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第7話 初めてのお泊まり

 その日の講義を上の空で雫は受けていた。そんな様子を新一と香が見逃すわけがない。それでも2人は雫から何かを話してくるのを待っていた。  場所を学食に移してミートソーススパゲッティーを食べていた雫はようやく分からないことは聞けば良いと気がついた。 「ねぇ、人の家に泊まりに行く時必要なものってある?」 「っ、なんだよ」  新一は食べていたとんかつを慌てて飲み込んだ。 「お前今まで俺の家に来るときにそんな事考えたことあるのかよ?」 「無いけど…。でもさ。」 「でもさもねぇよ。そんなことで考え込んでいたのか?」 「まあまあ落ち着いて新ちゃん。」  あきれたような新一に香が止めに入る。 「雫くん、お泊まりならやっぱり着替えでしょ~、DVDでしょ~、」 「こら、香、余計なこと言うな。」  指を数えてランチそっちのけで指を数えて話し出す香りを今度は新一が止めに入った。 「深く考えんな、今まで通りに泊まりに行け。」 「今まで通り?」 「そそ。そういうこと。ほら早く食べようぜ。友長さんの所に泊まりに行くんだろ?全部良くしてくれるって。」  新一と香の心配は消えたが、雫の心配事は2人の言葉でも消えることはなかった。    お泊まの当日、雫は緊張しながらアルバイトが終わるまでの時間を過ごしていた。。和樹は最近では特別にマスターから雫の仕事の終わりに一緒に帰るために中で待つ許可得ていた。 「雫くんお疲れ様~。もう上がってくれて良いよ。」    マスターは売り上げの計算をしながらいつもの言葉を雫にかけてくれる。 「はい、もう他に何かすること無いですか?」 「ん。大丈夫だよ。」 「じゃ、着替えて来ます。」 「お疲れ様。」  バックヤードに着替えに足を向けながらちらり、とカンターで本を読みながら待ってくれている和樹に視線を向けた。端正な横顔で真剣に本を読む姿に雫の胸はいつもと違う胸の高鳴りが響いていた。  新一たちにも聞いたお泊まりの用意は準備万端だった。着替え、歯ブラシ。気が付けばいつもの倍の荷物になり、新一に笑われたのは言うまでもない。  バックヤードから出ると店はすでに簡単に電気も落ちていて、和樹も帰りの支度を調えて待ってくれていた。 「マスター、お疲れ様でした。」 「うん。お疲れ様、雫くん月曜日もよろしくね。和樹くんもね。」 「「はい」」 「今日もごちそうさまでした。マスターまた来ますね。」  和樹はマスターに挨拶すると雫の方に向き直った。和樹に促されて雫は、秋の気配が漂い始めた10月の外へと足を踏み出す。和樹との出逢いはすでに1ヶ月半以上が過ぎ、いつの間にかこんなに近い存在になっていた。 電車で帰る中、雫は席に座っていつもより無口になって、荷物を握りしめ背を丸めていた。 「ぷっ!はは。」 「和樹さん、なに笑ってるんですか?」 「いや、初めての遠足の荷物を抱きしめてる子どもみたいだったから。ってなんでそんな荷物が多いんだ?」 「え、多いですか?着替えとかいろいろ…。」  なんだか恥ずかしくて言葉が尻つぼみになってしまう。 「そっか。そんなに今日を楽しみにしていてくれて俺、嬉しいよ。」  和樹の満面の笑みに雫の頬は染まった。そんな風に言われると恥ずかしくなる。  電車に揺られ改札を抜けていつもと違う景色の方へ雫は足を踏み入れた。必要な飲み物やお菓子をいろいろ駅前で買い込んで歩いて5分の和樹の暮らすマンションに着くと、そこはお洒落でスタイリッシュな所だった。15階建ての10階へと、エレベーターに2人で乗り込んだ。  和樹の部屋は爽やかな香りの漂う彼らしい整ったきちんと生活感のある部屋だった。玄関を入ると、廊下の先にリビングが見えた。 (本当に来たんだ。新一の家とは違う。こんな部屋にあがるの初めてだ) 「ごめん、これでも片づけたんだけど、荷物適当に置いてソファーに座って待ってて、飲み物どうする?」  そういう部屋は、その言葉以上に綺麗に片づいた部屋だった。 「あ、買ってきたミルクティーで良いです。」 「了解、待ってて。」  そう言うと和樹はキッチンに荷物を置いて飲み物の用意に行ってしまう。雫は手持ちぶさたで、ソファーの座り心地を堪能していた。 和樹はキッチンから雫の飲み物を用意すると雫が座るソファーの前にあるローテーブルまで運んで来た。 「簡単にパスタでも作るからちょっと待ってて。」 「そんな、僕も手伝います。」 「大丈夫。簡単なものだし。直ぐだからさっき教えたお風呂でも入って寛いで待ってて。バスタオルも出してあるよ。」  そんなことを笑顔で言われると雫には言い返す事が出来なかった。  手早くシャワーで済ませて食卓に着くと短時間で出来上がったとは思えない程とても美味しかった。ベーコンとキャベツのペペロンチーノは、雫も作った事はあるが、自分の作るものとは何が違うのか味は遙かに美味しかった。 「凄く美味しかったです。」 「良かった口に合って。」  片付けも済んで2人でコーヒーを飲みながら満腹感と仕事の程よい疲れで雫はまぶたが重くなって来ていた。 「疲れただろ?俺、お風呂に入って来るよ。ゆっくりしてて。」  そう言って和樹はお風呂に向かっていった。和樹がお風呂から出てくるまで待つつもりの雫だったが、徐々に重くなるまぶたと睡魔に負けてソファーに横になってしまう。  雫は抗いながらも安心感か、深い眠りに落ちていった。 side:和樹    お風呂から出てみると思っていた通り雫は静かにソファーに横になってあどけない顔で眠っていた。 (あくびもしてたし、やっぱり眠ったか。)  ソファーに近づくと眼鏡を外し、綺麗な寝顔を無防備に晒す雫がいる。和樹は吸い寄せられるように静かに雫に近づいていた。  起きないように気をつけて雫の頬に触れる。女よりもきめの細かい肌にはひげも無い。眠る雫はいつもよりも可愛い感じがして微笑ましい。 (いつからだろうこんなに愛しいと思うようになったのは。)    雫は同性であり、今までの和樹ではそんな思いは考えられ無かったが、雫だけは別だった。何度思いを打ち消そうとしても頭から思いは消えることはく、どんどん思いに頭も心も雫で占められていった。  思えば、衝動的に雫の額にキスしたい思いに駆られた時には恋に落ちていた。  ゆっくり静かに雫の顔に顔を寄せ、柔らかい唇にキスをする。それは誰にも知られることの無い行為。それでも和樹はせずにはいられなかった。雫に思いを告げるつもりは無かった。告げることで離れて行くことの方が和樹には怖かった。それならば今のままで側にいさせて欲しかった。 (思いは知られなくても良い、ただ思わせてくれ、雫…) そうして、初めて2人で過ごす夜は更けていった。

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