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5話

 そうして、晴斗にとって待ち遠しかった金曜日の夜が訪れた。一週間前に訪れたというのに、飲酒店『ナイトムーン』のドアを開ける瞬間、ドキドキしてしまって仕方が無かった。大学の誰かに見られていないか、きょろきょろと辺りを見回した。誰も見知った人がいない事が分かった晴斗は、ほっと一安心しながらも深呼吸をした。 (……よしっ、開けよう)  気持ちを落ち着かせてから、扉に手を掛けるのだった。店内に入ると、一週間前と同じ、様々な種類の酒の匂いが香って、酒に弱い晴斗は酔いしれそうになる。 「やぁこんばんは、晴斗くん」 「こんばんは、月村さん」  人懐っこい笑みを浮かべながら、店員の洋平は晴斗に声を掛けたのだった。晴斗は見知った相手がいる事に、一安心して律儀にぺこりとお辞儀をした。そして、そわそわとしながら、店内をきょろきょろと見回してみると、カウンター席の奥に座っている人物に目に入った。 (愁さんだ……!)  目当ての人物を見つけた晴斗は、ぱぁっと明るい笑顔になる。相変わらず、物静かに座っている様子も絵になるくらいに格好良い。けれど、愁に対して声を掛けようか考えた所で、晴斗は緊張してしまい声が出ない事に気付く。どうしようかとあたふたしていると、愁が振り返って、晴斗の方を見た。口角を上げて悪い笑みを浮かべると、愁は口を開いた。 「俺を買いに来たのか」  すでに予想していたのだろうか、愁は特に驚く様子も無く言ってのけるので、晴斗は羞恥心から顔を紅く染まらせながら、こくりと頷いた。そんな晴斗の様子を、愁は満足げに見つめる。隣に座る様に促してくるので、晴斗は「失礼します」と小声でおずおずと告げながら、カウンター席に座るのだった。 「晴斗くん、何か飲むかい?」 「じゃあ、カルーアミルクをお願いします」 「分かったよ。マスター! カルーアミルクお願いします!」  慣れた様子で洋平が注文を聞き終えると、マスターに告げる。マスターが洗練された職人技でカルーアミルクを作る様子を見つめていると、愁が口を開いた。 「お前、名前何て言うんだ?」 「えっと、俺は在原晴斗って言います」 「そうか、晴斗って呼ばせてもらおう。俺の事も好きに呼んで構わない」 「あ、ありがとうございます」  そういえば、晴斗は愁の名前は名刺を貰ったおかげで知る事が出来たが、対して愁は晴斗の名前を知らなかった事に気付いた。晴斗が自分の名前を告げると、愁はどこか目を細めては、笑むのだった。その姿に見惚れてしまいそうになる晴斗がいた。 「お待たせしました、カルーアミルクになります」  マスターが晴斗の前に、綺麗な細工で出来たグラスに注がれたカルーアミルクを、ことりと置いた。最初に飲んだ時と変わらない綺麗な淡い茶色をしていて、きらきらと煌めいていた。目を輝かせながら、晴斗は「いただきます」と小さく告げると、一口だけ飲んだ。お酒の独特の味わいの中に、甘いまろやかな味が口の中に広がって、飲みやすく感じた。晴斗は、マスターの作る他のカクテルも気になって、今度、来た時に試してみようと考えた。 「前来た時も、飲んでいたな。それが好きなのか?」 「はい、飲みやすくて好きなんです」  美味しそうにカルーアミルクを飲む晴斗を見つめながら、愁が声を掛ける。カルーアミルクを少しだけ飲んだ事で、緊張が解れた晴斗は、ふにゃりと笑いながら受け答えするのだった。一瞬だけ目を瞬かせながらも、すぐに悪い笑みを浮かべた愁は、口角を上げて告げた。 「だから、お前とキスした時、甘い味がしたんだな」  意地悪気に笑いながら告げる愁の言葉に、晴斗は思わず咳き込みそうになった。突然、そんな事言われると思っていなかった晴斗は、最初に愁とキスした時のことを思い出してしまい、思わず顔を紅く染まらせてしまう。 「こらこら、そんなに晴斗くんをいじめちゃだめだよ」  そんな慌てふためいている晴斗に対して、助け舟を出すかのように、洋平が酒の肴を持って来ては、二人の前にことりと置いた。酒の肴は、スモークチーズとフライドポテトとチョコレートだ。晴斗は洋平に「ありがとうございます」と告げると、スモークチーズを一つだけ手に取ると食べる。燻製にした香ばしさが口の中に広がり、チーズ特有の濃厚な味に舌鼓を打った。ふと、晴斗は愁が何のカクテルを飲んでいるのかと気になり、ちらりと見やった。愁のグラスには、透明な色をしたものが注がれていた。カクテルではなくて、焼酎か何かだろうかと考えていると、晴斗の視線に気付いた洋平が笑いながら答えた。 「愁はね、お酒が苦手なんだよ」 「おい、洋平。余計な事は言わなくていい」  秘密を教えるかの様に告げる洋平に対して、愁は罰が悪そうな顔を浮かべて嗜める。洋平の言葉に、晴斗は目を瞬かせると、思わずくすりと笑ってしまった 「健康的でいいですね」 「良かったじゃん、健康的だって。愁」 「うるさい」  愁の意外な一面を知る事が出来て、嬉しいと密かに心の中で思ったのだった。そして、二人のやり取りを見ていて、他の客と店員と違い仲が良い事に晴斗は気付くのだった。 「お二人とも、仲良いんですね」 「愁とは高校時代からの友人でね。よく話しているんだ」 「そうだったんですか……!?」  晴斗は愁と洋平の二人の顔を見比べた。愁の方が洋平よりも年上に見えたのは、洋平の顔が童顔と言われるタイプだからだろうか。高校時代からの友人と聞いて目を見開いて、驚いている表情を浮かべている晴斗に、洋平は人懐っこく口を開いた。 「ちなみにね、僕はゲイでタチなんだよ、晴斗くん」 「おい、俺の客に手を出すな」 「分かっているって。横取りしたりなんかしないよ」  彼らにとっていつも通りなのだろうか、軽いやり取りをする二人を見つめていた。特に気にした素振りも無く、突然告げられた洋平の告白に晴斗は目を瞬かせた。同性が好きだと、公言できる洋平が強いと感じて、晴斗は羨ましくもあり憧れを抱いた。 「だからさ。晴斗くんのお友達で、もしも同性が好きな子がいたら、このお店を紹介してね。僕はね、ただいま恋人募集中なんだ」 「わ、分かりました」  明るく笑いながら告げてくる洋平に動揺しながらも、いつか洋平みたいに同性が好きだと告白できる友達が出来たらならば、『ナイトムーン』へ連れて行こうと思った。最も、晴斗にとって大学の友達にすら「同性が好きなのかもしれない」と言えないでいる為、誰も連れて来る事ができないだろうと、少しだけ寂しく思ったのだった。  それから三人で話をしたりしていると時間が過ぎていき、『ナイトムーン』の店を晴斗と愁は後にしたのだった。愁のとっているホテルまで歩いて行く時に、愁は振り返り晴斗に訪ねた。 「今日は、どうされたいんだ」  訊ねた時の愁の空色の瞳が、妖しく煌めいて大人の色気に、晴斗は酔いしれそうになる。蜜に誘われた蝶の様に、晴斗はおずおずとしながらも口を開いた。 「あなたに任せます。あなたに、抱かれたいです」 「そうか」  晴斗の言葉に愁は満足げに頷いた。そして、悪い笑みを浮かべると、晴斗の耳元で低音な声音で囁いた。 「今日は激しく抱いてやる」  欲情を隠しきれない低い声音に、晴斗はどきりと心臓が跳ねそうだった。見る見るうちに、顔を紅く染まらせた晴斗は、愁を熱っぽい視線でじっと見つめると、こくりと頷いたのだった。 *****  愁の宣言通り、金曜日の夜に激しく抱かれた晴斗は、身体は悲鳴を上げていたが、心はとても満たされていた。土曜日は身体が動かずに、夢見心地になりながら一日中家で過ごした。一日中、横になったおかげだろうか、ようやく日曜日には身体が動いたので、猫カフェのバイトに向かったのだった。 そうして、月曜日になり普段通り、大学へ向かったのだった。大学内で友達やサークルの先輩達に挨拶を交わして、講義を受け終わった時の事だった。その日は、いつも通りの日常が始まるのだと晴斗は思っていた。けれど、その期待は裏切られる事になったのだった。 「在原くん」  声を掛けられて振り向くと、そこに立っていたのは富之だった。一度も話した事は無いけれども、大学内では噂になっている大学生。容姿端麗で女子達に好意を抱かれる冷静な性格をしている影島富之。そんな晴斗とは何も接点の無い富之に、声を掛けられるとは思っていなくて目を瞬かせた。 「どうしたの、影島くん?」 「ちょっと君に用があって。……ここじゃ、話せないから後で、ここに来て」 「うん、分かった」  一体、何の用事があるのだろうかと不思議に思っている晴斗は、富之が指定した場所へとやって来たのだった。富之が指定した場所は、他の人が通ったりしない場所だった。 「遅くなってごめん。それで、何の用かな?」  富之は気にした素振りをみせずに首を横に振ると、口を開いた。けれど、その言葉は今の晴斗にとって、一番聞きたくない言葉だった。 「晴斗くんって、ゲイバーに通っているの?」

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