7 / 10

7話

 それから晴斗は、一週間に一度訪れる金曜日の夜、バイトで稼いだお金を握り締めながら、遅い時間帯に『ナイトムーン』という名の飲酒店に向かう。また富之の時間が合った時には、誘って行くこともあった。毎回会えるとは限らないが店内に入ると、決まって愁は、奥のあまり人目がつかないカウンター席に静かに座っていた。その姿に見惚れそうになりながらも晴斗は、心臓の鼓動が鳴るのを隠しながら、緊張しながら、愁に対して声をかける。 「愁さん」 「来たか、晴斗」  愁に視線で促されるようにして、空いている隣の席に晴斗はおずおずと座るのだった。その時に、洋平かマスターが「何になさいますか」と聞いてくるので、晴斗は決まって「カルーアミルクで」と頼んだ。しばらくすると、マスターが綺麗な淡い茶色のカルーアミルクをグラスに注いでくれたので、晴斗は受け取ると一口飲んだ。甘いまろやかな味が口の中に広がってとても美味しく感じた。  愁と晴斗が出会う時は、決まって最初に晴斗が酒を頼む。そうして、晴斗の緊張を解してから、ホテルに向かうと言う事にしていた。不思議と愁とは、何も会話しなくても、静かな時間を過ごすことは苦痛では無く、むしろ晴斗はその時間がとても居心地が良くて好きだった。それがいつしか、切っ掛けは分からないが、お互いに一言二言会話をするようになっていった。晴斗から会話を切り出すこともあれば、愁からも会話を切り出すことがあった。それが、晴斗にとってすごく嬉しい事に思えた。そのおかげで、愁と晴斗は少しずつ仲良くなっていった。  けれど、愁と何度も出会っては、何度も金を払っては、何度も抱いてもらう歪な関係をしていると晴斗は一人、溜息を吐いた。もしも、別の所で出会っていたならば、例えば、大学や仕事場で出会っていたならば、良い友人関係になっていたかもしれない。そんな考えが晴斗の頭を過っていた。  ふと、晴斗は愁の方を盗み見る。どこか疲れている様子の愁の姿が目に入った。時折、目を擦っている仕草が見えた。愁が普段はどんな仕事をしているか等といった個人情報は詳しく知らない(教えてくれないだろう)から、晴斗はしばらく考え込んでから、良いアイデアが思い浮かんだ。今夜、ホテルに向かったらそれを実行しようと考えたのだった。 *****  いつもの様に、金を払ってホテルに向かい部屋の中に入る。お互いにシャワーを浴びてからベッドの上で夜明けまでセックスする。愁はそのつもりで、ベッドの上に座っている晴斗の隣に座り込んだ。おずおずと落ち着かない様子で、意を決して、晴斗は愁に向かい声をかけた。 「あの……、愁さん」 「何だ、晴斗」 「今日は、そのしないで……一緒に、俺と寝てくれませんか?」  晴斗の言葉に一瞬、理解が追い付かず沈黙を貫いていた愁に対して、晴斗は慌てて告げる。 「あっ、契約外なら、いいんですけど……!」 そんな晴斗の様子に、愁は無言だったがやがて、低く盛大に笑い出した。初めて、盛大に笑う愁を見て晴斗は驚いてしまう。 「愁さんが壊れた……!」  慌てながらあたふたしながら、どうしたものかと考え込んでいた晴斗に対して、やがて笑いを止めた愁が、晴斗の方に向き直り口を開いた。 「そんな馬鹿げた事を言ってきたのは、お前が初めてだ」 「す、すみません……」 「……だが、金は貰っているからな。客の要望にはなるべく応える」  そう言うと、愁は先にベッドの中に入り込んだ。そうして、シーツを手でぽんぽんと叩くと晴斗にここに来るようにと促してきた。晴斗は目を瞬かせながらも、動揺してしまう。 「し、失礼します……」  晴斗はベッドの中に、おずおずと潜り込んだ。大きいベッドだが、成人男性二人が入るには丁度良い大きさだった。晴斗が華奢な身体つきをしているからこそ、はみ出すことが無くすっぽりと収まっていた。愁は晴斗の事を引き寄せると腰に手を回して抱きしめる形を取る。抱きしめられて、晴斗の顔は真っ赤に染まりドキドキと心臓の鼓動が脈打っていた。そんな晴斗に対して愁は低く笑いながら、晴斗の頭を優しい手つきで撫でる。愁の温かな体温と優しい手つきに、晴斗は段々と眠気を誘われるのだった。うとうととしながら、晴斗は愁に対して挨拶をする。 「おやすみなさい、愁さん」 「あぁ、おやすみ晴斗」  いつもよりも優しい声音で告げられる言葉に、晴斗は安心感を覚えて眠りの世界に旅立つのだった。 *****  ふと、晴斗の意識が覚醒する。ぼんやりとした思考の中で、隣を見ると愁が眠っているのが目に入る。すやすやと寝息を立てて眠っている愁の姿は、起きている時の印象と比べて、何処か幼い感じがすると晴斗は感慨深げに思った。  傍に置いてあったスマホを見てみると、時刻は午前三時で真夜中だった。愁と一緒にいられる時間がまだある事にほっと一安心しながらも、晴斗はふと自分の中でわいた疑問をぽつりと言葉に零していた。 「……どうして、愁さんはこんな事をしているんだろう」 「……知りたいか?」  晴斗の零した言葉に、答えが返ってくるとは思っておらず、晴斗は目を見開いて驚いていた。慌てて声のした方向を見ると、そこには既に目が覚めていたのか、空色に輝く瞳を開けた愁が、晴斗の方をじっと見つめていたのだった。 「お、起きていたんですか……!?」 「お前が、俺の顔を食い入る様に見ていた所からな」  悪い大人の笑みを浮かべながら告げてくる愁に対して、晴斗は羞恥心に顔を紅く染めらせる。そんな晴斗の様子を愛おしそうに見つめながらも、愁は何処か遠くを見るようにして、そっと視線を落とすとぽつりと言葉を零した。 「……金さえあれば、何でも出来るからだ」  その愁の答えに晴斗は、何処か執着めいた力強さを感じて、目を瞬かせた。晴斗は、過去に愁に何があったのか、今までどう生きてきたのかは知らない。知らないからこそ、何も言えずに黙って耳を傾けていた。 「だから、俺は『金』しか信用していない」  そう吐き捨てるように呟いた後、愁は晴斗の蜂蜜色の瞳を射抜くように見据えた。晴斗は思わず、どきりと心臓が跳ねる思いだった。 「……お前はそんな俺を軽蔑するか?」  何処か自嘲気味に笑いながら問いかけてくる言葉に、晴斗は静かに首を横に振っていた。そんな晴斗の姿に、愁は怪訝そうな表情を浮かべて「何故だ」と強く問いかけてくる。 「……確かに、俺はあなたのことを、詳しく知りません。でも、あなたと過ごした夜は、どれも俺にとっては、忘れられない最高な夜だから……」 「それは金を貰っているからだ。……金、払えなくなったら、すぐにお前の事を忘れるかもしれないぞ」 「……それでも、俺は忘れないので」  例え、その優しさが嘘だったとしても、確かに愁は晴斗のことを優しく抱いてくれた。その事実さえ、あればそれでいい。そう臆病ながらに、おどおどとしながらも意思の篭った蜂蜜色の瞳で、笑みを浮かべて晴斗は自分の考えを告げる。晴斗は、きっと愁と過ごした夜の事を絶対に忘れられないだろう。金を払って買うという歪な関係性だが、それでもいいのだと思った。それ以上は求めてはいけないのだろうと晴斗は考えた。  そんな晴斗に対して、愁は溜息を吐くと抱き寄せた。そうして、晴斗の耳元で「…まだ時間はある、寝ろ」と囁いてくるので、晴斗は素直に頷いて、抱きしめ返すと、愁の胸元に顔を埋める。香水をつけているのか、良い香りが漂った。  不思議と愁と一緒に眠っていると、落ち着いて安心感が得られた。晴斗はこのまま夜が明けなければいいのにと、思いながら深く眠りに着くのだった。

ともだちにシェアしよう!