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誓約

「ん……。」 瞼の向こう側の強い光で目覚めた新は、眉間に深い皺を刻みながらなんとか薄く目を開く。 「眩し……っ」 東側の窓に顔を向けていたせいで、開眼一番で太陽とバッチリ目が合ってしまい、開いた目をまたすぐにきつく閉じる。 折角の遮光カーテンも、隙間が空いていては大事な役目を果たすことが出来ない。 「あれ……僕、いつの間に…?」 反対側に頭を振ると、脳が揺さぶられたみたいな眩暈と頭痛に襲われ、気持ち悪さに思わず嘔吐く。 いつもよりかなり早いペースで飲んで、4本目のワインを和臣が開けたところまではなんとか覚えているが、その後の記憶がサッパリない。 いつの間に移動したのか、服はそのままだが、和室の布団に寝かされていた。 「えーっと……?」 なんとか記憶を辿り寄せていると、パタパタと廊下を歩く足音が近づいてきて、音を立てないようにそっと引き戸が開かれる。 「あ、おはよ。目、覚めたか?」 「…ハル…、……っ!」 戸の隙間から顔を覗かせている遥翔の笑顔にホッとし体を起こすと、再び眩暈に襲われ額に手を当てる。 「~~~~っ。」 記憶がなくなるまで飲むことがなかった新は、もしかしてこれが噂の宿酔なんだろうかと、普段の半分も機能していない脳の片隅でぼんやり思う。 「ははっ、完全に宿酔だな。ホラ、水。飲めるか?」 「ん……、ありがと。」 遥翔から水を受け取ると、ゴクゴクと一気に飲み干す。 「和は…?」 「仕事行ったよ。和も朝方まで飲んでたクセに、少し睡眠取っただけでいつもと変わらず仕事に行くんだから凄いよな。あいつ実はロボなんじゃねぇ?」 遥翔の冗談に力なく笑いながら、いつもなら介抱する側の自分が介抱されてしまったことを情けなく思う。 「…ごめんね、世話かけちゃって。」 「別に、世話だなんて思ってねぇよ。新を運んだの、和だし。俺は布団敷いただけ。」 「それじゃ充分世話かけちゃってるよ。ホントごめんね……潰れるまで飲むつもりじゃなかったんだけど…。」 「いーじゃん、そんな日があっても。宅飲みだし、俺達だけだし。誰にも迷惑かけてねぇしさ。」 「ハルと和に迷惑かけちゃったよ。」 「だーから、迷惑だなんて思ってねぇって。俺も、和も。むしろいっつも迷惑かけてんのは俺達のほうなんだからさ、今回は俺達が新のこと世話してやれたって嬉しかったんだぜ?」 「ハル……。」 昔から、3人で飲む時は必ず新が遥翔を家まで送り届けた。 家が隣だというのもあるが、いつもは世話焼きでしっかり者の遥翔が、酔うと子供みたいに甘えてくるのが可愛かった。 自分を信頼してくれているのだというのが実感できる瞬間でもあり、嬉しかった。 それも、香織が一緒の時は問答無用で新が香織の世話をする事になるのだが、それでも新は遥翔の事も介抱してやりたかったのだ。 けれどいつもいつも、遥翔は何故か和臣の側を離れようとしない。 一緒に帰ろうと言っても、邪魔しちゃ悪いからとか、もう少し飲みたいからとか、何かしら理由をつけては和臣に助けを求めるような仕草をした。 遥翔は俺に任せてくれていいからと言う和臣に、新はそれ以上食い下がれる理由を持っていなかった。 香織という恋人がいながら、新は心のどこかで和臣を羨ましく思う気持ちがある事にずっと後ろめたさを感じ、それが嫉妬という感情なのだろうということもわかっていた。 大抵いつも4人一緒で、性別など関係なく幼馴染みという絆で繋がっていたのに、新と香織が恋人という関係に変わった事で、いつしか輪に歪みが出来始めた事に気づかない者はいなかった。 けれど、それに気づかないフリをしていたのだ。 誰も4人が分裂する事など、望んでいなかった。 「あーあ、こんなとこに寝癖つけて…。せっかくの男前が台無し。」 四方から横にぴょこんと跳ねた新の髪を、クスクス笑いながら指で梳いていく。 「……久しぶりだな、こうしておまえの寝癖直してやるの。」 朝が弱い新を起こすのは遥翔の役目だった。 母親が何度起こしても起きないのに、遥翔が起こすと新は一度で目を覚ました。 硬い髪質の新はすぐ寝癖がついてしまい、それを直してやるのも遥翔の役目だった。 それも、香織が恋人になってからは御役御免になってしまったが……。 ふと、新の視線を感じ目をやると、真っ直ぐ自分を見つめる焦茶色の瞳に捕まる。 「……新……?……っ!」 どうした、と聞く前に腕を引っ張られ、新に抱きすくめられる。 「………。」 新は何も言わず、ただ遥翔を強く抱き締めた。 遥翔は突然の事に戸惑いながらも、新から逃げようとか、突き飛ばすという気は一切なかった。 それは、遥翔が新に捨て切れない恋心を抱いているから、という理由だけではなかった。 むしろ、それは理由の一つにさえ成りえなかったのかもしれない。 遥翔は抱き締められた瞬間、わかったのだ。 新が声を殺して泣いている事が。 (新……。) 小さく震える新の背中にそっと両腕を回し、抱き締めながら遥翔は安堵した。 やっと、やっと泣いてくれた。 香織が逝ってから、一粒の涙も零さなかった新が、ようやく張り詰めていた糸を切ってくれた。 痛いくらい抱き締めてくる新を、遥翔はいつも自分が新にそうしてもらっているように、頭や背中を優しく撫でた。 「ふ……っ、ぅ……っ」 時折子供をあやすように背中をポンポンと叩いてやると、それに促されるかのように新はますます肩を震わせた。 ───どのくらいそうしていただろう。 遥翔を抱き締めていた腕の力がふいに緩んだ。 「新……?」 そっと体を離すと、頬に幾筋もの涙の跡をつけた新が泣き疲れて眠っていた。 その顔が穏やかなことに遥翔はホッと溜め息を吐き、起こさないようにそっと布団へ寝かせる。 まだ目頭に残った涙をそっと拭いながら頬を撫でると、愛おしいと思う気持ちが泉のように溢れ出てしまう。 (新……新…、ごめん、俺やっぱり、おまえが好きだ。おまえがこれからもずっと香織のこと愛しててもいい。俺のこと好きになってくれなくてもいい。いつかまた別の女性を好きになる時が来ても、それでもいい…。だから、好きでいさせてくれ……。想うだけなら、いいよな…?) 泣きそうになるのを必死に堪え、遥翔は新に顔を近づけた。 (寝てる相手に卑怯だってわかってる。けど、もう二度としないから。これが、最初で最後だから…。ごめん、ごめんな、新…。) 新の唇に、そっと自分の唇を重ねる。 「……っ。」 想像以上の柔らかさに、遥翔の胸が痛いくらい跳ねる。 ゆっくりと唇を離すと同時に、新の頬に一滴の雫が落ちた。 「ん…」 微かに揺れた瞼に慌てて体を離し、また落ちないように急いで涙を拭いた。 ドクンドクンと心臓が早鐘を鳴らす。 新は少しだけ身動ぐと、またすぐに規則正しい寝息を立て始めた。 (新……好きだよ。ごめん、次に目が覚めるまでに、いつもの俺に戻るから…!) 涙で滲む新の寝顔に誓い、遥翔はそっと部屋を出た。

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