格が下の貴族の娘が嫁入り修行的に奉公に来ることもあり

結婚が決まると辞めたり、

普通に仕事がきつくて辞めたり、

けっこう入れ替わりは激しかったようです。


またこの頃は女中がいるのが一般家庭でも普通だったようです。

家事が大変だったからかな?

江戸時代からの風習もあったかもしれません。


男性陣は家令の佐久間さん(今は名前だけ出ている)となおやの二人。

他には馬丁兼馭者が一人出入りしていて

(二階堂家には馬車があって馬も飼っている)、

庭師も2か月に一回くらい来ています。


家令というのは使用人の監督も仕事ですが、

主な仕事は家が旧領地などに持つ不動産資産を管理する仕事。

使用人といっても、社員的な位置の人のようです。

どのくらいの規模の事をやっているのかさっぱり分からなくて

とりあえず二階堂家には一人置いてみました。


家令、家扶、家従、家丁と

明治時代は家職の区別が法律で決まっていたようですが

大正時代にはもう廃止されていて

各家ごとのやり方、きまりでやっていたようです。


なおやを敢えていうなら家丁、、、?

というか下男というところでしょうか、、、。

使用人中で一番下っ端です。