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第7話

「お疲れ様でした、明日もよろしくお願いします。」 そう言ってドアを閉めると、優は小さく息を吐いた。 春日の前で平静を装うことができただろうか、顔は引き攣っつていなかっただろうか。 今日は全くもって最悪な1日だった。 原因は言わずもがな、春日の息子である崇である。 崇はあの後、部屋に荷物を置きに行くと速やかにバックヤードに戻ってきて着替えを始めた。 手伝うと言っていたのでそれは想定内だったのだが、崇はなんと春日の代わりに「俺が教えておきますよ、春日さんは開店準備を初めていてください。」と言いだした。 何となく嫌な予感がしたので春日に「助けて」とアイコンタクトを送ったのだが春日はそれを崇に教えて貰いたいと完全に勘違いして「ふふ、そっか・・・わかった。」と意味深な笑だけ残してホールへ出ていった。 崇と二人っきりになってしまった優は完全に蛇に睨まれた蛙状態で微動だにせずにいると、崇はゆっくりと優に近づいて来た。 それはまるで獲物に今にも襲いかからんとしている野生動物のようで本当に怖かった。 「お前、春日さんに迷惑かけやがったら2度と外出歩けない体にしてやるからな。」 そう言われた時に、優は自分が気絶せず立っていられることに驚いた。 その後も無言の圧力をかけられながら一通り説明をうけた。 こんなに精神的ダメージを受けたのはゴリンボブと呼ばれていた関取のような女の子に3年間毎日、欠かさず15枚のラブレターを貰っていた中学時代以来である。 彼女は悪い子ではないが、手紙の内容が非常に重い上に読まないと癇癪を起こす。 しかしその件も3年間トータルして今日1日の精神的ダメージと同等のものだ。 それ程今日優が受けた精神的ダメージは大きなものである。 春日には嫌いにならないでと言われているが、嫌いになるというより既に苦手だ。 携帯電話の画面をタップし、アプリを起動させる。 『お悩み解決悩みーるん♪ナヤマルさんこんばんは。』 可愛らしい黒猫が噴き出しの言葉と連動してくるりと回る。 その可愛らしいアバターにほっこりと癒されながらホームをタップする。 『悩マル』というそのアプリは“悩めるアニマル”の略称で、好きな動物を選択して着せ替えやミニゲームがあったりと楽しい機能が満載である。 しかし、本来の悩マルは『交換日記』という機能を使ってアバター名で相談や悩み、愚痴を書き込みそれを励ましあうというものだ。 逆に良い事を書いて幸せを共有することもできる。 交換日記と言っても特定の誰かへ当てたものではなく書き込むとそれを読んだ人がアドバイスや共感してくれるものだ。 優は『うさリンゴ』というアバター名を使っている。 名前の由来は、優の得意なことが林檎のウサギ剥きだからだ。 理由が安直すぎるとは優も思ったが、他にいい名前が思いつかなかった。 ログインボーナスを受け取って、マイルームの交換日記をタップする。 「・・・あ、雫(しずく)さんからコメントきてる。」 『好きな人を忘れられない』という交換日記のコメントに、雫というネームプレートを下げた三毛猫が現れる。 そのコメントに思わず笑んでしまう。 『そのままでいい。』 シンプルで不器用な一行、だけどそこには雫なりの優しさがあるのだと知っている。 雫は悩マルを初めて直ぐにコメントをしてくれた人である。 最初はその短い言葉に戸惑ったが今では雫がその一行の為に数十分、時には数時間悩んで書いた言葉だと知っている。 雫の下に表示された白兎のネームプレートには兎月(とずき)と書かれている。 兎月もまた、雫と同様で優が悩マルを初めてすぐの頃にコメントをしてくれた人だ。 相変わらず長文だが、こちらも真剣に考えてくれていることが伝わってくる。 コメント欄をひと通り読み終わる頃にはやさぐれた心も少し収まっていた。 しかし、まだ悲しいので交換日記に書き込む。 『新しい職場の1日目、とても怖い先輩に目をつけられずっと無言の圧力をかけられ続けた。嫌いじゃないし、真面目なのはわかるけど疲れたし悲しかった(><)』 そう打ち込んで交換日記を閉じると、幾分か気持ちが楽になった。

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