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淡い光

あの狭い街に閉じ込められていて、馬の乗り方を知っているとは思わなかったが、馬自体を見るのが初めてだった様で興味深そうに眺めている。 俺の前に座る小さな頭が世話しなく動く。 虚ろな瞳は感情を失っているのかと心配していたが、好奇心は旺盛なようで、代わり映えの無い林が続くが周りの風景に夢中になっている。 流石に1枚布のワンピース1枚で行動させる訳には行かないが、子供用の服など持って来ておらず、一番小柄な兵の服を奪った。 それでもブカブカで、裾を踏んで転びそうになっていた。 好奇心旺盛な子犬は恐る恐る馬の首に手を伸ばして、馬に首を振られ驚いたのかバランスを崩した。 慌てて支えてやるが、もう他の事に夢中になっている。 可愛すぎるだろう。 俺の限界を試しているのか? 今すぐにでもその細いうなじに牙を立て、番になりたい。 始祖の血……狼の獣人らしいが、その名残としてオメガには耳と尻尾が、アルファには牙が特徴として現れる。 噛みたい………噛みたい…………。 駄目だ! マシロの心を癒すのが先だと思い直して、気を反らした。 「馬は初めて?」 こくんと細い首が揺れて、折れてしまいそうで不安になる。 誘拐団の奴らを問いつめて聞き出したところによると、 ……母親を亡くしたショックからか、マシロは言葉を発せられなくなったと言った。 この子の心を癒せれば、その声で俺の名を呼んでくれるだろうか? 目の前を蝶が通り過ぎ意識はそちらに移行した様で、乗り出した身を引き寄せて、胸の中に収めた。 蝶にだって渡したくない。 俺の大事な、大事な宝物。 やっと見つけたんだ、誰にも渡さない。 「休憩になったら、散歩をしよう。だからそれまでは大人しくしていてくれるか?」 落ちたら危ないからね……と頭を撫でると、下を見て高さに気付いたのか腕にギュッとしがみついてきた。 目の前で歪に切られた斑模様の耳が、小鳥達の囀ずりに反応してピクピク動いている。 この耳と尻尾を見るとうんざりしていたのに………噛みたい。 甘く噛みまくりたい。 自分との戦いに疲れた頃、湖に着いた。 一番の目的は俺の心の休憩だが、馬を休ませる名目で飯にする事になった。 散歩に行くとの約束通り湖の周りを歩く。 デートだな。 目を離すと蟻にさえついて行きそうなので小さな手をしっかりと握る。 湖は太陽の光でキラキラ輝いて俺達を祝福している様だ。 半分ほど来ると湖の中にいくつもの光を見つけた。 「ホタル石だ……こんなにたくさん珍しいな」 蛍の様に淡い光を放つ石は飾りとして人気がある。 マシロもきっと気に入るだろう。 湖の淵に屈み込み拾い上げるとマシロの手に乗せた。 手の中を覗き込んで目をキラキラと輝かせている。 短い尻尾もブンブン振られて、そのマシロの様子が嬉しくて袋いっぱいに取って渡した。 もっと喜んでくれるかと思ったが、マシロは何かを悩む様に視線をさ迷わせてしまった。 何か気に触っただろうか? マシロの視線が真っ直ぐに俺を射ぬき………。 「……ありがとう」 ありがとう………もしかしたら聞き間違えかもしれないと思う程小さな小さな音だった。 でもそれは間違いなくマシロから発せられた。 「お前……喋れたのか?何故今まで黙っていた……」 驚きでつい強い口調になってしまい、マシロは体を小さくして俯いてしまう。 「ごめんなさい……声を出したら…また誰かが殺される……かも……お母さん……僕が泣いたせいで殺された」 頭を下げた小さな顔を慌てて包み込み上を向かされる。 「責めているんじゃないよ……泣いたら殺されると思って喋らずにいたのか?」 そんなに追い詰めらた環境でこの子は生きてきたのか……。 俺は何も知らず動かずにいた………。 「どうして俺には、喋ってくれたんだ?」 「タイチョーさん……誰も殺さないし……誰にも負けないと思ったから」 「うん……誰も殺さないよ。信用してくれてありがとう………」 マシロを襲った奴を殺さなくて良かった!! あの時、押しとどめた自分を褒めてやりたい!! 「もう大丈夫……君を傷つける者はもういないから……」 頼りないか細い体を安心させたくて、包み込む。 こんな傷……もうつけさせない。 優しく……傷跡を唇でなぞっていく……。 恥ずかしそうに頬を赤く染める姿に……胸が暖かくなった。 「俺の名前はティオフィルだ」 「ティオ……フィルさん?」 か細い透き通る様な声で名前を呼ばれる。 聞き慣れた名前が別物の様な響きを持った。 こんなに早く夢が実現するなんて。 「名前をお前の口から名前を聞かせてもらっても良いか?」 「………マシロです」 この子の口から紡がれる言葉は全て特別な物の様に聞こえる。 「マシロ……良い名前だな」 「うん。お母さんの名前、ヤシロ。お母さんから貰った大事な名前」 嬉しそうに……心から笑う。 吸い込まれてしまいそうな笑顔に、心は切なく締め付けられた。 繋いだ手を握り返してくれる……俺を信用してくれていると思っていいのだろうか? まだ他の人間は苦手なようで、すれ違う度に繋いだ手に力が篭っている。 布のかけられた大きな檻の前を通り掛かった時、マシロの足が止まった。 「ティオフィルさん……皆にも……綺麗な石見せたい」 期待の籠った目で見上げられて……駄目だとは言えない。 「わかった………おい、ハンソン!!」 本当はマシロの事を他人に頼みたくはないけれど……アルファの俺がオメガに不用意に近づく訳にはいかない。 俺の匂いが誘因となって、道中ヒートを迎えられても困る。 騎士団の中で俺の隊に所属していた男を呼ぶ。 新兵だが、何故か俺を憧憬の眼差しで見つめ何処までもついてくる部下。 寄せ集めの小隊の中では唯一信頼の置ける奴だろう。 ハンソンに連れられて……短い尻尾が一生懸命振られているのが目に入りビキッと青筋が走る。 余計な人目に触れさせない様に掛けた布を捲り中に入っていく二人の姿を少し離れた場所で見送る。 ……駄目だ……心の広い所をアピールせねば。 「………」 イライライライライラ………。 駄目だ……あの布の向こうにマシロが他の男といるかと思うと……。 食事の準備が出来たことを告げにきた兵が慌てて逃げていった。 早く戻って来いマシロ。 草木が揺れ始め幌がはためきだす。 その時、ハンソンに連れられてマシロが出て来た。 急いで駆け寄りハンソンから奪うように肩を抱いた。 「食事の準備が出来た様だ。行こうか」 「皆の食事は………?」 街の者から避けられ孤立させられていたと聞いていたのに……そんな奴等の心配をするなんてなんて良い子なんだろう。 「心配しなくても、ちゃんと用意してある」 ………でも、他の奴の事なんて考えないでくれ。 小隊の平穏の為にも。 人目を気にしているマシロの為に立てた小さなテントに入るとマシロの為の食事が並んでいる。 「お前の母親の保存食を勝手に使わせて貰った……慣れた味が良いだろ?」 「あ……ありがとう……」 母親の名を出すと嬉しそうに尻尾を振っている。 『お母さんが待ってるよ』と声を掛けて誘拐する不審者みたいだな。 マシロはお祈りをすると小さな瓶から白い粉を食事にかけた。 それが習慣のようだが……何の粉だ? 毒では……ないだろうな? 「その粉……ちょっと良いか?」 渡された粉を指先に取って舐めた。 独特の苦味……学生時代に習った事がある。 これは…………抑制剤か? オメガのヒートを抑える為の物……。 「……マシロ。こんなことを聞いてすまない……これはお前の母親に渡されたものか?」 何故この子の母親役の女はこんな物を…………。 成長の遅れた体………抑制剤………。 マシロの為に残した保存食。 殺そうとした子にそんな物を残すか? 殺そうとしたわけでは無かった? 「お母さん……いつも言ってた。僕だけの人が僕を見つけてくれるまでは飲み続けなさいって……」 「………そうか」 マシロの中で………俺はマシロの特別ではないと宣言された。

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