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第28話 混乱
「……俺もごめんね、佐野さん」
「うっ、うっ、なんで課長が謝るんですかぁ、謝らないといけないのは私のほうで」
結子は綺麗に化粧をしていたのに、泣きながら目元をゴシゴシと強く擦りまくっているせいか今は酷い顔になっている。
安藤は持っていたタオルハンカチを取り出し、結子に渡してやりながら言った。
「悪いけど、君に仁は渡せない」
「はい?」
安藤の言葉に、結子が間の抜けた声を出して顔を上げた。
「俺もね、今フラれたんだ……仁に。だけどこれは絶対に仁の本心じゃないから、俺はこんな別れは受け入れない」
「え? は……え? どういうことですか?」
「俺と仁は恋人同士なんだ」
「はい?」
仁との関係は包み隠さず正直に告白するが、混乱している結子にも理解できるよう詳しく経緯を説明している暇はない。
安藤は今すぐに、まだ好きなのに別れると一人で勝手に決めてしまった馬鹿な恋人に会いに行かなければならないのだから。
「だからいくら君が仁のことを好きでも、仁は渡さないよ。俺だってあいつのことが好きだし、この気持ちは誰にも負けるつもりはないから」
「ちょ、ちょっと待ってください課長! 私のこと、仁に薦められたんじゃないんですか!? 仁とはそういう話をしていたはずなんですけど!?」
「それは仁が俺と別れるために勝手にやったことだろうね。でも俺は最初から仁と別れるつもりはないから」
「え……ていうか課長、少し前まで秘書課の川島さんとお付き合いしてましたよね?」
「その後に付き合ったのが仁なんだ。――ごめん、急ぐから。そのハンカチは返却不要だからまた週明けに会社で。出来たら俺と仁のことは黙っててもらえると助かる」
「はい……」
まあ、バラされても構わない。
このご時世転職するのは厳しいが、仁を失うことに比べたらどうってことはない。
「じゃあ佐野さん、帰り道気を付けて」
結子の返事を聞く前に、安藤は仁のアパート方面へ向かうバス亭を探すべく走り去った。
ひとりポツンと新宿駅前に残された結子は、地味に集まっていた野次馬達の哀れみに満ちた視線をひとりで受け止めつつ、ぼんやりとした頭で駅構内へと歩いた。
(え? 仁と課長は恋人同士だったの? だけど仁は別れたいがためにわざわざ私を課長に当てつけたの? いやいや、もともと課長を好きなのは私のほうで、仁に協力要請したのも私なんだけど。じゃあ私って結局なに? いったい何に使われたわけ? っていうか私が課長を振ったみたいに思ってたけど、課長は仁が好きなら私はいったいなんであんなに謝ってたの? ヤバい、一旦家に帰って整理しないと頭ん中グチャグチャ……)
情報過多すぎてひどく混乱しているけれど、これだけは分かる。
今夜は人生でたった一度きりの26歳のクリスマス・イヴなのに、自分はこれから帰宅して一人孤独に聖夜を過ごさなければいけないということだ。
「はあぁあ!?なにそれ、もう最悪―――!!」
結子がいきなり駅のど真ん中で叫んだので、周囲の人間は驚いて見てきたがショック過ぎて気にならない。
とりあえず、婚活パーティーに参加している友人田中に連絡することにした。これといっていい男がいなければ、あのクールな友人はさっさと見切りを付けて帰ってくるだろう。そうしたら今日の話を聞いてもらって、今年も女だけの少し侘しいがこのうえなく楽しいイヴを過ごすのだ。
「はあ、せめてケーキ買って帰ろ……」
今日だけはダイエットのことは忘れて、ホールサイズのケーキを一人もしくは二人でヤケ食いしてやろう、と思った。
*
一方安藤は、数十分間バスに揺られた末に、前に一度だけ来た仁のボロアパートの部屋の前に立っていた。
二度と会わないと言われたのだから、そもそも会ってすら貰えないかもしれないし、仁がこの中にいるとも限らないのだけど。
(もしここに仁がいなければ、次は二丁目のバーに向かおう)
たった今来た道を逆戻りすることになるが、仕方ない。
安藤は軽く深呼吸をしたあと、コンコンと目の前のドアを軽くノックした。
「仁、俺だよ。中にいたら開けてくれないか? 直接話をしよう」
返事はない。だけど、なんとなく中に人がいるような気配がする。
安藤はもう一度ノックをした。
「仁……。あっ!」
ガチャリと控えめな音を立てて、ドアが開いた。
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