9 / 25
高鳴
「遥翔、今日はカウンターに入って、俺のサポート頼む。」
「わかりました。」
『Attrait』は、カウンター6席とテーブル席が7席ある。
昼間は食事メインだが、夕方はティータイム、夜はバーとして利用する客も多く、カウンターにはズラリと酒が並び、ビールサーバー、エスプレッソマシン、ワインセラーも備えてある。
コウは怪我が完治するまではカウンターでドリンクやつまみなど、あまり体を動かさなくても出来る仕事だけやっているが、やはり片手では不便なことが多く、日替わりでスタッフがサポートに入っている。
遥翔はこの一ヶ月、主にキッチンで調理をしていたのでカウンターに入るのは今日が初めてだった。
「やぁ、こんにちは。」
カウンターの説明を一通り聞き終わった頃、後ろから声を掛けられ振り返ると、そこには長身の男が立っていた。
「ウィル!おまえ、なんで…帰ってくるの明日じゃなかったか?」
「早く帰りたくて大急ぎで仕事片付けたら一日早く終わったんだ。」
「それならそうと連絡しろよ!」
「驚かせたくてね。それに、今から一度社に戻らなきゃいけないんだ。オープン前に来ちゃって申し訳ないんだけどランチのテイクアウトお願い出来るかな。」
「あ、ああ、ちょっと待ってろ。」
「ところで、彼は新人さんかな?」
親しそうな2人を見て、コウさんの友人かな?と思いながら見ていると、ウィルと呼ばれた男に声を掛けられる。
「そっか。遥翔は初めてだよな。」
「あ、はい。」
イタリアで外国人男性には嫌というくらい耐性がついたつもりでいたが、目の前にいるこのウィルという男は別格だった。
190cm近くあるであろう長身、広い肩幅、長い脚、高い鼻梁、肉厚な唇、意志の強そうな瞳は見つめられたら吸い込まれてしまいそうだ。
「はじめまして、高瀬ウィリアム遼です。先に言ってしまうとアメリカと日本のハーフだよ。」
「はっ、はじめまして!倉持遥翔です!」
「遥翔は入ってまだ一ヶ月なんだけど、仕事覚え早くてさ、今日から正式採用になったんだ。」
「へぇ!凄いね。」
あまりに完璧な見た目とは裏腹に、ウィルはとても物腰の柔らかい話し方をするおかげで威圧感がない。
「遥翔、悪いけどキッチンにウィルのランチって伝えて来てくれるか?言えばわかるから。」
「わかりました。」
言われた通り遥翔はキッチンスタッフにランチのことを伝え、カウンターへ戻ろうと廊下を曲がりかけた時。
「ちょ、コラ、ウィル……ッ、んっ!」
「少しだけ。仕事に行く前にコウを補充させて。」
「んぅ…っ、だ、めだって…、遥翔が、んっ、戻って…は、ぁ…くる、から…っ!」
(うわぁー!うわぁー!)
廊下の影に隠れ、遥翔は声が出そうになるのを必死に堪えた。
カウンターの死角になる場所で、コウを壁に押し付けるようにしながらウィルに抱きすくめられ、コウの額や鼻や頬、そして唇にキスの雨を降らせている。
コウも決して背が低いわけではないし、華奢なわけではないが、相手がウィルだとその体はすっぽり収まってしまう。
後ろから見たらウィルの体でコウがすっかり隠れてしまうし、ウィルもそれを計算しての事だったのだろうが、2人とも見える位置に出てしまった遥翔は偶然ベストポジションに位置してしまったのである。
「も…こんなキス、すんなよ…っ、ん、したく、なっちまうだろ…っ!」
文句を言いながらコウはウィルの胸元を両手でギュッと掴み、差し出された舌に自らの舌を絡ませ、熱い吐息を吐く。
普段のコウとはまるで違う様に、遥翔の鼓動はどんどん速くなっていく。
「今日はこの後書類提出したら帰れるから、仕事が終わる頃迎えに来るよ。上と俺の家とどっちがいい?」
「なんだよ、随分ヨユーじゃん。おまえん家行くまでなんて我慢出来るか!1ヶ月分溜まってんだからな……ん…っ!」
「ん…今夜は寝かせないから、コウも覚悟して。」
唇が離れるか離れないかの距離感を保ちながら、キス交じりに会話が交わされる。
イタリアでもゲイの友達はいたし、目の前でキスされる事なんて日常茶飯事だったけど、こんな濃厚なのを生で見るのは初めてだ。
「あーあー、またあの2人は…。」
「っ!?」
突然後ろから声がして、遥翔は声にならない声を出した。
「ヒッ、ヒロキさん…!」
「ごめんね、ビックリしたよね。まぁ見ての通りあの2人恋人同士なんだよね。あんまり店でイチャつくなって言ってあるんだけど、誰も見てないと思っての事だろうし、一ヶ月ぶりの逢瀬だから大目に見てやって。あ、ちなみにうちのスタッフはみんな知ってるから、内緒にしなくて大丈夫だよ。」
「…は、はい…。」
たった10分の間にこんなに色々驚いたのは初めてで、遥翔は胸のドキドキが治まるまで何度も深呼吸を繰り返した。
なんだかカウンターに戻るのも気が引けてしまい、遥翔は「ウィルのランチ」が出来上がるまでキッチンで待機し、紙袋を持って戻る頃にはウィルはカウンター席でミルクティーを飲んでいた。
「あ、出来た?サンキュー、遥翔。」
遥翔に気づいたコウが、いつもの人懐っこい笑顔を浮かべ、遥翔はホッとした。
いつもオーナーとしてスタッフをまとめ、お客様一人一人に丁寧な接客をし、キリッと背筋の伸びた姿勢は、同じ男として憧れる。
それが、この目の前にいる恋人の前では、頬を上気させ目を潤ませながら、トロトロにされてしまう…。
遥翔はその光景を思い出し、赤面した。
「遥翔?どうした?なんか顔赤いけど…、具合悪いのか?」
「い、いえ!違います!ちょっと暑くて…。」
「そう?なら、いいけど…。体調悪い時は無理しないですぐ言えよ?」
「はい、大丈夫です。」
「さて、俺はそろそろ行くよ。ミルクティーごちそうさま。今日も美味しかったよ。遥翔くん、頑張ってね。」
「あ、はい!ありがとうございます!」
ウィルは遥翔に笑顔を向けると、ランチの入った紙袋を持ち、じゃあまた、と言って店を出て行った。
ともだちにシェアしよう!