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第6話 約束
雫はベットの中で自分の額に手を当てながら夕方の出来事を思い返していた。190㎝近い和樹の手が優しく頬に触れて、168㎝しかない雫は見上げる形になった。見上げて見れば優しい眼差し。でも、雫はいつも和樹の右目の目元にあるほくろを見てしまった。ほくろがとても色っぽいのだ。なんだろうと微笑み返せば近づいて来たのは整った和樹の顔だった。
あまりに突然の出来事に嫌悪を感じる間もなっかった。
(柔らかい唇だった。いつも感じていた爽やかな柑橘系の匂いがして、まるで薫りに包まれていたみたいだったなぁ~。)
雫はほっこりした安らぎに包まれながら眠りに落ちていった。
あれから生活のサイクルに変化が生まれていた。和樹がお店に来たときは2人で一緒に電車に乗り最寄りの駅まで一緒に帰るようになったのだ。
そんな日々の中、疲れの溜まっている雫は夜のまばらに席の空いている電車に乗り、席に座っては、和樹の肩を借りて寝てしまう事を繰り返していた。
「雫、起きて、次で降りるよ。」
和樹のバリトンボイスは身体に直接響いてくる。
「もう?」
夏を過ぎて増えたレポートに睡眠時間を削られていた雫はその時一緒にいる相手を忘れるほど疲れきっていた。
「ずいぶん疲れているみたいだな?」
「うん、レポートで最近睡眠時間が短くなってて。」
「あんまり無理するなよ。」
「うん。ありがとう。」
「雫、まだ寝ぼけてる?大丈夫か?」
あまりにも和樹の存在の居心地の良さに凭れたままでいた雫は、その言葉にようやく現在の状況を理解して慌てて身体を起こした。
「だっ、大丈夫です。ごめんなさい。あっ着きましたね。降りましょう。」
最寄りの駅に到着してホームに降り立った雫は固まった首を伸ばしてほぐす。それを見た和樹にはクスクスと笑われ頬は染まってしまった。
(僕に呆れたかな?親父くさかったかな?)
内心雫は心配になってしまった。階段を降りて改札を出た所で雫は右手の方へ、和樹は左手の方へと別れるが、その日は和樹を見上げて顔色を伺った。改札を2人してパスで通り過ぎると和樹が口を開いた。
「次のカフェの定休日、雫は前の日も店に入るの?」
「はい、その予定です。」
人の流れの邪魔にならないように和樹に導かれ柱の側に寄った。
「じゃ、日曜日の定休日の前の日、家に泊まりに来ないか?j
「えっ、ほんとですか?」
「ああ。」
「行きます。是非行かせてください。」
雫の瞳は先ほどまでの心配は消え去り輝きをまし和樹を見上げた。あの雨の日に交わした言葉は、雨の中で2人の空間がさせた社交辞令だと思っていだけに嬉しさに声が大きくってしまった。
「じゃ、決まり。明後日だな、楽しみにしてるよ。」
「はい。僕もです。」
「じゃ、今日は特に気をつけて帰れよ。」
「はい、ありがとうございます。」
和樹はいつも雫を見送ってくれる。だから挨拶が済んだら潔く別れるようにしていた。でもその日は振り返ってしまう。そこには優しい笑顔で見つめてくれている和樹がいた。
『ドクンっ!』
心臓が高鳴る。ドキドキする。直ぐに向き直り帰りの道を進むがいつもより、心なし歩みは早くなっていた。
(いつもあんな眼で見送ってくれているのだろうか?)
ドキドキはしばらく治まることはなかった。
帰宅してお風呂と食事を済ませてレポートに向き合っていた雫の元に和樹と交換していた連絡先に着信が入った。
ーおやすみ、あまり根を詰めすぎないようにな。
ーはい。ありがとうございます。
ーでも、土曜日までには終わらせてくれな( ^o^)ノ
ーもちろん。頑張ります。
ー無理はするなよ。
終わらせて欲しいと言いながら無理はするなという和樹に、返事を打ち返す雫の頬に笑みが浮かんだ。
(よし、気合いを入れよう。ここを越えればキリががつく。)
和樹に自宅へと招かれた雫は高揚感からか、いつもよりも速いスピードでレポートを仕上げていった。
「母さん、土曜日の夜、友達の家に泊まりに行ってくるよ。」
「あら、珍しい。新一くんの所?」
「違うよ、大学の先輩の家。」
「またまた、余計に珍しいじゃない。あなたに先輩の友達がいるなんて知らなかったわ。」
翌朝、夜勤から帰宅した綾子に泊まりに行くことを告げると、にこやかに言われてしまう。そう言われても仕方が無い事だった。新一以外の家に行くなんて初めて息子が言い出したのだから。その顔には安堵の笑みが浮かんでいた。
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