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君は確かに愛されていた

母親の凶行によりマシロが失っていたのは『声』ではなく『嗅覚』だった……。 俺が一人で『運命の番』の匂いだと舞い上がっていた横で、この子はどんな気持ちでいたのか。 守っているつもりだったのに……。 目覚めてくれと願いをこめて握りしめていた手がピクリと動いた。 「……お母さんのところに行きたい………」 不意に聞こえた小さな声に慌てて顔を上げる。 何も映していない瞳が天井を見つめている。 「お母さん……まだ怒ってるかなぁ……追い返されちゃうかなぁ」 瞬きをすることの無い瞳から涙がこぼれ落ちていく。 「ティオフィルさん………貴方の運命になれなくて……ごめんなさい………」 緩く首を動かして、俺に微笑んだマシロの目は……また固く閉じられた。 ―――――――――――――――――― 「ティオフィルさん!!何をっ!!」 リンドールの止める言葉も聞かずに抱き上げたマシロと共に馬に跨がった。 「番の願いは叶えてやらないと……」 マシロは天国で母親と暮らしたがっている。 マシロは母親がまだ自分に怒っていると心配している。 マシロの母親が何故この子に刃を向けたのか……。 それを知るためには……あの場所しかない。 騎士達が行く手を阻む。 この期に及んでも、俺を解放する気は無いのか。 「マリユス!!貴方も止めて下さい!!マシロさんがっ!!」 …………………。 俺を中心に風が渦を巻いて木の葉や小石を巻き上げた。 それは次第に大きく……雷を伴い触れる物を弾いていく。 リンドールを支えたマリユスが俺の前に立つ。 「死にたくなければ誰も手を出すな!!国を……世界を滅亡させる覚悟のある者だけがその剣を向けるがいいっ!!」 マリユスの言葉に行く手を阻んでいた騎士達が戸惑いながら道を開けた。 マリユス……お前が国を治めるところを見たかったよ。 ハンソン達……俺の直属だった者達が敬礼をして見送ってくれている。 「……最後まで面倒をみてやれなくてすまなかった……」 腕の中のマシロを抱きしめると、後ろを振り向かず馬を駆けさせた。 ――――――――――――――――――― 抜け出した娼館に戻ることは出来ない。 一緒になろうと約束を交わした男は……妻子がいた。 縋るこの身を殴り蹴り……安い娼婦に本気になるわけ無いだろうと嘲笑った。 産み落とし、産声も上げなかった我が子を抱いて道を歩く。 もう……生きていても仕方がない。 皆が避けて通るなか……一人の男が話しかけてきた。 「乳が出るんだろう? 子を育ててみないか? それなりの暮らしを保障してやる」 こんな体に需要があるのか? 私を必要としてくれる人がいる……。 簡単に我が子を弔うと、誘われるまま、男の馬車に乗り込んだ。 「こいつは毛並みが良い……アルファ様方の好む真っ白の毛色……そのまま育てば言い値がつくだろう……大切に育てろよ。高値で売りゃあ、お前にも見返りがある」 男に用意された質素な小屋と……腕に抱いたオメガの子。 娼婦をしていた時に客から聞いた事がある。 アルファの為の性奴隷としてオメガを育てて競りにかける組織。 そうか……私はこの子を一流の娼婦に育てれば良いのか。 腕の中の乳飲み子が急に泣き出した。 私の乳の匂いにつられたか、必死に泣いている。 勝手が分からぬまま乳を飲ませると必死に吸い付いてきた。 お前の運命など……アルファを悦ばせる為だけにあるのに……何を必死に生きようとしてるんだ。 満足して眠る姿に……涙が溢れた。 ――――――――――――――――― 我が子に与える筈だった『マシロ』と言う名をオメガの子に与えたのは間違いだった。 「ママ」「ママ」と何の疑いもなく私を慕って来る子は、可愛らしく育っていく。 アルファの為に………。 沸いた情を振り払う事が出来ずにいる。 私は……あんな男に騙された馬鹿な女だから。 この子だけのアルファが、この子をここから連れ出してくれると夢見てしまう。 マシロの真っ白な耳と尻尾を染料で染める。 成長過程と思われる様に少しづつ……少しづつ……。 マシロがヒートを迎えないようにご飯を減らして成長を遅らせる。 日常生活に支障が出ないようにギリギリを見極めて………。 マシロのヒートを抑えるために組織の男に体を売って、眠った隙に抑制剤を盗んだ。 皆が寝静まった頃、必死で掘った床下の倉庫。 残した食材で保存食を作っては貯め込んだ。 神子として皆を監視する組織のリーダー。 私は目をつけられている。 私がいつ居なくなっても良いように……この子に遺していかなければ……。 ついに15の誕生日を迎えてしまった……。 いつ起こってもおかしくないヒートの恐怖に怯える日々。 何故この子のアルファは現れない!! もう既に買い手がついているかもしれない。 明日には連れて行かれるかもしれない。 刻一刻と迫るリミットに蝕まれていく。 「お母さん、お空の向こうはどんな世界なの?」 この子は外の世界に行こうとしている。 この街を囲む塀で下卑た目をさらすアルファの匂いに引かれ始めたか? 「あの塀の向こうにはどうやったらいけるの?」 この子のアルファはこの子を守りには来なかった。 「早く外の世界もみてみたいなぁ……お母さん?」 行ってはいけない……外の世界は……お前を壊そうとしている。 「どうしたの?何で泣いてるの?お母さん……お母さん?」 この子を守るのは私だっ!!!! 私は強い意思で斧を手に取った。 この子が可愛いからいけないんだ! そのアルファの好む真っ白な耳が無ければ!! そのアルファの好む真っ白な尻尾が無ければ!!! その純粋な瞳がっ!!!! その滑らかな肌がっ!!!!! 胸を……熱い物が貫通した。 誰にも…目を…つけられないように………あの子の魅力が……全て無くなってしまえば……良い……。 あぁ……マシロが泣いている。 頭を撫でてあげないと……。 その柔らかな頬にキスをしてあげないと………。 愛してる…………愛してる…………私の…………可愛い………子…………………… ―――――――――――――――――――― 自ら望んだ事だが……頭に流れる映像に息が詰まりそうだった。 母親は……この子を守りたかったのか………。 性奴隷として育てられたオメガを買うようなアルファではなく……この子を本当に必要とする相手を待っていた。 街を囲っていたあの城壁の回廊は、オメガを逃がさない為と共に、街を見渡しアルファがオメガを見定める為の回廊。 15才になってヒートを迎え、買い手がついたオメガは売られていく。 成長を遅らせて、ヒートが起きない様に抑制剤を与え……目をつけられない様……美しい耳と尻尾を切り落とした。 マシロ…………。 決して許される事ではないけれど………確かに君は愛されていた。 お母さんは君を愛している……怒ってはいないよ。 君のお母さんへ挨拶に行かないとな……。 マシロの元へ行くのが遅くなってしまった事を謝罪しなければ……。 君のお母さんは俺を許してくれるだろうか? 何度でも頭を下げよう。 マシロと番になることを許してくれるまで……。 「……森の賢者よ。彼が愛されている証を見せてくれてありがとう。感謝する」 腕の中にある小さな体を抱きしめた。 固く閉ざされた瞼に口付けを落とした。 離れない様に強く手を繋ぐ。 森の賢者……番を守れなかった愚かな(アルファ)に裁きを与えてくれ……。 俺とマシロの体は伸びて来る無数の木の根に包まれた。

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