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第3話

「何それ、チラシ?」  頭の上から唐突に降って来た声に、清永は思わず一センチ程尻が浮かびそうになる。あまりにもぼんやりとしすぎていて、ここが会社の喫煙室だという事を忘れていたせいだ。  灰が零れ落ちそうな煙草を慌てて灰皿に押し付け、眺めていた紙を畳んで尻ポケットに押し込んだ。一連の動作を眺めていたらしい八木沢は、当たり前のように清永の隣に腰を下ろした。 「クレヨンの原画だろ、それ。林檎か? 定着液ついてんの? そんな乱雑にしたら色が混ざってぐっちゃぐちゃになっちゃうんじゃないの?」  見られていたのか、面倒くさい。と思ったが勿論顔には出さず、曖昧に笑うに留める。  なんとなく、ふんわり笑っておけばどうにかなるし、それが一番当たり障りないという事を、大学の四年間と社会に出た二年間で学んだ。清永の言葉は見た目よりもストレートで、言いたい事をそのまま口にすると大概の人間が眉を寄せる。そんなに美人なのに、というのは清永にとって聞き飽きた苦言だった。  昼休憩がずれ込んだせいで、喫煙室に誰もいなかった。つい気を抜いてぼけっとしてたところを見られたのは、よりにもよって苦手なチーフである八木沢だ。  ぼさぼさの長めの髪に剃り残しのある無精ひげ。分厚いレンズの眼鏡がいかにもインドアなプログラマー然としていて、外見からして好きになれない。清永も十分コミュニケーション能力に難のあるオタクだという自覚はあったが、八木沢には及ばない。彼は中手のゲームメーカーである自社の、それなりに大所帯であるシステム開発課のほとんどすべての社員に嫌われているという、かなり大物の要注意人物だった。  ヘビースモーカーの八木沢と喫煙所で一緒にならないように、かなり気を使っていたつもりだった。普段ならばガラス張りの喫煙室に誰かが近づいただけでもそそくさと逃げるのだが、手元の紙を眺めていたせいで八木沢の入室にも気が付かなかった。不覚すぎてただでさえ痛い胃が痛む。  腰を浮かすタイミングを探る清永に対し、眠そうな欠伸をした八木沢は『煙草一本頂戴』と手を伸ばしてくる。嫌です、と言って逃げる度胸はない。仕方なく清永は愛用の海外煙草を一本、八木沢に渡した。  ライターで火をつけてやる義理はない。それじゃあお疲れ様ですと腰を浮かしかけたところで、八木沢は銜え煙草のまま口を開いた。 「あのさぁ、姫野。おまえ、営業の田淵さんとなんかあったわけ?」  一緒に居たくない人間から、聞きたくない名前が飛び出し、清永は露骨に息を飲んでしまう。ライターを取り出した八木沢は、鼻で笑うようにハッと息を吐いた。 「わっかりやす……お前さ、ふんわりポーカーフェイス貫いてるつもりかもしんないけど、わりと全部顔に出てんだよ。仕事合間に何度もウチに顔出すあの人もちょっとどうなのって思うけど、仕事の件じゃないなら個人的にどうにか落とし前つけてもめないようにしろよ。つか、良い年した男が二人、あからさまにイカガワシイ感じの雰囲気で揉めんのほんとやめてくれる?」 「……いかがわしい、ってそんな」 「いやどう見たって痴情のもつれだろあんなん。男女だって面倒くせーと思うのに、ホモとか勘弁しろ。別に、勝手に乳繰り合ってる分には勝手にしろって思うよ俺も。会社ですんな。家でやれ。あとその件でストレスでしんどくて会社休みましたとかそういう話なら今後病欠とか困るから。俺からは以上です」  反論しようとして開いた口から漏れ出るのは掠れた息だけで、うまく言葉が出て来ない。違います、と言えずに飲み込むしかない。確かに八木沢から見れば田淵と自分の関係は面倒くさい痴情のもつれ以外の何物でもないだろうし、それが原因で仕事を休まれては困る、というのは正論だ。八木沢がそう思っているということは、部署の他の同僚にも同じように思われているのだろう。そういえば最近は、どことなく腫物を扱うような雰囲気を感じる。普段は何気なく飛んでくる清永の容姿をからかうような発言が減っているのも、恐らくは頻繁に訪れる田淵が原因だ。  昔から中性的な容姿と声のせいで、悪気のないセクハラを受ける。それが減ったのは喜ばしいが、原因が男性との私用でのいざこざだというのは嬉しい事ではない。  黙ってしまった清永の返答など、八木沢は求めていないのだろう。言いたい事だけ言った上司は、清永から奪った煙草に火をつけ一口吸うと、嫌がらせのように派手に噎せた。 「ッは、うぇ……っ! ちょ、おまえ、これなんだよ一体、くっそ甘ぇ……くっさ……」 「……アーク・ロイヤル・アップルミントですよ。ウルグアイの煙草。たぶん重さはマイセンとかと変わんないですけど」 「いやニコチン量とかそういう問題じゃねーよなんだこれうっえ、あっま……お前いつもそんなしれっとした顔でこんなあめー煙草吸ってんのか……そら勘違い男が寄ってくるわけだ……」 「別に、俺がどんな煙草吸ってても関係ないじゃないですか」  愛用している煙草に文句をつけられた清永は、思わず愛想笑いも忘れてしまう。自分から一本寄越せと言ったくせになんて言い草だ。他人の好みにケチをつける人間にはなりたくないと心に誓う。 「いらないならどうぞ捨ててください」  思わず吐き捨てて席を立った清永の背後から、八木沢の呆れたような馬鹿にしたような調子の声が聞こえた。 「他の奴にも、そうやってツンケンしてたら揶揄われたり、まとわりつかれたりしないんじゃねーの」  反論する言葉は、やはり出て来なかった。  つくづく嫌な男だ。仕事は出来る筈なのに、他人とのコミュニケーションがとにかく始終あの調子で、八木沢と対峙する人間は馬鹿にされるか罵倒されるかの二択しかない。  そのくせ頭は悪くない。八木沢は、清永が田淵に付きまとわれ迷惑をしている、という事を理解していた。わかっている上でそれは清永の問題だから自分でどうにかしろ、職場に私情を持ち込むな、と釘を刺したのだ。  正論だ。まったく言い訳ができない。  自分は何度も田淵に『開発課に顔を出されるのは困る』と伝えている。それをどうとらえているのか、田淵は悪びれもせずに暇があれば清永のデスクを訪れた。  思い返せば確かに、最初に懐いたのは清永の方ではあった。直属の上司である八木沢とうまくいかず、ついつい避けがちになり、連絡不十分からミスも増える。同僚達はそんな八木沢を影では貶すものの、一番仕事が早く有能な八木沢に面と向かって意見する人間はいない。清永が八木沢の正論にへこたれている時も、同僚達は姫野ちゃんはかわいいからチーフのお気に入りなんだよね、などと嬉しくもない冗談を飛ばした。  別に、一緒になって八木沢の悪口を言いたいわけではない。ただ、がんばれと背を叩いてほしかった。  それをしてくれたのは、同じ開発課の人間ではなく、たまたま夏前の納涼会で隣の席になった営業課の田淵だった。  六歳年上の田淵は、二十四歳の清永にとって、憧れの先輩となった。清潔な身なりで、いつもぱりっとしたシャツを着ていた。よれよれの服を三日間も着回す八木沢と、とても同い年とは思えない。八木沢の言葉に打ちひしがれる度、同僚の軽いセクハラめいた言葉が心に引っかかる度、清永は田淵にがんばれと励ましてもらった。  笑顔で話を聞いてくれる田淵は、いつも適度な距離感で優しく、清永にとって甘い煙草のように心地よい人だった。  その距離が壊れたのはつい二週間前の事だ。この頃になると田淵は、仕事の合間に暇をみつけては開発課に顔を出すようになっていた。  社内はわりと誰でも行き来できる雰囲気であったし、特別、田淵を咎めるような雰囲気はなかった。彼としては、八木沢や同僚から清永を守っているつもりだったのかもしれない。  しかしそう何度も顔を出されては、清永の方もどう対応していいのか迷う。憧れの先輩に会えることは嬉しくても、やはり仕事を中断されるとその都度集中力が途切れる。それが仕事の遅れに直接つながったのか定かではなくとも、次第に同僚達の目が田淵の存在に気が付きはじめ、また新たな揶揄いの種となった。  自分は平気だから、田淵さんは田淵さんの仕事に集中してほしい。そう伝えたのは二週間前、仕事帰りに二人で立ち寄った大衆居酒屋でのことだ。アルコールに弱い清永はほとんど酒を飲まなかったが、田淵はビールを三杯は飲んでいた。  ほんのりと酔った様子の田淵は、つい君に会いたくなるんだとはにかんだ様に笑った。少年のような田淵の笑顔が好きだったが、この時は正直、微笑ましい気分にはなれなかった。気に入ってもらえているのはありがたいが、田淵の仕事と清永の仕事は別ものだ。何度足を運ばれても、清永の作業がはかどるわけではない。  はっきりと迷惑ですと口にするべきだったのかもしれない。けれど自分が欲しい言葉だけをもらっておきながら、今度は困るのでやめてください、などと言うのは流石に我儘なのではないか。  清永が逡巡している間に、いつのまにか料理の皿は空き、会計も終わってしまった。送るという田淵に、確実に五回は断りの言葉を告げた。一度は駅で別れた筈だ。それなのに、清永が最寄りの駅で降りた時に、彼は同じ改札を抜けて清永と肩を並べた。一度別れたにも関わらず、田淵は清永と同じ電車に乗り、清永の後をつけたのだ。  彼の自宅は逆方向だという事を知っている。だから送るという田淵の好意を断ったというのに。  無理矢理手を取られて、思わず渾身の力で振り払ってしまった。美人だ、細い、と形容される清永だが、少女のように小さいわけでもないし、女性のように非力でもない。細く見えようとも百七十センチを超える男性で、成人している。  思い切り拒否をしたつもりだったのに、振り払われた田淵は苦笑いを零しただけだった。帰ってください、と何度言っても、田淵は付いてきた。会社の付き合いもあるし、今までの恩もある。きっと酔うと性格が変わってしまう人なのだと自分に言い聞かせ、清永は出来るだけ穏便に冷静に、自分はこれから友人の家に行く約束があるから一緒に帰ることはできない、と説得した。  それじゃあ仕方ないねと彼が踵を返した後、何度後ろを振り返ったかわからない。家までついてくる気だった、という事実が、なんともいえないべたべたとした不気味さに変わる。女子じゃあるまいし、同性の先輩なのだから家で飲み直して一晩中愚痴を言い合う、なんて事もあるのかもしれない。珈琲の一杯くらいは出しても良かったのかもしれない。家につくころにはそんな風に考えていたが、その夜清永の携帯に届いたメッセージは、田淵の告白の言葉だった。  清永はすぐさま、断りのメールを入れた。  それなのに彼は、毎日清永のところに顔を出す。断りの文句が思いつかず、とっさに恋人がいると言ってしまったが、それを疑っているのかもしれない。 「……あー……」  頭が痛い。胃も痛い。考えれば考える程、気分が滅入る。  そういえば先日、体調不良で病院に出かけた際も、何者かの来訪があったようだった。友人が訪ねてくる予定はなかったし、宅配業者の不在票もなかった。あの訪問者は田淵ではないかという疑惑が、どうしても頭から離れない。  喫煙室を出た清永は、田淵の来訪に怯えながら午後の仕事をどうにかこなし、一時間の残業で会社を出ることに成功した。あまり遅くなると、営業から帰って来た田淵に待ち伏せされる事がある。二週間前までなら、夕飯の友が出来たと喜んだものだが、今はただただ、撒くのが面倒くさいとしか思えない。  なんて薄情者なのだろう。あんなに、懐いていたのは自分なのに。  田淵の事を考える度に自己嫌悪で胃が重くなる。  いい人なのに、世話になったのに、やはり彼と恋愛が成立するとは思えない。清永自身はあまり性別には拘らないタイプではあるが、一緒に居ても特別何も感じない人とキスやセックスができるとは思えないし、愛の言葉を囁くこともできない筈だ。  うだうだと朝から夕刻までの仕事内容を思い出しては反省し、八木沢の言葉を反芻しては心を折り、そして田淵の顔を思い浮かべては胃を摩る。何度ため息を吐いたかわからなくなった頃、やっと清永は自宅であるアパートにたどり着いた。  階段を登り自室の鍵を開け、靴を脱いで鞄を置く。冷蔵庫から取り出した麦茶の残りを一気に飲み干してから、腹の中の憂鬱を全て吐き出すように大きく息を吐いた。  パンツのポケットに入れていた社員証を取り出し、ついでにねじ込んでいた紙を広げた。  先日、隣人の外国人に渡された電話番号のメモだ。メモ用紙かと思いきや、番号の裏には鮮やかな林檎の絵が描かれていた。  真っ赤な林檎はずた袋から零れ落ち、少々痛んでいるように見える。林檎の横にはデフォルメされた農夫のような男が立ち、その婦人と思わしきふくよかな女性から頬にキスを受けていた。絵本の一場面のような朗らかな絵だ。クレヨンで厚塗りされた部分を折り曲げてしまったので、少々色が伸びてしまっているが、それでもこの絵の味わい深さは色あせない。  丁寧に紙を広げた清永は、林檎の絵が見えるようにホワイトボードに貼り付けた。生活感溢れる雑多なメモの中で、林檎の絵が妙な存在感を放つ。  アビゲイル・アボットと名乗った隣人の白人男性は、大体の人間は自分の事を『アップル・アボット』と呼ぶ、と自己紹介した。そのあだ名の由来が何か、一々説明されなくてもわかる。彼の部屋に入れば、それは一目瞭然だ。  不思議な男だった。言ってしまえば変人だった。けれど隣室の変人はとにかく気持ちのいい声の持ち主で、恐らく、普通に親切だ。しかし……、とまた深く考え始めた所で、急に隣の部屋から何かがぶつかるような物音が響いた。  アボットの部屋の方だ。ガタンゴトゴトッ、とまた酷い物音がして、その後に乱暴に扉が開けられ、バタンと激しく閉められる。  急ぎの用事で飛び出したのかと思いきや、廊下を走る音も階段を駆け下りる音も聞こえない。一体何があったのか。  田淵の親切に軽率に心を開き、結果的に彼との関係をこじらせてしまった清永としては、今はあまり他人に近づきたくない。近づきたくないがしかし、部屋の前で行き倒れていた日に拾ってもらった恩がある。  絶世の美女でもあるまいし、そうそう簡単に同性に惚れられて恋愛トラブルになるわけがない。そんなトラブルは田淵一人で十分だ。現実的にそう判断した清永は、あまり深く考えないように心がけながら扉を開けてアパートの廊下に出た。 「…………あ。ああ、ヨナか、びっくりした……」  廊下には、予想通りにアボットが佇んでいた。ただ、足元は素足にサンダルで、どう見ても部屋着だ。どこかに出かけるといった風ではない。  心なしか顔が青いような気がするが、白人に友人がいないので本来の色もわからないし、廊下の電気が暗くてよくわからなかった。 「びっくりしたのはこっちだよ。急にどうかした? なんか、すごい音がしたけど」 「あ、ごめん、その……ローチが、出て、ああそうか、日本にはあいつがいるんだなって……この前まで住んでたのが、ドイツで、その前がノルウェーだったから。すっかり、ご無沙汰でびっくりして吐くかと思ったんだほんとうるさくしてごめん……」 「ローチ?」 「……コックローチ」 「あー。ゴキブリか。まあ、夏だし、アパートだし、いないってことはないよなそういえば今年はうちあんま見ないけど。てか、えーと……アボットさん、は、ゴキブリ苦手なんだ?」 「アボットでいいよ、みんな名前みたいに呼んでるしファーストネームはあまり呼ばれ慣れてない。大体エキサイトしてくるとみんな林檎野郎って呼ぶから。僕の故郷のサンディエゴではわりとアレが出たんだけど、別に、子供の頃は、そこまで苦手でもなくて、なんていうか昆虫の一種くらいの気持ちだったんだけどね」  アメリカはゴキブリが出るのか、と少し以外に思ったが、そういえばあの国はやたらと大きい。国内で気温や気候の差もあるだろう。ネズミが這う都会のイメージが強いのは、恐らく東部のニューヨークシティあたりが念頭にあるせいだ。サンディエゴは確か、西部の随分と下の方だった筈だ。  破天荒な姉も一時期、西海岸あたりに住んでいた筈だが、そういえば彼女は虫が平気な性質だった。そのせいで話題に上がることもなかったのだろう。 「大人になってから苦手になったの?」 「いや……平気だったんだよ。僕はね、あんまりこう、物事に対する好き嫌いが無くて。偏執的に好きな物は、林檎なんだけど、五年前くらいに中国に住んでいた時に、最高に嫌いな物がアレになった。……夜中目が覚めたら部屋に大量のローチがいた話をすれば、大概の人は納得してくれるんだけど、詳しく話す?」 「あー……いい。結構です。さわりだけでおなか一杯」  衛生観念で言えば、日本はかなり清潔な方なのだろう。別にかの国が不潔だとは思わないが、ありえなくはないのだろうなぁと思ってしまうのは偏見かもしれない。 「しまった。綺麗な国だから油断してたんだ。どうしよう。びっくりして逃げてきちゃったけど、今アレはどこにいるんだろう」 「どこで出たの、ゴキブリ」 「あんまり名前を連呼しないでヨナ。言葉だけでもぞわぞわする。流し台にいた。そして僕は飛び出してきてしまった」 「……ちょっと見てこようか?」 「え。キミはアレが平気なの?」 「いや平気って程好きでもないけど、悲鳴を上げる程嫌いでもないから、もし見つけたら退治くらいはできると思――」 「キミは最高の隣人だよ」 「……わかったから手を放して」  感極まった様子のアボットにギュッと両手を握られ、清永は苦笑いでそれを解いた。  一度部屋に戻り蠅用の殺虫剤を持ち、隣室のドアを開ける。なんとなく予想はしていたが、黒い触覚もちの虫の姿は、部屋のどこにもなかった。ああいうものは、見つけた時にすぐ叩かないと駄目だ。見失ってしまうと、次に邂逅するまでひたすら怯える事になる。  案の定どこにもいないよと報告したところで、アボットの不安は解消されなかった。絶望的な顔をして近場のホテルは何処かと尋ねる外国人に、駅前のカプセルホテルを紹介できる筈もない。  面倒くさいとは思うがしかし、仕事で嫌味を言われるよりも、迷惑な好意から逃げ回るよりも、幾分かマシだ。 「ウチ、来る?」  諦めたように自室を指さす清永の手を、再度アボットは握ったが、清永は面倒くさくて振り払うことはせずに呆れたような笑いを零した。  困ったことがあればいつでもどうぞ、なんてかっこいい事を言ったくせに、自分が困っているんじゃ世話ない。それでもイラついたり、嫌な気分になったりはしない。  たぶん、アボットの言葉はとても静かでフラットだからだ。感情を一歩後ろに置いてきたような彼の発言は不思議でどことなく他人行儀ではあったが、今の清永には、そのなだらかな冷たさが妙に心地よく感じた。

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