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第19話 破棄

安藤は他人との大事な約束を破ったことはない。それは仕事等は関係なく、思い出せる範囲に限られてはいるのだけど。 とにかく、友人や恋人と約束した事柄を『よし、破ろう!』と思って破ったことなどは無い。不誠実で卑怯だと思うし、自分のポリシーである『誠実であること』に対しても盛大に反する行為だからだ。 しかし、今回は――…… 「……あれ、いらっしゃい。安藤サン……だっけ?」 「ど、どうも」 自分のポリシーを曲げてでも、知らなければいけないことがあると思った。 だから仁との約束を破って、再び一人でこのバーへと赴いたのだった。 * 「えっと……今日はママさん、いないんですね」 安藤はわざとらしく店内をキョロキョロと見渡しながら、目的の人物の姿を確認しようとしたが彼は見つからなかった。 その上、まだ少し早い時間だからか客は自分ひとりしかいない。 「水曜日は一番客が少ないから、俺一人で十分なんだ」 「そ、そうですか……」 このバーテンは安藤よりも少し年上だろうか。 長い黒髪を後ろで一つ結びにして、前髪も後ろに撫でつけている。やや目つきが悪いがわりと整った顔立ちの彼は、キュッキュッとグラスを磨きながら返事を返してくれるが、最初の挨拶以来安藤の顔を見ようともしない。 この寡黙なバーテンも安藤が訪れた際にはいつも出勤していたが、今日安藤が聞きたかったことを知っているとは思えなかった。 (しょうがない、出直そう……あ、だけど一杯くらい飲んでいかないと失礼かな) 「聞きたいことがあるんだろ、仁のことで」 「えっ?」 いきなり心を読まれたようで、安藤はドキッとした。 「まあ座れよ。酒は何がいい?」 「あ、じゃあジントニックで……」 「ジン、トニックね」 わざらしく間を開けて発言するバーテンに、安藤はムキになって否定した。 「べ、別に仁と掛けてるわけじゃありませんけど!?」 「分かってるよ、冗談だって」 「……」 くつくつと笑われて、安藤は(この人、意外と面白い人なのかも……)と思った。ハロウィンの日もかなりハイクオリティなミイラ男の仮装をしていたし、寡黙でクールなのは見せかけだけのキャラクターなのかもしれない。 まあ、今はそんなことはどうでもいいのだ。――それよりも。 「あの、俺が今日ここに一人で来たこと、仁には内緒にしてくれませんか」 「……まあ、いいけど。でも仁は仕事帰りによくここに来るから、鉢合わせにならないように気を付けな」 「ええ!?ど、どうしよう……!」 バーテンの言葉に、安藤はあたふたと右往左往しそうになった。仁の仕事は比較的終わるのが早いので、もし仁が今日ここに来る気があるならば――もうすぐ来てしまう。 「さっさと聞きたいことを聞いたらどうだ」 「あ、はい……と言っても俺、具体的にはいったい何を訊いたらいいのかよく分からないままここに来たんですけどね」 「はァ?」 一瞬ぎろりと睨まれたが、安藤は苦笑してその視線を受け流した。するとバーテンも安藤に毒気を抜かれたのか、はあ、と一度脱力したあと入り口の方へと歩いて行った。 「あ、あの……?」 「あんたが来てる間だけ、看板をクローズにしといてやるよ。その代わり、三杯は飲んで帰れよな」 「あ、ありがとうございます!」 第一印象はクールで寡黙で冷たそうだと思っていたのに、安藤の彼への印象は一気に覆された。人情家で、遊びに本気で、くだらないギャグが好きな男に。

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