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第10話 向き合う心

 痴漢騒ぎから2週間が経っていた。  あれから和樹は店に来ていない。雫は本人から直接、手伝いをしているお兄さんの仕事の関係でお店に顔を出せないことを聞いていた。痴漢に遭ってから心配した和樹からは毎日欠かさず連絡をもらっていた。それでも少なくても週2日は会えていた雫は寂しくないと言えば嘘になる。助けて貰ってから雫の中で和樹への思いは兄を慕うような気持ちに変化していた。  雫はカフェへのアルバイトに向かう為に門から足を踏み出していた。大学の門を出て直ぐの道には人の往来が多くあった。  そこにずっと直接会いたいと願っていた和樹の姿があった。それも女性と2人寄り添っている。そして女性の腕は和樹の左腕に巻き付いていた。整った顔立ちに背中まである緩やかにウェーブする髪。どう見ても美男美女の姿だった。 (え、なんで…。和樹さんっ!)  えぐられるような激痛が雫の胸を貫いた。痛くて苦しくて呼吸が出来ない。手でジャケットの胸元をぎゅっと握りしめた。  見つめていると和樹は優しく女性に話しかけると、車の助手席に案内して運転して行ってしまった。雫は和樹が車の運転をする事を知らない。その事に深く傷ついた。そしてあの微笑みが自分に向いていないことも雫の傷をえぐった。  雫は人目も憚らず道にうずくまり歩けなくなった。それだけ雫には衝撃的な瞬間だった。 「大丈夫ですか?」  道行く知らない学生から声を掛けられても返事は無理だった。 「す、すいません…。」  気力でなんとか声を出し立ち上がった雫はふらりと歩きだす。頭の中は真っ白だった。それでも無意識に足は前に進む。気がつけばカフェの前にいた。カウベルを鳴らし店に入るが入り口から足が縫い付けられていて動くことが出来ない。 「雫くんどうしたの?体調が悪いの?ひどい顔色だよ。何かあったの?」  マスターが雫へと駆け寄る。あまりの青白い顔、その場に立ち止まったままの雫をそのままにしておく事が出来ないくらいだった。  返事もままならない雫に、マスターは2階の自分の部屋に行くことを提案するが、それは雫が首を振ることで拒否をした。それならば仕方がないと家に帰る事を促され、それに力なく従った。働く気力までは雫には残っていなかった。マスターは雫にくれぐれも気をつける事を何度も言い聞かせたが、それをただ黙って頷くことしか出来なかった。  なんとか家まで帰ってきた雫は力尽きて玄関で蹲ってしまった。もう本当に力が入らない。 (はは……。なんだ。和樹さん彼女いるじゃん。それもあんな綺麗な人)  ぶわっと溢れる涙が床をしとどに濡らす。嗚咽するほど涙が流れた。この涙、この胸の苦しみ、それが意味するものが何であるかこの時雫はやっと理解していた。自分は和樹の事を想っている。それも兄なんかじゃ無い、恋をしているんだ。  今まで感じていた胸のもやもやも恋心だった。  いつの間にか初めての恋を和樹にしていた。優しい笑顔、目の下にある色っぽいほくろ、身体に響くバリトンボイス。近くに寄ると香る柑橘系の薫り。全てが雫を捉えて放さない。何より昔から自分のパーソナルスペースに人に入られるのが嫌だったのに、なのに和樹だけは自分から近寄って側にいたいといつも願っていた。  それが恋以外なんだというのか?  それと同時に雫は失恋を体験していた。初めてした恋が失恋だなんて、余計に涙を溢れさせた。 (和樹さん、和樹さん。この恋心僕はどうしたら良いですか?今さら無かったことに出来そうにありません。)  心の中でここに居ない和樹に語りかけるしか出来なかった。

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