フタリシオン 17・18話の裏話

pixivなどで載せた、「フタリシオン」の解説というか

裏話・苦労話を再掲しています。

今回は17・18話です。

 

マンガと合わせてみていだければ

色々と発見がある、、、かも。

 

再掲はこれでお終いです。

次からはマンガの更新に合わせて

このブログの裏話もアップしていきたいと思います。

 

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第17話「強い母」


今回の話は元々は描いてなかったのですが

急遽付け足すことにしてラフから描きました。


この物語の中で気にしつつも嘘ついている部分が2つありまして

それがなおやの長い髪型と

親子二人で一緒に奉公してるという事。

それはありえないんじゃないか、、、と思いつつ描いているので

言い訳がしたくなったといいますか、、、。


でもそのために今回も色んな疑問が出てしまい

毎度のことですが描くのに苦労しました。

以下愚痴ですので、、、。


*髪型

明治時代の後期の話となるので

なおやの母トミは古風な江戸時代の丸髷を元にしました。

髷っていろいろ種類があり過ぎて丸髷であってるのかもわかりません。


髪結いとかがいるわけではなく自分たちで結ってるので

けっこう崩れてる、というていです。

明治の田舎とはいえこの頃には髷を結うのはさすがに古風なのかも?

年寄りじみたというか、、、

当時の感覚はわかりませんが。


*服装

農家の詳しい服はわかりませんがとにかく写真を見て、、、のものです。

黒い襟が汚れ防止なのかと思って描いたのですが

よく見ると農家の人はそんな事やってませんでした。

街の人の写真だったのか、、、?

縞とか模様があると何となくそれっぽく見えるかなあ~。


帯の縛り方もよく分かりませんでしたが、吉弥結びと貝の口というのにしました。

半幅帯の庶民の一般的な、、、ものなのかな、、、?


*士族

なおやの家は士族です。

士族は明治時代に職を失うと商売を始めた人も多いようですが

上手くいかないことも多く、政府は開拓も奨励したようです。


なおやの家は、祖父たちが仲間で畑を開拓して

農家として耕作に精を出している、という士族です。

それで上手くいった例もありますが(静岡県牧之原のお茶がうまくいった例らしい)、

慣れない労働にかなり苦労した人が多かったようです。


その人たちがどのくらい士族の矜持を持っていたのか分かりませんが

なおやの家は割と頭が固く古風で、トミもその血を受け継ぎ、

ちょっと古風な(頑固な?)強い女性として描いてます。


けれどもそんな頑固なトミでも

なおやのために命を掛け、ちょっとずるくもなり、、、。

言葉には出さないけど、やはり一番大事なのはなおやなのです、、、

ということが伝わればうれしい、、、。


*三河弁

なおやの家は江戸住みの家臣だったので

明治維新後ももとの領地(三河国という設定)には帰らず

関東周辺で未開の土地を開拓した、、、という設定です。

なので、部落の仲間は三河弁(愛知の方言)なのですが

開拓し住んでいるのは関東のどこか、という設定です。

すごい分かりにくいですよね、、、いろいろ考え過ぎなのかも。すみません。


三河弁が正しいかどうかもちょっと心配。

ちなみに「やっとかめ」は久しぶり、

「おそがい」は怖い、という意味。欄外に書けばよかったかも。


*薪割り

明治後期くらいから、ガス灯だとかガスコンロだとか、

ガスのお風呂とか家庭にも出始めてたようですが、

まだ二階堂家の煮炊きや風呂に薪が必要ということにし、

この時のなおやの仕事は薪割りの比重が大きいです。


大人になって大正時代のなおやは

もう夏はあまり薪割りをしていません。冬のみ暖炉用にやってます。

フシがあるとなかなか割れなかった気がする。

たくさんあるからかなりの重労働。子供にできるのかな?

源三じいさん(ここしか出てこない)が何だかんだ助けてやってんだろうな。


*昔の田舎の子は、ほとんど遠出をしたこともなく、

正月に歩いて親戚の家に行くのが唯一くらいのお出掛けだったと

旦那のお母さんに聞いたことがあります。

親戚に話しかけられても恥ずかしくて母親の着物に隠れていたとか。


二階堂家に初めて来た時のなおやも恥ずかしくてほとんど口が聞けずに

母の横に座っているだけです、、、。


小学校についてや、スーツや、結核については長くなるのでまた次回。

 

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第18話「小さな灯り」

 

読んで頂きありがとうございます。

玩具とか絵本とか調べれば良かったんだけど

今回はイメージだけで描いてしまいました。確認するのが怖い…。


なおやがたどたどしく本を読むのを

小さい正臣は無邪気に笑ってますが、

なおやは家が貧しくて畑などの手伝いをしなければいけなかったので

小学校へほぼ行けてなかったんです。


東京へ来てほとんど初めて学校へ通って少し文字を覚え始めたところ。

授業へはついていけてないと思いますし、

給食は東京ではまだないようですので(大正に入ってから)

お昼の弁当も持っていけていたかどうか、、、。

教科書はまだ有料だったらしく、買えない人はお下がりをもらうか

なければ隣の人に見せてもらうか?

学校へ行けていたとしてもなかなかしんどい思いもしていたんだろうなあと思います。

しかも早朝や学校から帰ってから夜遅くまで働いているんですね。

それでも働いても食うや食わずの生活よりは

三食付きなのでまだ良いのかもしれませんが。


ちなみに女中部屋は2階にありますが

下男の部屋は3階の屋根裏部屋みたいなところにある設定。

おなやが寝ようと思って上がってきたら正臣が廊下にいたという感じなのです。


就学率は、明治末期でも9割くらい、大正になるとほぼ100%のようなのですが

実は入学しても卒業するのは8割くらいだったり、

家業手伝い・子守りなどで学校へ実際には行っていなかった、

あるいは休みがちだった子供は結構いたみたいです。


農家が多い地方の場合、収穫時など忙しい時期になると

子供たちがみんな休まなくてはいけないので

地方によって学校がお休みになったりしたそうです。

今とは随分違っていますね、、、。